第五話 歓迎の宴
雫音が風之国に滞在してから、早五日。
十畳以上はある広々とした和室を用意された雫音は、何をするでもなく、毎日を無気力に過ごしていた。
朝昼晩と女中が食事を部屋まで運んでくれるため、夜の入浴の時間と、トイレの際に部屋を出るだけ。あとはずっと、あてがわれた部屋に篭っている。外に出る必要がないからだ。
初めの頃は、何か手伝えることはないかと女中に聞いてみたりもした。
けれど「お客様にそのようなことはさせられない」と、はっきり断られてしまったのだ。
与人からは、庭を自由に散歩してもいいと言われていたが、ここ数日間の天候が生憎の雨模様なこともあり、とても外に出る気にはなれなかった。この雨は雫音が降らせてしまったものなので、それは自業自得の話ではあるのだが。
「雫音殿、今よろしいですか?」
「……はい」
今日も変わらずぼうっと過ごしていた雫音のもとを訪ねてきたのは、与人だった。
与人は、こうして一日に何度か雫音のもとを訪ねてきては、何か不便なことはないか、困っていることはないかと気にかけてくれる。
そして、雨が降ったおかげで何とかという名前の薬草が育っただとか、畑の作物が育ちそうだとか、どこどこの店の甘味が美味しいのだとか。
そんな他愛のない話をして、去っていくのだ。
領主という立場であれば忙しいはずなのに、時間を割いてわざわざ雫音のもとを訪ねてきてくれるのは、暇を持て余している雫音を気遣ってのことなのだろう。
与人は今年で二十歳になるそうだ。高校三年生である自身とそこまで年も変わらないというのに、素性も分からない怪しい女をこうして迎え入れてくれて、ましてや心を砕いてくれるだなんて……やはり心根の優しい人なのだろうな、と。
雫音は思いながら、今日も与人の話に耳を傾ける。
「実は本日、雫音殿を歓迎する、宴を開こうと思っているのです」
「宴、ですか?」
「はい。美味い料理をたくさん用意していますから、楽しみにしていてください」
「いえ、私は宴だなんて……」
「迷惑、でしたか?」
雫音は誘いを断ろうとした。自分のためにわざわざ宴を開いてもらうなど、申し訳ないと思ったからだ。それに、人が多く集まる場所が好きではないという理由もある。
けれど、あからさまに落ち込んだ顔をした与人にジッと見つめられて、雫音は出しかけていた言葉をグッと飲み込んだ。
「……いえ、迷惑だなんて、そんなことはないです。ただ、私なんかのために宴を開いてもらうことが、申し訳なくて」
しゅんとした顔から一変、今度は眉を顰めたかと思えば、与人は不満げな顔をする。
「雫音殿はよく“私なんか”とご自分を卑下するようなことを口にされますが……オレは、雫音殿は素敵な女性だと思います。ですから、もっと自信を持ってください」
純度百パーセントの笑みを向けられた雫音は、心の隅っこの方がむず痒いような、くすぐったいような……今まで感じたことのない、妙な気持ちになるのを感じた。
男の人にこんなにも真っ直ぐに賛辞の言葉を伝えられたのは、多分、生まれて初めてのことだったからだ。
雫音は曖昧に微笑みながら、小さく頭を下げる。普段あまり笑顔を作ることがないので、口角がピクリと引き攣るのを感じた。
「……ありがとう、ございます」
「いえ。それでは、また夜にお会いしましょう」
雫音の歪な笑顔とは対照的に、与人は自然で爽やかな笑顔を浮かべると、そろそろ執務に戻ると言って雫音の部屋を後にした。
一人残された雫音は、肩の力を抜いて、ふぅっと息を漏らす。
与人が善人であることは分かっているが、それでも雫音は、一人でいる方がずっと気楽で、安心できる。他者と関わり合うことに、共に時間を過ごすことに、慣れていないのだ。
そして、宴の誘いを断れなかったことに再び嘆息しながら、閉められた障子戸を少しだけ開けて、縁側の向こうの庭をぼうっと見つめた。雨に濡れて、木々の緑が濃くなっている。
いつの間にか雨は上がっていたが、見上げる空は鉛色のままで、眩しい太陽の姿は見えなかった。