ドレス
三日目。
あの部屋に——また来た。
今日のエルマは——少し、違った。
椅子に座っていない。
部屋の奥の——戸棚の前に立っている。
何かを、探している。
「……何をされているのですか?」
「あ、来たのね」
エルマが振り返る。
「ちょっと待って」
戸棚を——開ける。
奥に——布に包まれた何かがある。
エルマが、そっと取り出す。
丁寧に、丁寧に。
「……何ですか、それは」
「見せたいものがあるの」
エルマが、布を解く。
中から——
ドレスが、出てきた。
淡い金色の。
小さな——子供用の。
「……」
「娘のドレスよ」
エルマが言う。
静かに。
「十年前に——一人娘を、病気で亡くしてね」
「……エルマさん」
「もう、ずっと前のことよ」
エルマが、ドレスを広げる。
「でも——捨てられなくて。ずっと、ここに」
「……」
「変かしら」
「変ではありません」
セリスが言う。
「……大切なものは、捨てられないですから」
エルマが——セリスを見る。
少し、目が細くなる。
「……そうね」
ドレスを——丁寧に、畳む。
「今日はね」
「はい」
「あなたの髪を——結わせてほしいの」
「……私の髪を?」
「駄目?」
セリスが——少し、考える。
「……駄目ではないですが」
「じゃあ、椅子に座って」
エルマが、セリスを椅子に座らせる。
鏡の前。
エルマが、後ろに立つ。
セリスの髪を——丁寧に、解く。
「……きれいな髪ね」
「……そうですか」
「ええ。お母様と——同じ色だわ」
セリスが、鏡を見る。
「……母と?」
「ええ」
エルマが、櫛を手に取る。
「髪を結うのが——好きだったの」
「誰が?」
「私が」
エルマが、静かに笑う。
「娘が生きていたら——毎朝、結ってあげるつもりだったから」
「……」
「だから——もし嫌でなければ」
「嫌ではありません」
セリスが言う。
少し、早口で。
エルマが——少し、止まる。
「……ありがとう」
「……こちらこそ」
エルマが、髪を梳かし始める。
丁寧に。
ゆっくりと。
窓の外——曇り空が、少し明るくなっている。
「……娘さんは、どんなお子さんでしたか?」
セリスが、聞く。
エルマが——少し、手を止める。
「……元気な子だったわ」
「元気な?」
「ええ。じっとしていられなくてね。いつも走り回っていた」
「……エルマさんに似ていたのですか?」
「どうかしら」
エルマが、また梳かし始める。
「あの人に似ていた、と思うわ」
「公爵に?」
「ええ」
「……どのあたりが?」
「目が——同じだったの」
「目が?」
「深い色の。見ると吸い込まれそうな」
エルマが、鏡越しにセリスを見る。
「あの人は——娘のことが、溺愛していたのよ」
「……公爵が?」
「ええ」
エルマが、少し笑う。
「あの無口な人がね。娘の前だけは——よく喋っていたの」
「……想像できないですね」
「でしょう」
「……」
「亡くなった時——あの人も、随分堪えていたわ」
エルマが、静かに言う。
「表には出さないけれど——それが余計に、つらかった」
「エルマさんも——」
「私は泣けたから、まだよかった」
エルマが言う。
「泣けない人の方が——後を引くから」
セリスが、鏡を見る。
(……泣けない人)
(ノイエ)
(……何か?)
(……いいえ)
「……エルマさん」
「なに?」
「今は——大丈夫ですか?」
エルマが——少し、止まる。
「今は?」
「……娘さんのことを、話してくださって。辛くないですか?」
エルマが、手を動かしながら言う。
「辛くないとは言えないわ」
「……すみません。聞いてしまって」
「いいのよ」
エルマが、鏡越しにセリスを見る。
「……あなたに話せてよかった、と思っているから」
「どうしてですか?」
「ちゃんと——聞いてくれるから」
「……私は何も言えていませんが」
「言葉じゃないのよ」
エルマが言う。
「聞いてくれる、というのは——言葉じゃなくて、気持ちだから」
セリスが——何も言えなかった。
(……気持ち)
(私が)
(ちゃんと、聞けているのだろうか)
「……できあがったわ」
エルマが言う。
鏡を見る。
髪が——丁寧に結われている。
「……きれいですね」
「でしょう」
エルマが、満足そうに頷く。
「よく似合っているわ」
「……ありがとうございます」
「じゃあ——次は」
エルマが、畳んであったドレスを持つ。
「これを着てみて」
「……え?」
「子供用だから——サイズは合わないけれど」
「では——」
「違うの」
エルマが、首を振る。
「これではなくて——」
戸棚を、また開ける。
今度は——大人用の。
深い金色の。
刺繍の入った、ドレス。
「……これは」
「娘が大きくなったら着せようと——用意していたものよ」
エルマが、ドレスを広げる。
「着てみてくれる?」
「……私が?」
「ええ」
「……よろしいのですか?」
「よろしいから、聞いているの」
セリスが——ドレスを見る。
深い金色。
細かな刺繍。
「……大切なものでは?」
「大切なものよ」
エルマが言う。
「だから——あなたに着てほしいの」
その言葉の意味を。
セリスは——ゆっくりと、受け取った。
(……この人は)
(私に)
(娘の面影を——重ねている)
(怒るべきか)
(悲しむべきか)
考えた。
考えて——
「……着ます」
セリスが言う。
「ありがとう」
エルマが、静かに言う。
「……こちらこそ」
ドレスを——受け取る。
その布が——思ったより、温かかった。
——
しばらくして。
セリスが——ドレスを着て、鏡の前に立つ。
エルマが——後ろから、見ている。
「……どうですか?」
セリスが聞く。
エルマが——何も言わない。
「エルマさん?」
「……ごめんなさい」
エルマが言う。
「……きれいで」
「エルマさん」
「きれいだから——少し、びっくりしてしまって」
エルマが、目を細める。
その目が——少し、潤んでいる。
「……エルマさん」
「泣いてないわよ」
「……泣いていません、とは言いませんね」
「泣いてないの」
「……はい」
「……本当に、きれいよ」
エルマが言う。
「よく似合っている」
「……ありがとうございます」
「今夜——晩餐会があるの」
「晩餐会?」
「ええ」
エルマが、セリスを見る。
「あなたたちを招待したいの。この格好で——来てくれる?」
セリスが、鏡を見る。
金色のドレス。
結われた髪。
「……仲間も一緒に、ですか?」
「もちろん」
「……では」
「では?」
「……参ります」
エルマが——嬉しそうに笑う。
「よかった」
「……晩餐会というのは、改まったものですか?」
「改まってないわよ」
「……しかし」
「家族の食事よ」
エルマが言う。
「家族の——」
「ええ」
エルマが、鏡越しにセリスを見る。
「今夜だけは——そう思って、来てくれる?」
セリスが——鏡を見る。
金色のドレス。
エルマの笑顔。
「……はい」
セリスが言う。
「今夜だけは——そう思います」
エルマが、頷く。
「待ってるわ」
窓の外——曇り空が。
いつの間にか——晴れていた。




