夜明けの情報
夜明け前。
ライラが戻ってきた。
「遅かったわね」
セリスが言う。
眠れなかった。
ずっと、起きていた。
「……待ってたの?」
「たまたま」
ライラが、少し目を細める。
「……嘘が下手ね」
「情報は取れた?」
話を変える。
ライラが外套を脱ぎながら言う。
「取れた。帝国の本隊は北東から来る。リディア公国との境界を越えて」
「時期は?」
「早ければ三週間後。遅くとも一ヶ月以内」
「……確度は?」
「高い」
「どこから取った情報?」
ライラが少し間を置く。
「……信頼できる筋から」
「信頼できる筋、ね」
「そう」
セリスは、ライラを見る。
疲れた顔。
だが——目だけは、冷静だった。
(……この人は)
(まだ、何かを隠している)
だが——今は聞かない。
「ありがとう」
「礼はいらない。取引だから」
「それでも」
ライラが、セリスをしばらく見た。
「……寝なさい。明日、動くんでしょ」
「あなたこそ」
「私はいい。慣れてるから」
セリスが「そう」と言って——
「ライラ」
「なに」
「……夜中に、どこへ行ってたの」
沈黙。
「情報収集」
「それだけ?」
「それだけ」
セリスは、その答えを黙って聞いた。
「……分かった」
「聞かないの?」
「聞く必要がある時に聞く」
ライラが、わずかに目を細める。
「……そう言えば、前にも同じことを言ってたわね」
「覚えてるから」
ライラが小さく笑う。
本物の笑いだった。
「……おやすみ」
「おやすみなさい」
——
朝。
全員に情報を共有する。
「帝国の本隊が北東から。三週間以内の可能性がある」
ガイウスが地図を広げる。
「北東——リディア公国との境界か」
「リディアは山岳地帯。本来なら通りにくい」
「通りにくいから、警戒が薄い」
「帝国はそこを突いてくる」
「……ヴァレンに、その情報は伝わっているか?」
ライラが「分からない」と答える。
「伝えた方がいい?」
メイラが言う。
「……ヴァレンの王は病に臥せっている。誰に伝えれば動くか」
「王の弟は帝国寄りだから、使えない」
「他に、信頼できる人物は?」
ライラが少し考える。
「……一人、いる。ヴァレンの将軍で、帝国に懐疑的な人物が」
「会えるか?」
「……試みることはできる。ただし」
「また、ただし、か」
リオが言う。
「私が動くと怪しまれるかもしれない。私の顔を知っている人間が、この街にいる」
「……帝国の人間か」
「かもしれない」
ガイウスが「セリスが動く」と言う。
「私が?」
「お前の方が、話をまとめるのが上手い」
「……珍しいこと言うのね」
「一度だけだ。忘れろ」
メイラが「また言ってる」と小声で言う。
——
街へ出る。
セリスとガイウスが市場を歩く。
外套を深く被って。
顔を伏せて。
「……帝国の兵、いる?」
「三人。入口付近に」
ガイウスが答える。
「少ないわね」
「監視より、見せしめ用だろう。いるだけで、人が萎縮する」
露店を見ながら歩く。
食料の値段が、高い。
「徴収の影響か」
ガイウスが小声で言う。
「そうね」
——
その時。
「放せ——!」
子どもの声。
路地の奥から、少年が走ってくる。
帝国兵が三人、追っている。
「徴発令を知らないのか。お前の家の食料を提出しろ」
「でも、それしかないんだ——!」
周囲の人々が、目を逸らす。
関わりたくない顔。
だが——
セリスが、前に出た。
「待って」
外套を深く被ったまま。
「その子の家の食料の分、私が払います」
帝国兵が振り返る。
「……何者だ」
「旅の者です」
「徴発令に口を出すな」
「口を出しているわけではありません。私が払うと言っているだけです」
ガイウスが後ろで小さく息をついた。
セリスが懐から硬貨を取り出す。
帝国兵が「……まあ、いい」と言う。
少年が解放される。
硬貨を渡す。
帝国兵が去る。
——
少年が、セリスを見上げる。
「……ありがとう」
「大丈夫?」
「……うん」
「家族は?」
「お母さんと、妹がいる。お父さんは、徴発で連れて行かれた」
「……そう」
セリスが、少年の頭に手を置く。
「食料は、また集まる」
「……でも、今日食べるものが——」
「何か買って帰りなさい」
硬貨を、少し多めに渡す。
少年が「でも——」と言う。
「いいから。早く帰りなさい」
少年が、しばらくセリスを見て——
「……おねえちゃん、すごいね」
「そんなことないわ」
「すごいよ。みんな、見てるだけだったのに」
セリスは、少し笑う。
「早く帰りなさい。お母さんが心配するから」
少年が頷いて、走っていく。
——
その場面を——
少し離れた場所から、リオが見ていた。
全員が少年の後を目で追っている間。
リオだけが、セリスを見ていた。
(……こうやって、守るんだな)
倒すのではなく。
力で制圧するのではなく。
ただ——前に出て。
声をかけて。
硬貨を渡して。
それだけで。
少年が走って帰っていく。
(……俺には、できるか)
リオは思う。
(……いや)
(できないんじゃなくて)
(考えたこと、なかっただけか)
——
将軍の屋敷へ向かう道。
ガイウスがセリスの隣を歩きながら、小声で言う。
「……所持金が減った」
「ごめんなさい」
「謝罪は不要だ」
「じゃあ、なんで言ったの」
「確認しただけだ」
セリスが「ふうん」と言う。
「……あの子が守れてよかった」
「ああ」
(ノイエ)
(所持金の計算上、まだ問題ない範囲です)
(そういうこと気にするの?)
(あなたの生存に関わる可能性があるため)
(お金がなくても生きていけるわ)
(……根拠は?)
(仲間がいるから)
沈黙。
(……非合理です)
(知ってる)
将軍の屋敷が、見えてきた。
第29話「伝言」(修正版)
朝食を終えて。
全員が卓を囲んでいると——
宿の主人が声をかけてきた。
「お客様に、お届け物が」
折り畳んだ紙を差し出す。
「……誰から?」
「使いの者が置いていきました。夜明け前に」
セリスが受け取る。
開く。
短い文章だった。
『ヴァレン北部に拠点を作った。必要なら使え。——エルディン』
セリスが、小さく笑う。
「……あの人らしいわね」
「誰からだ?」
ガイウスが聞く。
「レジスタンス結成の時に別行動を取った仲間。エルディンという人」
「……名前は聞いたことがある」
「生存者を集めて、拠点を作ると言っていた」
「それが、できたということか」
「そうみたい」
メイラが「どんな人ですか?」と聞く。
「似た者同士、って言ってた人」
「セリスさんに似てるんですか?」
「守り方が少し違うけど」
リオが「どう違うんだ」と聞く。
「……私は目の前の人を守る。あの人は仕組みを作って守る」
「……なんか、でかいな」
「でかい人よ」
ガイウスが「使者はどこへ行った」と問う。
「もう去ったそうです。返事は不要と」
ガイウスが「……徹底している」と言う。
「ヴァレン北部に拠点があるなら——後で使えるかもしれない」
「そうね」
セリスが紙を折り畳む。
(……エルディン)
(あなたは、ちゃんとやってるのね)
——
「昨日、将軍の屋敷へ向かう途中で少年を助けた」
セリスが全員に話す。
「その時に気づいた。この街は——もう限界が近い」
「食料の値段が上がっている。徴発も増えている」
ガイウスが補足する。
「将軍が動けば、状況が変わるかもしれない」
「将軍との会合は——今日の午後だ」
「準備は?」
「最小限の装備で行く。目立たないように」
ライラが「将軍の屋敷への道、私が案内できる」と言う。
「ありがとう」
「取引だから」
「それでも」
ライラが「……そういうところ、変わらないわね」と言う。
悪い意味ではない声だった。
——
リオがセリスの隣に来る。
「……なあ」
「なに?」
「昨日の少年」
「うん」
「……お前がああいうことをするのを見て」
リオが少し間を置く。
「考えたことがあった」
「どんなこと?」
「……守るって、倒すことじゃないんだな、って」
セリスが、リオを見る。
「気づいた?」
「……ちょっとだけ」
「それで十分よ」
リオが「ちょっとだけじゃ足りないだろ」と言う。
「ちょっとずつ増えればいい」
リオが「……お前は気楽だな」と言う。
「そう?」
「そうだ」
「あなたが難しく考えすぎなの」
「……そうかもしれない」
リオが、前を向く。
「……まあ、考える」
「うん」
「答えが出たら」
「教えてくれるのね」
リオが「……考える、とは言った」とぼやく。
セリスが「同じじゃない」と言う。
「違う」
——
「行くぞ」
ガイウスが言う。
全員が立ち上がる。
街へ出る。
朝の光が、石畳を照らしている。
人々が行き交う。
その顔に——重さがある。
(……守らなければ)
セリスは思う。
(この街も。この人たちも)
足が、前へ進む。




