養子
朝食を終えた後。
「お茶にしましょう」
エルマが言う。
「……はい」
窓際の部屋。
日当たりがいい。
「……公爵との話は、どうでしたか」
エルマが、お茶を注ぎながら聞く。
「……色々と、教えていただきました」
「そう」
「……不思議な方ですね。やはり」
「そうでしょう」
エルマが、少し笑う。
「怖かった?」
「……怖くはなかったです。でも」
「でも?」
「……何を考えているのか、まだ分からなくて」
「それは——私も、最初はそうだったから」
「今は?」
「今は——少し、分かる」
「目で?」
「目で」
二人が、少し笑う。
しばらく、お茶を飲む。
——
「……セリスさん」
エルマが言う。
「はい」
「一つ——聞いていいですか」
「……どうぞ」
「この先、どこへ行くつもりですか」
セリスが、お茶のカップを見る。
「……まだ、決まっていません」
「そう」
「ただ——やらなければならないことがある」
「帝国と戦うこと?」
「……そうです」
エルマが、窓の外を見る。
しばらく。
「……一つだけ、お願いがある」
「……何ですか」
エルマが、セリスを見る。
まっすぐ。
「……私の娘に、なってくれませんか」
静寂。
セリスが——止まる。
カップが、止まる。
時間が——止まった気がした。
「……え?」
「養子として——この家の娘に」
「……それは」
「断ってくれていい」
エルマが言う。
「でも——聞いてほしかった」
「……なぜですか」
「あなたが——娘に似ているから」
「……」
「最初に会った時から、そう思っていた」
セリスが、エルマを見る。
その目が——本物だった。
「……できません」
セリスが言う。
「なぜ?」
「私には——やらなければならないことがある」
「それは分かっている」
「……じゃあ」
「養子になることと——やることは、別でしょう」
セリスが、少し固まる。
「……でも」
「でも?」
「……私は、エルデン王国の王女です」
「知っている」
「……エルデン王国の王女が、帝国公爵家の養子になるなんて——」
「おかしいと思う?」
「……おかしい、とは言いませんが」
「じゃあ、何が嫌なの」
セリスが、言葉に詰まる。
(……何が、嫌なのだろう)
(嫌、という感情じゃない)
(怖い)
(また——誰かを、失うのが)
「……怖いんです」
気づいたら、声に出ていた。
エルマが「何が?」と聞く。
「……また、失うのが」
「……そう」
「エルマさんのことが——好きです」
「……うん」
「だから——」
「だから、近づきたくない?」
セリスが、黙る。
「……逆ね」
エルマが言う。
「え?」
「好きだから——近づきたくない」
「……はい」
「好きだから——失いたくない」
「……はい」
エルマが、お茶を一口飲む。
「……そうね」
「私も——同じよ」
「え?」
「あなたのことが——好きだから」
エルマが、セリスを見る。
「失いたくない」
「……」
「でも——手放したくないとも、思っている」
「どういう意味ですか」
「あなたには——やることがある」
「……はい」
「行かなければならない場所がある」
「……はい」
「それを——止めたくない」
エルマが、窓の外を見る。
「娘に、なってほしいのは——」
「帰ってくる場所を、作りたいから」
セリスが、止まる。
「……帰ってくる場所」
「ええ」
「どこへ行っても——ここに帰ってこられる場所」
「……」
「それだけよ」
「縛りたいわけじゃない」
「手放したくないわけでも——ない」
「ただ——」
エルマが、セリスを見る。
「あなたに、帰る場所があってほしい」
静寂。
セリスが——エルマを見る。
(……帰る場所)
(今の私に)
(そんなものが——あっていいのか)
「……一つだけ、聞いていいですか」
セリスが言う。
「なぜ——私なのですか」
「娘に似ているから、と言ったでしょう」
「……それだけですか」
エルマが、少し間を置く。
「……正直に話すわ」
「はい」
「あなたがここに来てすぐ——主人に言われたの」
セリスが、少し止まる。
「『あの娘を養子にすることを考えてみろ』と」
「……公爵が?」
「ええ」
「……なぜ、そんなことを」
エルマが、少し苦く笑う。
「主人はね——時々、突拍子もないことを言い出すの」
「……突拍子もない?」
「今の皇帝陛下を擁立した時もそう」
エルマが、カップをそっと置く。
「長兄がいるにもかかわらず——次兄である今の陛下を、主人だけが最初から推していた」
「……それが、うまくいったんですか」
「うまくいったどころか——あれがなければ、今の帝国はなかったかもしれない」
「……長兄の方は、どうなったんですか」
エルマが、少し間を置く。
「……結果的に、跡を継がなかった」
「どうして、とは聞かなかったんですか」
「聞いたことがある」
エルマが、窓の外を見る。
「主人は——ただ一言、『そういうものだ』と言っただけだった」
静寂。
「……あの人の目は、まるで先が見えているみたいなの」
エルマが、静かに言う。
「神様みたい、と思うことが——たまにある」
「……」
「だから最初は——主人の都合のために言っているのかと思った」
「……今は?」
「今は——違う」
エルマが、セリスを見る。
「あなたに会って——主人の話とは、別のところで」
「あなたのことが好きになっていた」
「……」
「今は——主人のためじゃない」
「あなたのために、言っている」
「それだけは——信じてほしい」
セリスが、エルマを見る。
嘘をついていない。
全部——本当のことを言っている。
「……公爵は、このことを」
「知っている。むしろ喜んでいたわ」
エルマが、少し苦く笑う。
「あの人は——思った通りに物事が進むと、ああいう顔をするから」
「……ああいう顔?」
「何も言わないけれど——満足そうな顔」
セリスが、思わず少し笑う。
「……なんとなく、分かります」
「でしょう」
エルマも笑う。
しばらく、沈黙。
「……考えさせてください」
セリスが、やっと言う。
「ええ」
「急がなくていいわよ」
エルマが、菓子をセリスの皿に乗せる。
「……食べなさい」
「……はい」
セリスが、菓子を食べる。
「……美味しい」
「でしょう」
エルマが、満足そうに頷く。
お茶が、静かに冷めていく。
窓の外に——秋の空が広がっていた。
(……帰る場所)
(帰ってこられる場所)
(そういうものが——あってもいいのだろうか)
答えは、まだ出なかった。
でも——
菓子が、美味しかった。
それだけは、確かだった。




