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霖雨蒼生(りんうそうせい)の姫君にはなれない。  作者: 小花衣いろは


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第二十四話 精霊(2)



「……今、何か聞こえませんでしたか?」

「そうか? 俺には何も聞こえなかったが」

「その、音、というよりは……何だろう、声にも聞こえます。不思議な感じの音で……でも、聞いていて嫌な感じはしません。むしろ心地よく感じるような……」


 不思議な音の正体の見当がつかず、雫音は訝しそうな顔をして視線を巡らせる。けれど、その音がどこから聞こえてくるのかさえも分からない。

 けれどシルヴァは、雫音の言う不思議な音の正体に心当たりがあるようだ。


「もしかしたら、精霊の声かもしれないな」

「……精霊の声、ですか?」

「あぁ。意識をその声に集中して、耳を澄ましてみろ」


 雫音は目を閉じて、耳を澄ます。確かに聞こえるその音は、集中して聞いてみれば、確かに話し声のようにも聞こえる。


『――ぇ、ね――して……よ』


 幼い男の子の声にも聞こえるし、女性のような声にも聞こえる。無邪気で、けれどこちらに寄り添ってくれるような、包み込んでくれるような穏やかさを持った声だ。


「何て言っているのかは分かりませんが……すごく、優しい声に思えます」

「そうか。俺は、いつでも精霊たちの声を聴くことができるわけではないからなぁ。今はさっぱり聞こえない」


 シルヴァはからりと笑いながら、再び、夜空に浮かぶ月に視線を移した。


「俺の母親は、俺を産んですぐに亡くなっている」


 そして、自身の身の上を語り始める。


「幼い頃、俺はいつも一人だった。正確にいえば、将来、長として緑之国を統べることになる俺の周りには、側仕えの大人たちが大勢控えていたが……心を許せる者がいなかったという意味では、一人のようなものだった。生活に不満はなかったが、それでも、子どもながらに重責に押しつぶされそうになって、弱音を吐きたい時もあったんだ。……そんな時に話し相手になってくれたのが、精霊たちだった」


 シルヴァは語る。幼い頃の思い出を。

 精霊は、幼いシルヴァにとっての、友人のような存在だったようだ。


 その当時のことを思い出しているのか、懐かしい目をして遠くを見ているシルヴァの顔からは、精霊たちのことを大切に思っていることが伝わってきた。


「幼少期に比べれば、精霊たちの声を聴くことができる機会も減ってしまったが……それでも、今もそばに居てくれるのだと、その気配を感じることはできる。もし今後、雫音が困ることがあれば、精霊たちは力を貸してくれるだろう。それに、俺も力になるからな」

「シルヴァさんも、ですか?」

「あぁ。雫音は、他の国にも雨を降らせに行くのだろう? これからの旅にも同行したいところだが、立場上それは難しいからな。だから、俺に何かできることがあればいつでも言ってくれ」

「……ありがとうございます、シルヴァさん」


 雫音の礼の言葉に、シルヴァは、満足げに微笑んだ。

 かと思えば、突然、何か閃いたような顔をして、楽しそうに笑う。


「そうか、分かったぞ」

「分かったって、何がですか?」

「精霊たちが何を伝えようとしていたのか、だ。精霊たちは多分、雫音の歌をもっと聴きたいと言っているんじゃないだろうか」

「え? ……私の歌を、ですか?」

「あぁ。……まぁ本音を言えば、俺がもう一度聴きたいだけというのもあるんだがな」


 片目を閉じたシルヴァは、茶目っ気をはらんだ笑みを浮かべる。

 屈託のない表情に、雫音は肩の力を抜いて、ほんの微かに口角を緩めた。


「それじゃあ……少しだけ」


 雫音は歌う。優しい記憶を胸に、母との思い出の歌を。

 すると、遠くの方でまた、あの優しい音が響いているような気がした。



 ***


 雫音が部屋に戻り、辺りは静寂に包まれる。


「いるんだろう?」


 ひと気のない縁側で、シルヴァは確信を持った声色で尋ねる。

 そして相手からの返答を待たぬうちに、同意を求めるように問いかけた。


「雫音は良い娘だな」

「……はい。そうですね」


 物陰に身を潜めていた相手は、淡々とした声で答える。


「心根が優し過ぎて、一人で多くのものを抱え込みはしないかと心配にもなるが……まぁ、保護者殿もついているから問題はないか」

「……俺は、保護者ではないですよ。あの子の面倒を見ているのは、それが任務であるから。俺はそれを遂行するまでです」


 その言葉を最後に、話し相手の気配は、音もなく消えた。


「……忍びというのも、中々に難儀な存在だな」


 囁くようにそう言って、シルヴァもその場を立ち去る。

 顔を出していた月は雲に隠れ、再び小雨が降りだした。



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