1章-6 欲望の国
雪山の中を全力で走る青年が居た。息が上がり、心臓がオーバーヒートしそうであったが足を止める訳にはいかない。
聞いていない、こんなことは全く聞いていない。青年は雪山から隣国を攻めるよう指示された兵士である。だが生き残ったのは彼だけであった。他の兵士はこの山の中で奴らに殺されてしまった。赤い飢えた眼をした男達であった。あれはもう人間ではないのかもしれない、奴らは笑いながら青年の仲間を殺していった。青年は無念であったがこうやって逃げることしか出来なかった。
「あ。」
青年は木の根に引っ掛かり崖から転げ落ちてしまう。だが何とかケガをせずに済んだ。そして近くに見つけた洞窟の中に身を潜めた。ここまで逃げれば追って来れまい、青年は一息吐いた。
「よお、もう追いかけっこは終わりかい?」
後ろから声がした。背筋が凍る。だが青年は振り返ることはなかった。背中から槍を突き刺され洞窟の壁に磔にされたからだ。しかし急所は綺麗に外されており、激痛の中死ぬことも許されなかった。
「まずは右手の小指。」
ダガーにより青年の右手の小指が切り落とされる。青年は声にならない悲鳴を上げた。
「まだまだ、次は薬指だ。」
奴はそのまま右手の薬指を切り落とした。痛い痛い痛い痛い痛い、だが死ねない。そうして青年の指が次々に切り落とされていった。
「アジーンは何処じゃ?」
白いローブを着てフードを被った老婆が大きな門の前に立っていた。その隣で白いコートを着た白髪の眼鏡の男性が興味も無さげに書物を読んでいた。
「さっき狼達と一人の青年を追いかけて行きましたよ。」
「ドヴァ―、何故止めなかった、今日は大切な日であろうに。」
「止めたところであいつは辞めませんよ、敵を玩具か何かと勘違いしている節がある。」
老婆はドヴァ―の言葉を聞き流しながら口笛を鳴らす。すると数十体の狼達が老婆の前に集まった。皆口を血で汚していた。老婆はそれを見て笑う。
「今日は餌をやらんでいいかのう。」
「それで円卓はどうするのです、長よ。」
ドヴァ―は老婆に目をやることなく言った。老婆は少し考えた後口笛を続けて四回吹き鳴らした。狼の後ろから一つの影が老婆の前に跳び、そのまま跪く。体中銀の鎧を纏い、狼を模したヘルムを被っていた。そして右手のハルバードは赤黒く染まっていた。
「トリ―、馬車の支度を。都に連れて行ってやろう。」
トリ―は頷くと門の中に入って行った。それを見たドヴァ―は鼻で笑う。
「アジーンに獲物を取られたらしい、相変わらずの落ちこぼれよ。」
「こらこら、弟を貶すものではない。」
老婆はドヴァーに背中を向け門の中に入って行った。そのローブの後ろには狼を模したような紋が描かれていた。そして狼の一族の長は三男のトリ―を連れ都に向かった。