雨の中で
雨が降り始めたのは、翌日だった。
冷たい雨。
秋の雨。
四人は、歩いていた。
誰も、話さない。
足音だけが、泥の上に残る。
消えていく。
また、残る。
消えていく。
(……ノイエ)
宝石が、静かに光る。
(侵食——どのくらい進んだ?)
(……第一段階に入りました)
(そう)
(……瞳の色が、定着しています。今後——使用のたびに)
(分かってる)
宝石が、一度だけ瞬く。
(……セリス)
(なに?)
長い沈黙。
(……何でもありません)
(言いかけて止めないで)
(……今は、まだ)
宝石が——左右に、ゆっくりと動く。
返事は、なかった。
「……セリスさん」
メイラが隣に来る。
「うん」
「……足、大丈夫ですか」
「大丈夫よ」
「……昨日から、ほとんど眠れてないと思って」
「眠れてる」
「……嘘です」
セリスが、少し止まる。
「……どうして分かるの」
「目が赤いです」
「雨のせいよ」
「雨は関係ないです」
メイラが、セリスの隣を歩く。
何も言わない。
ただ——隣にいる。
「……メイラ」
「はい」
「あなたも、眠れてないでしょ」
「……眠れてないです」
「そうね」
「……でも、歩けます」
「……うん」
「セリスさんが言ってくれたから」
二人が、また歩く。
雨が、続く。
昼過ぎ。
街道が、森に差し掛かる。
木々が、雨を遮る。
少しだけ——静かになった。
「……休憩にする」
ガイウスが言う。
全員が、木の根元に腰を下ろす。
誰も、話さない。
それでいい、という空気だった。
「……セリス」
ライラが言う。
「うん?」
「……話がある」
声が、いつもと違った。
淡々としていない。
「……何?」
ライラが、少し間を置く。
全員が、ライラを見る。
「……ずっと、言えなかったことがある」
「聞く」
ライラが、前を向いたまま言う。
「私がこのグループに合流したのは——偶然じゃない」
「……知ってた」
ライラが、少し目を細める。
「……いつから」
「最初から、薄々。確信したのはヴァレンの首都で情報を取ってきた時」
「……そう」
「夜中に一人で出て行って、帝国の内部情報を持って帰る。商人のネットワークだけじゃ、無理よ」
ライラが「……そうね」と言う。
「怒ってる?」
セリスが少し考えて——
「……少しだけ」
「そうね。当然だわ」
「でも——今まで助けてもらったのも、本当のことよ」
ライラが、初めてセリスを向く。
「……私を寄越したのは」
一息。
「ヴェストファーレン公爵よ。マクシミリアン・フォン・ヴェストファーレン」
「……公爵」
「帝国の三公爵家の一つ。帝国との国境付近に領地を持つ。でも——帝国とは、別の思惑を持っている人間」
「どんな思惑?」
「……それは、本人から聞いてほしい」
「会えるの?」
ライラが「……今から」と言う。
「合図を出せば——迎えが来る」
ガイウスが「……ずっと監視されていたのか」と低く言う。
「護衛よ。昨日のことを知って——公爵自身が手配した」
「信用できるのか」
ライラが「……完全には、無理」と答える。
「でも——私はこの人の命令でセリスたちに近づいた。それでも、今ここにいる。それだけは本当よ」
沈黙。
「……合図を出して」
セリスが言う。
「話を聞かないと、判断できない」
ライラが頷く。
左手の手袋を——外した。
その手に、指輪があった。
金地に、獅子と剣のエンブレム。
「……ずっとはめてたのね」
「外せなかった」
ライラが、指輪を空に向けて——
光に当てた。
しばらくして。
馬蹄の音が聞こえてきた。
一頭ではない。
複数——十を超えている。
「……何だ」
ガイウスが立ち上がり、剣に手をかける。
「大丈夫。待って」
ライラが言う。
木々の向こうから——
黒い馬が、現れた。
騎士が十数名。
全員が漆黒の甲冑。
胸に金の紋章。
そして——
黒塗りの馬車が、姿を現した。
大きい。
頑丈そうな作り。
扉に、金の獅子と剣。
「……なんで」
メイラが、息を呑む。
「……こんなものが」
「公爵家の迎えよ」
ライラが言う。
騎士の一人が馬を降り、セリスの前に跪く。
「——お迎えにあがりました」
静かな声。
揺るぎない所作。
セリスが、ガイウスを見る。
「……信用するな」
「分かってる」
「乗るのか」
「乗る」
「……根拠は」
「今の私たちには、立ち止まれる場所が必要よ」
ガイウスが、馬車を見る。
「……リオが死んだ。その意味を——ちゃんと受け止めるための時間が」
ガイウスが「……分かった」と言う。
渋々ではなかった。
セリスが判断したから——従う。
そういう声だった。
馬車に乗り込む。
内装が、豪奢だった。
柔らかな座席。
小さな暖炉。
毛布。
「……温かい」
メイラが、小声で言う。
いつぶりか——分からなかった。
「……どのくらいかかるの?」
セリスがライラに問う。
「馬車で二日。公爵領は帝国との国境に近い。山と森に囲まれた場所よ」
「帝国と国境が近い場所に——公爵の領地が?」
「そう。帝国の三公爵家の中で、最も帝都から遠い位置にある」
「……なぜそんな場所に」
「……それも、本人から聞いてほしい」
ガイウスが「謎が多い男だ」と言う。
「そうね」
ライラが「……でも」と続ける。
「エルマさんは——本物よ」
「エルマ?」
「公爵の奥方。あなたたちを迎える人」
「どんな人?」
ライラが、少し間を置く。
「……温かい人」
珍しい言い方だった。
ライラが「温かい」と言うのは。
セリスが、窓の外を見る。
雨が、続いていた。
馬車が、動き出す。
(……ノイエ)
宝石が、静かに光る。
(どう思う?)
(……判断保留です)
(危険?)
(……可能性はあります。ただし)
(ただし?)
(……今この瞬間、あなたたちを害する意図は感知していません)
(感知?)
(……この馬車の中の空気が。毒も罠も——今は、ない)
(今は、ね)
(……はい。今は)
セリスが、少し笑う。
(……信用しないけど、利用する)
(……合理的な判断です)
(あなたに言われたくない)
宝石が——一度だけ、強く光った。
メイラが、いつの間にか眠っていた。
毛布を被ったまま。
小さく寝息を立てている。
ライラが、その様子を見て——
「……よかった」
小さく言う。
ガイウスが「……お前は眠れるのか」と問う。
「眠れない」
「俺も」
「……そうね」
二人が、窓の外を見る。
雨の中を——馬車が走っていく。
セリスが、目を閉じる。
(リオ)
(私、歩いてるわよ)
(馬車だけど)
(……あなたが守った場所を、ちゃんと受け止めるために)
(少しだけ、休む)
(許してね)
風が——馬車の外で、吹いた。
それだけで、十分だった。
二日後。
山と森に囲まれた谷間に——
大きな屋敷が見えてきた。
堅牢な石造り。
高い塔。
広大な敷地。
「……ヴェストファーレン公爵邸」
ライラが言う。
馬車が、門をくぐる。
使用人たちが、整列して待っていた。
その中に——一人の女性がいた。
四十代後半。黒髪。温かな目。
馬車の扉が開く。
女性が、セリスを見て——
「……よく来てくれました」
静かに、言った。
その声が——どこか。
懐かしかった。
理由は、分からない。
だが——セリスの胸に。
何かが、残った。
リオが守った場所を——
私たちは、歩いていく。
馬車でも、雨の中でも。
それが——彼への、答えだから。
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あとがき
ここまでお読みいただきありがとうございます!
ライラが、ついに打ち明けました。
「私がこのグループに合流したのは——偶然じゃない」
そして——公爵家の迎え。
黒塗りの馬車。漆黒の騎士十数名。
馬車で二日。山と森に囲まれた公爵邸。
待っていたのは——エルマ。
「よく来てくれました」
次回も続きをぜひ見届けてください!
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