the morning star
「見つかったか?」
「いや…」
深夜の公園で、蛙達に負けないくらいの大声で吉弥が叫んだ。僕は星空を見上げ、必死に目を細めた。
毎年お盆になると、地元に帰ることにしている。町の外れにポツンと浮かんだ無人駅に降りると、近くの田んぼから姿の見えない蛙達の大合唱が僕を迎えてくれた。職場の方じゃ久しく聞いていなかった、小さな生き物の声だ。
昔は僕の実家の隣も大体100mくらい田んぼが広がっていて、蛙だったりコオロギだったり、空が白み始めるまでずっと鳴き続けていたものだった。今思うと笑っちゃうくらいどうでもいいことに悩んで眠れなかったりした時、僕の部屋にはずっと彼らの声が木霊し続けていた。何だか妙に懐かしい気分になって、僕はふらふらと夜道を歩き始めた。
目当ての公園は、駅から歩いてすぐ近くにある。公園といってもベンチと駐車場があるくらいの、「砂場」みたいな空間だ。公園の背中には立派な竹林が立ち並び、表の道路沿いには桜の木が植えられている。春になると鮮やかな桜色で通学路を彩るのだが、もう何年もそんな彼らの姿を見る機会を失くしてしまった。夜の空に生い茂った緑葉を目一杯広げる彼らの下をくぐり、僕は吉弥の待つ電灯の下のベンチに手を振った。
「遅かったな!」
「ごめん」
僕を見つけると、彼はあの頃と変わらない笑顔で僕を出迎えてくれた。本当に、何にも変わっちゃいない。十五年前と同じ背格好の彼を、大人になった僕は高い位置から見下ろしていた。
「じゃ、始めるか」
「うん」
彼はそういうと、早速虫取り網を一本僕に差し出した。僕は鞄をベンチに下ろし、うなずきながらそれを受け取った。
夜空に浮かんだ自分の一番星を、公園でこっそり捕まえて飼ってしまおう。
小学生の頃から大人になった今までの、ずっと変わらない僕らの約束だ。だから僕は毎年こうして、お盆の時期に彼とここにいる。あの当時、僕らは星にそれぞれ名前をつけた。吉弥の選んだ星はちょうど夏の第三角形の頂点から右に少し行ったところで輝いていた。僕の狙った星は逆に公園の出口の近くに浮かんでいた。蒸し暑さが残る夜の空の下、僕らはまず自分達の星の位置を探すことから始めた。
もちろん今まで星を捕まえたことなど一度もない。成功していたならこんな15年もこの作業を繰り返すことはなかっただろう。15年前と同じ蛙の大合唱が、暗がりの公園の中でも響き渡った。
いつの間にか滲んでいた汗を拭いた。僕は少し落胆していた。あの頃の方角に何度目を凝らしても、「あの星」を見つけることはできなかった。もう数年前から、ずっとこんな感じだ。僕もナンダカンダ中身の変わらぬまま、体だけが大きくなった。『星なんて捕まえられない』なんてことは大人として当然理解している。だけどそれを、子供のまま目を輝かせる吉弥にそのまま伝えるのは躊躇われた。
「あったぞ!」
突然、隣で吉弥が歓声を上げた。
「俺の星だ!」
僕は彼の指差す方を見上げた。塩をぶち撒けたみたいに、真っ白な光の粒が敷き詰められた空では、どれが彼の星なのかさっぱり分からなかった。まあとにかく、彼は今年も自分の星をいの一番に見つけてみせた。今年も相変わらず、見失ってるのは僕だけだ。何だか少し悲しくなった。
「まだ見つかんないのか…なんだったっけ、お前の星の名前?」
「………」
聞こえないふりをして、出口の方に目を凝らす。都会では考えられないくらいのたくさんの星が、逆に僕を惑わせた。見つけたいのか…いや、本当は見つけたくないのか。本当は、捕まえようとすることで、捕まらないことに気づかされたくないのか。だんだん目眩がしてきて、僕は頭を振った。
彼はというと、今度は必死に虫取り網を星空に振り回し、目当ての星を捕まえようとジャンプを繰り返していた。振り返っても前に運ばれていく時間の中で、網は何度も空を切った。
届きっこない。そんなことは、子供の彼だってわかっていると思う。僕だって中身は彼と同じ年齢のままだ。それでも夢中で網を振り続ける彼こそが、今の僕にとっての星の光の様だった。
「吉弥」
しばらくして、僕は彼に声をかけた。いつの間にか、蛙の声は止んでいた。蒼く色付き始めた空の下で、彼は汗だくになりながら息を切らしていた。驚いた様に見開かれた彼の目を、僕はしばらく見つめていた。
「…また、今度だな…っ」
息継ぎの間に絞り出した声に、僕は頷いた。
「来年も、来るんだろ?」
「…うん」
…次こそ、捕まえに行ってみせるよ。帰り際、そう彼と約束して、僕らはそれぞれの道へ分かれた。田んぼの水平線の向こうで、ところどころつき始めた民家の灯りが、まるで星の光のように輝いて見えた。