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前編

 ふわぁ。と欠伸を噛み殺して口元を手で覆った。

途端に、とんっと柔らかいなにかに当たった。


 眠い目を擦って顔を上げると、そのなにか――誰かは言った。

「心配して来たの?」





 私は他人の心が聞こえる。触れると聞こえてくる。

物心がついたときに聞こえ始めて戸惑った。

混乱した頭で母に言えば、誰にも言わない方がいいと優しく言い聞かせられた。

そして、その言葉を素直に受け入れた。だけど一度だけ、つい言ってしまったことがある。


友達の心の声に返事をしてしまった。

瞬間、友達はすごく不快な表情をした。彼女の表情を今も覚えている。

慌てて誤魔化したけど、不審に思われた。それから私は人と距離をとるようになった。そして、聞こえたとしても平常心でいることに努めた。


だから、中庭で誰かにぶつかっても平常心でいるはずだった。


 目の前の人物を見上げる。

高津たかつくん。いまはクラスは違うけど、去年同じクラスだったから名字は知っている。

その彼が微笑んで口から聞こえた。口からしか聞こえなかった。

「心配して来たの?」と、私を見て言った。そもそも心配ってなんのことだろう。

考えようとすると、彼に抱き寄せられて耳元でそっと囁かれる。

「ごめん、話し合わせて」


 私はよく分からなくて、わずかに首を傾げた。彼は微笑んで、後ろへと向き直った。

同じように視線を移すと、中庭に女生徒の姿があった。

木々があるので校舎からは見えにくい位置に向かい合う男女と、私が立っている。

彼は私を隠すように背を向けているので、彼の表情は見えない。


 女生徒はふわふわとゆるいパーマがかかってオシャレな名前の知らない子。

何か怒っているようで彼女のパッチリとした目が私に向けられた。

「……新しい彼女?」

 私に向けられた言葉ではないようで、彼女の視線は彼へと変わった。

「そう。かわいいでしょ」

 私の肩を抱き寄せて、左頬に彼の体が触れる。私はそのままの体勢で彼を見上げる

と、私の視線に気付いて高津くんが、にっこりと笑った。そのままぼんやりと見ていると彼は視線を彼女に向けた。


「だから、別れてほしい。ごめんね」

 高津くんが申し分けなさそうに謝る。

これはもしかして、恋人の修羅場とかいうのではないだろうか。

「分かったわよ。別れたらいいんでしょ」

 彼女はそう吐き捨てて、この場を去ろうと私の横を通った。

そのまますれ違う雰囲気だった足が止まり、彼女の手が私に伸びた。

バチンと大きな音を立てて右頬を叩かれた。

同時に心の声も聞こえる。

『くやしい。私の方が可愛いのに。私が振られるなんて。なんでこの子なの、』


「……どうして」

 彼女は声にならない叫びを噛み殺すように唇を歪めた。

私はただ呆然と走り去る彼女を見ることしか出来なかった。


「ごめんね、保健室に行こうか」

 彼の声はあまり動揺したようには聞こえなかったが、眉は下がっていた。

彼の手がそっと私の頬に触れて、すぐ離れた。巻き込まれた私を気遣ってか、高津くんに連れられて保健室に行くことになった。





「座って」

 保健室には誰もいなかったけど、彼がそう言うので座る。

ごそごそと手当ての準備をしてくれているみたいだった。

 まだ整理しきれていない頭でぽつりと呟く。

「……彼女、高津くんに振られたの?」

「……うん、付き合ってた。好きになれないから別れを切り出したんだけど」

「怒ったの? ……じゃあ、仕方がないね」

「え」

「好きなら感情的になると思う」

 心の中はすごく苦しそうなのに、これだけで済んだのだからいい方だと思う。彼の方は好きじゃないから淡白だけど、彼女は彼を好きだから彼は叩けなかったんじゃないかな。

 ふと、彼に視線を戻せば彼は私をじっと見ていた。

「怒らないんだね」

「怒らないよ」

 口の中で転がすように呟いてみる。痛いのは嫌だけど彼女は他にももっと言いたいことはいっぱいあったと思う。それでも、彼女は言いたいことを我慢して……そんな声を聞いていると少し悲しくなった。

「あんな風に怒れるってことは

高津くんのことが好きなんでしょ?……少しだけ羨ましい。私は感情が死んでるから」


 彼の答えを探すような視線が問う。

「誰かを好きになりたいってこと?」

 そうなのかな。羨ましく感じるのは、好きになりたいってことなのかな。

「……たぶん」

「じゃあ、俺を好きになって」


 消毒液を染み込ませたガーゼが頬に伸ばされる。頬に触れるのをじっと待って考える。

少し、しみるよと一言断って傷口が丁寧に消毒される。さっき見た中庭が脳裏によみがえる。

「好きになったら振られるの?」


 高津くんは肯定も否定もせずに苦笑した。

「フリでいいから、彼女になって」

 大きめの絆創膏が頬に貼られた。

「野川さんが彼女だって言っちゃったし、少しの間でいいから」


 彼の口から私の名字が出たことに少し驚いた。話したこともないので彼の記憶に残ってないと思っていた。

「……私、高津くんの名字しか知らないよ」

 文句のひとつでも言われると思ったのに、彼は笑って教えてくれた。

高津たかつ 綺一あやとだよ」

 教えてもらったので、私も自分の名前を言おうとすると彼の声によって遮られた。

響音おと、よろしくね」

「よろしく?」

「俺のことも名前で呼んで、響音」

「綺一くん?」

 これでいいのか顔色を窺いながら私が言うと、彼は――ふわりとやわらかく微笑んだ。





「それで昼休みに食べ終わらなくて、いま食べてるの?」

 教室の、私の前の席で一之瀬いちのせ 姫乃ひめのは言った。

一之瀬さんは別のクラスだけど今は休み時間なので自由に座っている。椅子を横に向けて体は私の方を向いている。

 私は彼女の声を聞きながらメロンパンを食べている。


「おめでとう…って言うべきなの?」

 彼女が首を傾げたので、私も傾げた。

 一之瀬さんが溜息を吐いた。

「高津くん、付き合ってもあんまり続かないみたいよ。まぁ、響音が納得してるのならいいけど」


 聞きながら考えてジュースを一口飲んで、私は口を開いた。

「納得というか……興味?」

 どうして彼の心の声は聞こえないのか、興味だあった。

 一之瀬さんは眉を寄せた。

「あんまり変なのに巻き込まれないでね」



 変なのには巻き込まれてないと思う。

 付き合い始めたその日の放課後、初めて高津くんと一緒に帰った。

彼が教室に来て手を差し出された。私は鞄を持ったまま手を見て顔を見たけど、なにか渡すものがあったのか分からなかった。ポケットに飴が入っていることを思い出して試しに飴を乗せてみた。彼は目を丸くしたあと笑って言った。「手を繋ごう」

恋人同士だから手を繋ぐらしい。いままで人に触れないように生きてきたので、手を繋ぐなんてすごく久しぶりで心地がよかった。


 彼女になって高津くんは大切にしてくれた。

帰りは毎日一緒に帰るし、お昼も一緒に食べる。私がパンばかり食べるのを見るに見かねて高津くんがお弁当を作ってくれるようになった。そんな感じで2週間も平穏に過ぎていった。





「高津くん、毎日お弁当作らなくていいよ?」

 中庭で彼が作ってくれたお弁当を食べて私が言う。

「響音」

 短く咎めるように名前を呼ばれ、また名字で呼んでしまったことに気付いて言い直した。

「綺一くん」

 まだ名前呼びが慣れなくて時々言い直している。

私が彼の名前を呼ぶと彼は嬉しそうに笑って口を開く。

「俺のお弁当食べたくなくなった?」

 どうしてそこまで飛んでしまうのだろうと首を横に振る。

「毎日作るの綺一くんが大変でしょ?」

「俺は響音のために作れて嬉しいよ。自分の分と一緒に1個作るのも、2個作るのも変わらないしね」

 彼の手元を見ると同じように彼が作ったお弁当がある。

食堂のメニューやパンが食べたくならないのかな。箸を止めて考えていると彼の言葉が届く。

「食べれないもの入ってた?」

 申し訳ないぐらいに気にかけてくれるけど、お弁当は私の好きなものが多いし、味付けも好みだ。苦手なものなんて入ってるはずない。

「ううん、今日もおいしいよ」

 私がそう言うと、彼の笑みが深くなる。


 そっと左手で彼の右手に触れた。彼が持っているお箸にあたらないように少しだけ触れる。

「響音?」

 少し動揺した彼の声が聞こえるけど、聞こえない。

 好きになれないから別れたと言った言葉を思い出した。

「私のこと好きになれそう?」

 彼は微笑むだけで答えなかった。その目が少し悲しそうな感じがした。

 どうして彼の心の声は聞こえないんだろう。聞こえればいいのに。

'16.3.10修正

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