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霖雨蒼生(りんうそうせい)の姫君にはなれない。  作者: 小花衣いろは


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第二十八話 雨上がりの景色(2)



「――頭。無事のご帰還何よりです。お疲れさまでした」


 いつの間にきていたのか、すぐ近くに八雲の姿があった。

 千蔭に声を掛け、そして隣に立つ雫音に目を向ける。


「……その、八雲さんも、お疲れ様です」

「……」


 衣服は泥にまみれ、手の甲など、所々血が滲んでいる。

 力なく眉を下げている満身創痍な雫音を見て、八雲は顔を顰めた。


 雫音は瞬時に(怒られるかもしれない)と思ったが、それは杞憂に終わる。


「……よくやった」

「……え?」


 八雲は、ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向く。


(……今、八雲さんに褒められた?)


 信じられなくて口を半開きにしている雫音を一瞥して、八雲は眉根を寄せる。


「おい、何だその腑抜けた顔は」

「え、と、その……まさか八雲さんにそんな風に言ってもらえるとは、思っていなかったので……」

「言っておくが、お前を認めたわけではない。ただ、今回の功績についての評価をしたまでだ。勘違いするなよ」

「はっ、はい。ありがとうございます」


 雫音は頭を下げた。鼻の奥がつんと沁みる。気を抜いたら、また泣いてしまいそうだった。

 八雲にとっては何気ない、ただ口を突いて出ただけの労いの言葉だったのかもしれない。それでも、こうして声を掛けてもらえたことは、ほんの少しでも認めてもらえた証のような気がして、堪らなく嬉しかった。


「あっ」


 シルヴァと話していたフィシが、空を見上げて声を上げた。


 いつの間にか霧が晴れ、雨も止んでいる。

 雲間から陽が差している。――怒涛の夜が明け、朝がきたのだ。


「見ろよ、虹だ! すっげー大きいな」


 見上げれば、白んだ空に、大きな大きな虹がかかっていた。

 藍色と薄紫色が混ざり合い、東の空は赤く染まり始めている。光が滲んだ空を背景にした七色の橋があまりにも幻想的で、美しく、雫音は声を出すことも忘れて魅入ってしまう。


 すると、東の空からは陽が出ているというのに、頭上に揺蕩う雲からぱらぱらと小雨が降ってきた。


 ――雨が降っている時は、神様が代わりに泣いてくれているのよ。


 雫音は、母の言葉を思い出しながら考える。


 あれは幼い頃、泣き虫だった自分をなだめるために言ってくれていた言葉だ。けれど雫音が嬉しい時には、反対に雨が降ることが多かった。

 雫音は仕方ないと諦めながらも、どこかで神様を恨んでいたのかもしれない。どうして私が嬉しい時に泣いているの。神様は私のことを嫌っているんじゃないのかって。


 だけどこの世界にきて、気づいた。


 雨は、忌避するものじゃない。疎むべきものじゃない。天からの恩恵である雨は、いつだって雫音に寄り添ってくれていた。


 “止まない雨はない。雨上がりの空はいつもよりずっと綺麗に見える”


 あの日、千蔭から貰った言葉の数々は、宝物のように大切に胸に仕舞っていた。

 チラリと視線を持ち上げれば、千蔭も雫音を見ていたようだ。視線が交錯する。


「ほらね。俺の言った通り、綺麗でしょ?」


 自分はただの雨女で、その他に特別な力を持っているわけでもない。お姫様になんてなれっこない。だけど――。


「……はい。すごく、綺麗です」


 ――この世界で生きていきたい。

 叶うのならば、これからもずっと、この人のそばにいたい。


 雨降らしの旅はまだ続く。この旅の終着に何が待っているのか、それは分からないが、虹を見上げて目を細めている千蔭を見ながら、雫音はそう願った。



お読みいただきありがとうございます。あと2話で第一部が完結になります。

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