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霖雨蒼生(りんうそうせい)の姫君にはなれない。  作者: 小花衣いろは


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第二十九話 小さな旅の同行者



「それで、その黒い鳥は何?」

「その、この子は……」


 雫音の肩にちょこんと乗っている黒い鳥は、千蔭と目が合うと、フイッと顔を横にそむけた。その態度に、千蔭は口許を微かに引き攣らせそうになった。しかし相手は鳥だ。気持ちを落ち着かせて、まずは雫音から話を聞くことにする。


「山賊の襲撃があった最中に、茂みの中で怪我をして動けなくなっていたんです。軽く止血をしていたんですが、その時に山賊に捕まってしまって。この子とはそれきりだったんですけど……」


 あの騒動から二日が経っている。皆で虹を見て直ぐ、雫音は一人で茂みを確認しに行っていたのだが、そこに鳥の姿はなかった。そのため、どこかに飛んで行ってしまったものだと思っていたのだ。

 しかし、今朝。雫音が起床して障子戸を開けたら、庭の方からこの鳥が飛んできた。怪我もすっかり治っているようで安心したのだが、そのまま雫音の膝元で羽を落ち着かせたかと思えば、それから雫音のそばを離れようとしないのだ。雫音がどこかへ移動するたびに、後を飛んで付いてくるようになってしまった。


「もしかして、旅に連れて行く気?」

「いえ、そう考えていたわけではないんですが……」


 雫音は困り顔で自身の肩に止まっている鳥を見つめる。雫音に見られていることに気づくと、鳥は「ピイ」と鳴きながら、その黒い羽根を小さく羽ばたかせた。


「……どう考えても怪しいよね。そもそも人の言葉を理解している時点で、普通の野鳥ではないし。元々飼われていた可能性も高いし、あるいは……。まぁ正直俺は、旅に連れて行くのはあまり賛同できないかな……って、いった!」


 千蔭は訝しそうな目を向けて苦言を呈そうとしたが、その瞬間、鳥が千蔭のもとまで飛び立ちその頭を嘴で突いた。千蔭に睨みつけられた鳥は、雫音の肩に戻ってまたそっぽを向いている。千蔭の顔が引き攣っているのが分かり、雫音はどうしたものかと狼狽えてしまう。


「……まぁ、雫音も頑張ってたし。鳥の一匹くらい、いいんじゃない?」


 そこで鳥の肩を持ってくれたのは、まさかの天寧だった。

 次いで、黙って成り行きを見守っていた八雲も口を開く。


「女。お前はどうしたいんだ」

「え? 私ですか?」

「あぁ。その鳥を旅に同行させたいのか? お前にやけに懐いているようだが、その場合は、お前が面倒を見ることになるんだぞ」


 八雲に問われて、雫音は考える。


 雫音がこの鳥の手当てをしようとしたのは、ただ、目の前で痛そうな思いをしている鳥が可哀そうだと思っただけだ。助けたいと思っただけだった。特にその先のことまで考えていたわけではない。――けれど、あの時。


 “一緒についてきてくれる?”


 そう声を掛けたのは雫音だった。そしてこの黒い鳥は、同意するように「ピー」と鳴いてくれた。もしかしたらあの時の雫音の言葉を律儀に守って、こうしてわざわざ戻ってきてくれたのかもしれない。


「……連れて行きたいです」


 気づけば雫音は、そう口にしていた。

 目が合った黒い鳥は、雫音の返答に嬉しそうに「ピイ」と鳴いている。


「……だそうですが、どうされますか? 私は頭の判断に従うのが良いかと思います」


 八雲は千蔭の判断を仰ぐように目を向ける。


「……はぁ、分かったよ。雫音ちゃんに害をなすような感じもしないしね。それに鳥の一匹くらい、何かあっても対処できるし」


 渋々といった様子ではあるが、千蔭は鳥の同行を認めてくれた。


「ただし、少しでも怪しいと思ったら、その時は問答無用でその場に置いて行くから」


 千蔭が鳥を見据えて言えば、鳥は「ピイ」と不遜な態度でひと鳴きしてまた顔をそむけた。完全に、千蔭を馬鹿にしているような態度だ。千蔭の口許がまた引き攣っている。――どうやらこの一人と一匹、相性があまりよろしくないようだ。

 しかし千蔭の許可も無事に下りたので、こうして旅の同行者に、新たな仲間が加わることになった。


「……あれ? 雫音ちゃんさ……」


 鳥の今後についても決まり、お昼の時間まで一旦解散となった。鳥も雫音の肩から飛び立って、どこかに飛んで行ってしまった。しばらくしたら戻ってくるだろう。

 しかし何かに気づいた千蔭は足を止めて、雫音の顔を覗きこむように近づけてくる。僅か数センチしかない至近距離に、雫音は顔を赤くする。


「な、何ですか?」

「いや、今、目の色が……気のせい、か? ……って、雫音ちゃん、顔が真っ赤だけど」

「ち、千蔭さんの距離が、近すぎたせいです!」

「ふーん。……初心だねぇ」


 雫音の反応に、千蔭は目を細めて、何か企んでいるような顔になる。それを察した雫音は咄嗟に距離をとろうとしたが、少し遅かった。


「で、ですから、近いんですって、ば……」


 千蔭の端正な顔が、眼前まで迫っている。息をのんだ雫音は、咄嗟に目を閉じた。

 そして――互いの額がくっついた。


「……前にも言わなかったっけ? こういう時に無闇に目は閉じちゃだめだって。嫌ならちゃんと抵抗しないと」


 雫音はそうっと目を開けた。目の前にいる千蔭は、どこか呆れたような顔で笑いながら、雫音の片頬をむにっと摘まんでいる。

 しかし雫音は、嫌ではないから抵抗しなかったのだ。しかしそれを言う勇気はなかったので、口をへの字にして、不満そうな顔をする。


「……千蔭さん、私で遊んでませんか?」

「うん。揶揄いがいがあるなと思って」

「……千蔭さんの、ばか」


 雫音は拗ねたような顔をして、小さな声で悪態を吐く。

 そんな雫音の表情に、気安い相手にしか口にしないようなその言葉に、千蔭は顔を逸らしてクスクスと笑った。


「……ほんっと、可愛いな」

「千蔭さん、今何か言いましたか?」

「……んーん、何でもないよ」


 出会った頃に比べたら、この子もずいぶん表情豊かになったものだと。その変化が嬉しくて、心がほんのり温かくなるのを感じながら。


 千蔭は不思議そうに首をかしげている女の子の頭を、そっと撫でたのだった。



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