公爵
翌朝。
朝食の後——
「主人が、お待ちしております」
使用人が言う。
セリスが立ち上がる。
「一人で行く」
「セリス」
ガイウスが言う。
「大丈夫よ」
「一人は——」
「大丈夫」
「根拠は?」
「……勘よ」
ガイウスが「勘か」と言う。
「そう。それだけよ」
ガイウスが「……分かった」と言う。
渋々だった。
「エルマ様も、ご一緒いたします」
使用人が言う。
ガイウスが「……ならまあ」と言う。
言葉の続きは、なかった。
エルマと並んで、廊下を歩く。
屋敷の奥へ。
奥へ。
「……緊張してる?」
エルマが聞く。
「してない」
「そう」
少し、間があった。
「……少し、してる」
「正直ね」
エルマが、少し笑う。
「あなた、あの人に会うの初めてでしょ」
「そうね」
「緊張するのは——当然よ。私だって、最初に会った時は」
「……緊張したの?」
エルマが少し考えて——
「緊張とは、少し違ったかしら」
「どう違うの?」
「……また、今度話すわ」
少し、頬が赤かった。
セリスが「……エルマさん?」と言う。
「何でもないわよ」
「頬が——」
「何でもない」
エルマが、足を速める。
「怖い人ではないわよ。ただ——大きい人なの。存在が」
「大きい?」
「そういうこと。あなたも、そのうち分かるわ」
それだけ言って——
扉の前で、止まった。
「準備はいい?」
セリスが頷く。
扉が、開く。
光が——強かった。
大きな窓。
朝の陽光が、まともに差し込んでいる。
部屋の中が——白く滲む。
「……っ」
目が、慣れない。
輪郭だけが見える。
窓を背にして、立っている人影。
大きい。
ただ立っているだけなのに——
部屋の空気が、違った。
(……なんだ)
(この人は)
目が、ゆっくりと慣れていく。
黒い長髪。
顎に、短い髭。
深い色の上着。
金の留め具。
袖口に、細かな刺繍。
指に——指輪。
一つだけ。
獅子と剣の紋章。
そして——目が。
深い色をしていた。
「——来てくれた」
低い声だった。
静かで。
響いて。
セリスが、一瞬——何も言えなかった。
(……なんで)
(言葉が出ない)
(……これが)
(大きい人、ということか)
エルマが、セリスの隣に静かに立つ。
腕が、そっと触れる。
それだけだった。
でも——
(……落ち着く)
「……セリス・アルヴェリアです」
やっと、出た。
「知っている」
公爵が言う。
「座ってくれ」
三人が、席につく。
エルマが、セリスと公爵の間に——斜めに座る。
公爵が、セリスをまっすぐ見る。
「——話をしよう」
「……聞く」
「まず——翠毒蛇大隊のことだ」
「……何を」
「ライラが事前に察知していた。部隊の動きを。ルートを微妙に変えることで、接触を三日遅らせた」
セリスが「……知らなかった」と言う。
「報告しなかったのは——ライラの判断だ」
「なぜ?」
「あなたが知れば、動き方が変わる。それよりも自然に誘導する方が、安全だと判断した」
「……それでも、間に合わなかった」
「ああ」
「申し訳なかった」
感情のない声ではなかった。
セリスが、何か言おうとする。
言葉が、出ない。
「あなた」
エルマが、公爵に言う。
「……なんだ」
「セリスさんに、お茶を」
「ああ」
お茶が来る。
エルマが、セリスの前に置く。
「飲んで」
セリスが、一口飲む。
温かかった。
(……落ち着く)
「……次を聞く」
セリスが言う。
公爵が頷く。
「私の目的について、話す」
「……聞く」
「帝国を——変えたい」
「変える? 倒すじゃなくて?」
「倒すだけでは、次が来る。構造を変えなければ、意味がない」
「……それは」
言葉が追いつかない。
公爵が、続ける。
「そのためには——あなたが必要だ」
「……なぜ私が」
「亡国の王女。魔剣の使い手。翠毒蛇大隊五百人を一人で滅ぼした。ヴァルキリーと呼ばれ始めている」
「……旗印にするということね」
「そうだ」
「あなた」
エルマが言う。
「……なんだ」
「セリスさんは三日前に仲間を亡くしたばかりよ」
公爵が、少し動きを止める。
沈黙。
「……そうだな。すまない」
「セリスさん」
エルマがセリスを見る。
「正直に言っていいわよ。怒っていいし、泣いてもいい」
「……怒る相手が、違う気がする」
「そうね」
「泣くのは——まだ、できない」
「そうね」
エルマが「続けてください」と公爵に言う。
「……正確に伝えた方がいいと思っている。うまい言い方より」
セリスが「それでいい」と言う。
「正確な方が——まだ、信用できる」
公爵が、セリスを見る。
「……ライラの報告通りの人間だ」
「何を報告されたの?」
「守るために前に出る。感情で動くように見えて——本質は冷静だ、と」
「……買いかぶりよ」
「そうは思わない」
公爵が、机の上に地図を広げる。
「これが現状だ」
帝国の版図。
周辺諸国。
各地の勢力図。
「帝国は今、三つの問題を抱えている。皇帝の衰弱。宰相オルフェウスの台頭。そして——」
「そして?」
「……帝国の後ろにいる、本当の敵だ」
「本当の敵?」
「今は——まだ、話せない」
「また、その答えね」
「追って話す」
セリスが「なぜこの場所に領地があるの?」と問う。
「帝国の国境付近に——公爵家が。普通じゃない」
公爵が、少し間を置く。
「……それも、追って話す」
「あなた」
エルマが言う。
「……なんだ」
「セリスさんは聡い方よ。今話せないなら、せめて——いつ話すか、くらいは言えるでしょ」
公爵が、エルマを見る。
少し、間があった。
「……信用できると、お互いが判断した時に」
「それは——どのくらいかかるの?」
「あなた次第だ」
セリスが「……分かった」と言う。
「急がない。でも——見極める」
「ああ」
「ここにいる間は——安全を保証してくれる?」
「する」
公爵が、エルマを見る。
「……エルマが、あなたたちを気に入った。それが最大の理由だ」
エルマが「あなたは本当に……」と言う。
「事実だ」
「もう少し言い方があるでしょう」
「正確な言い方を選んだ」
エルマが「ごめんなさいね」とセリスに言う。
「いいえ」
セリスが、少し笑う。
「正確な方が——信用できる、と言ったのは私よ」
セリスが立ち上がる。
「しばらく、ここに置いてもらう」
「構わない」
「利用されてるのは分かってる。こちらも利用する」
「……それでいい」
「その間に——あなたの本当の目的を、見極める」
公爵が、わずかに目を細める。
「……楽しみにしている」
「楽しまないで」
「……そうはいかない」
セリスが扉に向かう。
振り返らずに言う。
「一つだけ、言っておく」
「どうぞ」
「エルマさんのことは——好きよ。あの人だけは、信用する」
エルマが「まあ」と言う。
「あなたの評価は——まだ、保留よ」
「……分かった」
「——セリス・アルヴェリア」
公爵が、呼ぶ。
「なに?」
「リオ・ハルトという青年の——冥福を、祈る」
セリスが、少し止まる。
「……ありがとう」
「私が言える立場ではないが」
「それでも——ありがとう」
扉が、閉まった。
廊下を一人で歩く。
(ノイエ)
宝石が、静かに光る。
(……あの人)
(……危険な人物に変わりはありません)
(でも——嘘はついていなかった)
(……今この場では。全てを話しているわけでもない)
(分かってる)
(……セリス)
(なに?)
(……エルマという人物は)
(うん)
(……公爵が変わります。彼女の前では)
セリスが、少し止まる。
(……気づいてたの?)
(……はい。微細ですが、確かに)
(どんな風に?)
(……言葉が、少し遅くなります。彼女を見る時)
セリスが「……そう」と言う。
(大きい人でも——そういうことがあるのね)
(……そういうもの、なのですか)
(そういうものよ)
宝石が——ゆっくりと、左右に動く。
(……分かりません)
(いつか、分かるわよ)
廊下の窓から——空が見えた。
晴れていた。
山の上に、雲がゆっくりと動いている。
(……リオ)
(ここは、安全みたい)
(しばらく——ちゃんと休む)
(そして、また動く)
(あなたが守った場所を——もっと、広げるために)
風が、窓の外を通り過ぎた。
それだけで、十分だった。
「利用されてるのは分かってる。でも——こちらも利用する」
それがセリスの答えだった。
圧倒されながらも——
前を向いた。
それだけ。
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あとがき
ここまでお読みいただきありがとうございます!
逆光の中の公爵。
低い声。威厳のある佇まい。
最初、セリスは言葉が出なかった。
エルマの腕が、そっと触れて——やっと声が出た。
そしてエルマが廊下で頬を赤くしていた理由——
「緊張とは、少し違ったかしら」
「また、今度話すわ」
公爵を前にすると言葉が少し遅くなる。
エルマの前では変わる。
二十年経っても——この二人は、そういう関係みたいです。
次回も続きをぜひ見届けてください!
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