赤い糸が、男女の仲でつながっているのが、結婚相手といわれる。この話しは、赤い糸の繋がりを求めて赤い糸に、本当に繋がった人が居るのか、糸を手繰って言った子供の話です。
「え、幼稚園に行くの、」行きたくないとは言えなかった。母は、今風に言えばドグ親かも知れない、母の言った事に対して、2回不満の意思をだすと3回目には、叩かれる、母の言うことは、絶対なのだ、太平洋戦争が終わり20年も経っていない時の事だ、少し豊かになり、教育ブームが始まりの頃だ、突然、幼稚園の話がでた。私は、姉や兄とは、7歳以上離れている、姉や兄が、幼稚園に行く年の頃は、この国は、高度経済成長のまえで、幼稚園に行く事などほとんどなかった。埼玉県の西部の田舎の町だかかもしれないが?当然私も、行かないものだと思っていた。父は、私が、ロンパールームと言うテレビ番組を欠かさず見ていたので、幼稚園のようなものが、好きなんだろうと思っていた様だ。私が好きだったのは、優しくて、美人の、みどり先生だった。幼稚園に行く話しに喜んでない私に、幼稚園を見せれば行く気になるだろうと母に言い、私は幼稚園を見に行く事になった。1つは、保育園で、もう一つが幼稚園だった。母は、面倒くさがり、父に言われたから仕方無しに連れて行くのだから、はっきり決めろと怒り気味だった。私の家は、6人家族で、父、母、姉、兄、姉、私であるが、すぐ上の姉と、7歳以上離れているので、大人中に、子供が居る感じで、私は、この5人に逆らう事は出来なかった。嫌な事でもハッキリと嫌だとはいえなかった。その頃の私は、ハッキリと、物事をいわないので、名前に、ちなんで、愚図マサと言われていた。この時も母は、愚図、愚図、言わせないからなと、言わんばかりだった。ハッキリ決めろと言われても、どう決めたらいいかわからない、ただ見た目だけで決めろ言われても、私の気持ちの仲でハッキリしている事は、みどり先生が居るわけでも無い、幼稚園も保育園にも行きたくないと思っていた事だった。そんな事言ったら母に、どんなふうに怒られるか考えるだけで怖かった。「この馬鹿、何色気づいてんだ、まったく、父ちゃんにて、女好きなんだから。」たぶん、こんな調子だ思う。母は、面倒くさそうに家に帰りながら、どちらにするか、何遍も聞いてきた、私は、幼稚園と、保育園の違いが解らなかった、ハッキリした違いは、スベリ台が、幼稚園は螺旋で保育園のは真っ直ぐだった、私は、螺旋のスベリ台を、滑った事がなかっので、螺旋のスベリ台がある幼稚園の方が良さそうなので幼稚園に決める事にした。ただ母に、螺旋のスベリ台が、良いから幼稚園するとは言えなかった、そんな事言ったら、又、何を言われるか解らない、私は、考えて、「幼稚園は、歩いて行けるけど、保育園は、バスに乗って行くのだから、バスは、酔うから幼稚園が良い。」というと母も、少し考えて、解ったそうしろと言ってくれたのでほっとした。正式に幼稚園に行く事が決まり、新年を迎えたテレビでは、楽しそうに新年祝っているが、私は、気が重い新年だった。なにしろ、みどり先生の居る幼稚園に、いくわけでもないのだから、気が重い日が続き、とうとう、幼稚園に行く日が近づいて来た。楽しみと言えば、まだ、滑ったことのない螺旋のスベリ台を滑ることだけだった。4月になり、入園式に向かった、園門を入り、螺旋のスベリ台のあった場所を見ると、螺旋ではなく、真っ直ぐになっていた、私は、頭が混乱した。何遍見直しても、真っ直ぐだった。たぶん、古くなって危険なので、取り替えたのだと思う。しかし、私にしたら、ユイツの楽しみの螺旋のスベリ台が無い、この幼稚園に通う意味がない。楽しみが無い、これで長い1年間通えるのだろうか、もし通いたくなくなったら、母や姉兄に、何を言われるか解らない、幼稚園に行来たくないとは言えない、私は、何か他の楽しみを見つけなければと、回りを見渡したが、目新しく私の興味をひくもの物は無かった、私は、もう一度キョロキョロと、周りを何度も見渡した。あれ、女の子が沢山いる、私は、スベリ台の事しか頭になかったので、全然気づかなかった。同じ学年の子が100人以上いて、その半分が女の子だった。こんなに多くの同学年の子を見たのは初めてだった。そうだ、この中に可愛い女の子が居るかも、一番可愛い女の子と、仲良くなって毎日遊んだら、螺旋のスベリ台より、楽しいかも、クラス分けで、3クラス分かれた、このクラス中に、可愛い女の子が居るかも、女の子を見渡した、イター、可愛いと言うより、 背が高く、今で言うスレンダータイプの目鼻立ちの整った美人タイプの娘だった、廻の女の子の中で、ひときは耀いていた。この娘に決めた。 私は、この入園式の日、この可愛い娘を観察していた、おとなしく、ひとやかで、私の家の近くの、 よく遊んで居る女の子とは、全然違う雰囲気だった、見た目も良く、雰囲気も良い、私は、この娘と仲良くなるのが楽しみだった、名前も、親しくしている子が、アッチャンと呼んでいた。家に帰った私は、明日からアッチャンと仲良くなる事を考えると、嬉しくて仕方なかった。あれだけ幼稚園に行くのが嫌だったのが、嘘のような気がした。朝が待ち遠しいかった、翌日、幼稚園に行き教室に入ると、さっそく、アッチャンを捜した、いたいた、おとなしく独り椅子に座っていた、やはりアッチャンは、おしとやかな娘だった。私は近づき、「アッチャンおはよう」と言った、アッチャンは、私を観て少し間をおいて、「やまたに君、おはよう」と言った。今日初めてアッチャンに話しかけたのに何で私の事を知っているのか、「アッチャン、僕の事知ってるの?、」「うん、名札に、やまぐみ、やまたにしょうじと書いてあるから、やまたに君でしょ、」「アッチャン字が読めるんだ、」「うん、ひらがなだけだけどね。」私は、びっくりした、字は、学校で、覚えるものだ思っていた、幼稚園に入る前から字が読めるなんて、頭の良い子なんだと、益々アッチャンが好きになった。私は、アッチャンに夢中なりこの日から幼稚園に居る間アッチャンの側にいて一緒に遊んでいた。1週間が過ぎた頃、明日は、園外散歩で、30分くらい歩いて神社の公園行くとの事でした。私はアッチャンに、先生が、集まりなさいと言ったら、いそいで、集合場所に行き、1番先頭で手をつないで行こう言いました。アッチャンは、ニコッとしてうなずきました。翌日、予定どおり先頭で、2人で手をつないで公園まで行き、一緒に遊びお弁当食べて、帰りも、手をつないで幼稚園まで帰って来ました。この日から2人の距離は縮まり、幼稚園の中で、どこに行くにも、手をつないだりしました。2週間後また、園外散歩の日が来ました、アッチャンと予定どおり先頭にならんで待っていると、すごく怒った感じの形相の、としひこ君が、「やまたに君、アッチャンと、手をつなぐのは僕だ」と怒鳴ってきました、私は、何を言っているのか理解できず困惑しました、私の困惑しているのを見て、としひこ君は、「だいたい、毎日の登校、下校の時、アッチャンと手をつないでいるのは僕だ、だから、園外散歩の時も、アッチャンと手をつなぐのは僕だ」私は、こいつは、とてつもない馬鹿だと思った、毎日、私とアッチャンの親密な関係を見ていれば、普通は、わかるだろう。私は、少し考ええて、「わかった、それならアッチャンに、2人のどちらと、手をつなぎたいか決めてもらおう」と提案した。としひこ君は、うなずいて、「そうしよう」と言った。こいつは、この意味が、まるっきり解ってないな、この結果を、こいつはどう理解するのだろうか私は、何か、こいつの不気味な自信に怖さを感じた。私は、「アッチャン、どっちと手をつなぐ、」「ハーイ、私、やまたに君。」そうだよな、ごく普通のアッチャンの答えなのに、こいつせいで、妙な、緊張感を感じた。こいつと思い、としひこ君をみると、あの、怒って私に殴りかからんばかりの形相だった、としひこ君が、頭をさげ、ひざから崩れるように、へたりこんでいた。風船が、しぼんでいくように見えた、私は、なにか、可哀想なことをした気がした。本当に面倒くさいやつだと思った。今度はアッチャンを見ると、私を見ながら無邪気に微笑んでた。私は、あまりの、アッチャンの可愛さに、「アッチャン手をつなごうか」というと、アッチャンは、微笑みなが手を差し出してきた。私は、ギュット、アッチャンの手を握りしめた、アッチャンも、握り返してきた。この瞬間、表現の出来ない幸せを感じた。これがテレビドラマなどの恋なのかと思った。年頃の姉たちは、青春令愛ドラマに夢中で、テレビよく見ていた、母も、昼メロ、よろめきドラマ見ていた、私は、一人で遊びながら、ドラマをみながら、大人になると、男も、女も、たいへなんだなと思っていた。しかし、このお互いが、好きと言う一つの形ができた時、夢の世界に居るような気がした。この日から2人の関係は、より親密になり、その親密さは、おままごとの形で現れた。今までは、ただ、おままごとセットを使って、ご飯を作る真似したり、ご飯一緒食べる真似だったりした。しかし、この日からのおままごとは、ドラマの新婚生活の様に、アッチャンが、私を朝起こすところから始まり、「あなた、起きてください、お仕事へ行く時間ですよ、顔洗って、歯を磨いてくださいね、タオルここに置きますね、さあ、お食事ですよ、あなた、いってらっしゃい。」まるで、テレビドラマの様な、おままごとだった。とくに、あまり積極的でなかったアッチャンが、台本があるわけでもないのに、ドンドン、リードしていくのでびっくりした。そして驚いた事に、2人のおままごとを見ていた子たちが、何か感化されたように、アタシも入れて、僕も入れてと言ってきたので私は、困惑した。どうすれば良いんだろう、私は、思いつた、この場合は、夫婦のオママゴトだから、子供が、いても良い、結局、私とアッチャンは、あっという間に、新婚から、子どもいる、夫婦なってしまった。アッチャンは、子ども出来ると、よりいっそうリアルになり、「さあ、あなた達、お父さんに、朝の挨拶をしなさい」とか、「ご近所様に、迷惑をかけない様に遊ぶのよ。」極めつけは、「はい、あなた、お帰りなさい、お茶が入りましたよ、飲んでください、それで今日はあなたに、お願いがあるんです。子ども達を褒めていただきたいのです。3人とも、すごくいい子にしていたんですよ、さあ3人とも、ここに来て、お父さんに、褒めてもらいなさい。」私はこの時、これはテレビドラマなどで見たのではなく、リアルに、アッチャンの家の姿だと思った。この事があって以来、アッチャンの姿を通してアッチャンの母の姿を見ているような気がした。私は、こんな素晴らしい母親を持つアッチャンがうらやましかった。それにしても、あまりにも、私の母との違いに唖然とした。私の家では、母が、父に、挨拶をしたことがない、とうぜん、父親に、お茶入れたこともないし、母の口から出る言葉は、愚痴だけで、つねに、自分が苦労して、亭主も、子どもも、自分をかばう気がない、何で、私だけが、苦労しなければいけないのか。又、私に言う毒舌は、「いいか、てめえが、そうやって母ちゃんをこまらせてることばかりやっていれば、かあちゃんは疲れて早死にするんだからな、そうなれば、父ちゃんなんか、若い女が好きなんだから、若い女と再婚して、まま母が来て、てめえなんかイジメられるんだからな。」自分の意に反すれば、何であれ、ののしり、すぐに、悔しがり関係ない子どもにまで毒舌はくのでした。私は、子供ながらにこの母の、ワンパターンの毒舌覚をえてしまっていた。この母とは、真逆に私事を大事に思い、接してくれるアッチャンの事が、ドンドン好きになっていった。姉たちが、青春ドラマ見ながら、赤い糸で、結ばれている人に、いつ出会うのか話していた。私は、アッチャンと言う人に出会って、ままごとの夫婦しているが、本当にアッチャンとは、赤い糸で結ばれて居るのかも知れない、私は心のなかで祈った、アッチャンと赤い糸でむすばれていますようにと。毎日、毎日、来る日も、来る日、アッチャンといるだけで、幸せを感じた。不満を言えば、幼稚園以外では、アッチャンに会えなかった。これは、私の家が、特殊な地域にあり、鉄道路線と産業道路に挟まれていて、交通量の多い道路を渡らなければ、ほかの地域に行けなかった。アッチャンの家は、団地の仲にあり幼稚園も団地の中にあった。子供一人では危険なので、母から絶対に、産業道路を渡ってはいけないと、きつく言われていた。それに、毎日アッチャンといられるので、日曜日ぐらいは、次の日は、会えるので、良いかなと思っていた。この頃の私は、こんなにも幸せで良いのかと思った。母は、赤い糸で結ばれて結婚したはずなのに、父の事を愚痴ってばかりいる。12歳違う姉は、現在、赤い糸の相手を探している。10歳違いの兄は、高校に通いながら、愚連隊の仲間と、遊びふけっている。7歳違いの姉は、中学で、陸上部に入り、部活に追われる日々だ。私だけが、赤い糸で結ばれているアッチャンに出会い、幸せを満喫している。家族の仲で1番不幸なのは、父親だと思った。父は、進駐軍基地のアメリカ式の消防署に勤めていた。一日交代の勤務なので、非番日には、アルバイトをしていた。働き者である。そして、子煩悩であり、特に私しに対しては、私を母が、子どもは、三人いるからオロスと言ったのを、俺が育てるから産んでくれと、母に頼み込んで私がうまれたので、父は、よく、私の面倒を見て、私の事を、バイクの後ろ乗せてつれあるいた。これだけ面倒をみてもらい、、私だけが、アッチャンの様な可愛い子に巡り会え、このまま、赤い糸で結ばれる、父は、優しさの欠片もない、母と赤い糸で結ばれている、あまりにも、違い過ぎて申し上げなさがあった。赤い糸とは、何なんだろうと思った。幸せな日々続き幼稚園も夏休みなった。当然、アッチャンにあえなくなった。私は、アッチャンとのことは、家族には話してない、こんな話をしたら、ませたガキだとか、理由のわからないこと言われ、罵られるだけだ。だから、アッチャンに会いたいなとどいえない、ゆいつ、会えるとしたら、一日だけある、お泊り保育だの日だ。待ちに待ったお泊り保育の日に、夏風邪をひいてしまい、アッチャンに、会えなかった。結局、9月1日の始業式の日まで会うことが出来なかった。始業式の日に私は、アッチャンに、会いたいだけで、他のことは何もかんがえずに幼稚園に向かった。この日は、朝礼があるので、みんな校庭にいた。私が、アッチャンを探していると、としひこ君が、寄ってきて、妙な、したり顔で、「やまたに君、アッチャンを探しているの、アッチャンは、いないよ。千葉県に、引っ越したから、もう、会えないよ。」私は、こいつ何を言っているだと思った、しばらく、唖然としいて、思考が止まっていた。朝礼が終わり、教室に入ると、しらない子が3人いた、アッチャンは、いない、先生が、他の幼稚園から、転校してきた子を紹介していた。そして、アッチャンが、家庭の都合で千葉県に、引っ越したので幼稚園を辞めたと話があった。としひこ君の言っていたこと本当だった、私このことを、同処理していいか、解らなかった。さみしとか、悲しいとか、苦しいとか、そういうものでは無い、表現のしようのない、物に襲われていた。ただ、自分が壊れていきそうな気がした。アッチャンと、会うことしか考えていなかったので、次が、無いなのだ。私は、この次が無い自分を周りの子に、悟られるのが、すごくやだった、特に、としひこ君にだ。あのしたり顔、私を見る、ザマア見ろと、言わんばかりの目つき、この次の考えが無い事を必死に隠そうとした。この日から、自分の心が崩れるている、立ち往生しているすがたを、家族であり、誰にも悟られたくなかった。結局は、人はみんな、としひこ君とおなじで、ザマアみろ、調子に乗って居るから痛い思いをするんだと、なじられるのがオチだ。特に、母などにしれたら、どんなふうに、なじられるか、考えただけでも、ゾッとした。しかし、こう毎日のズタボロの心を、悟られたくない思いで、暮らすのは疲れる、アッチャンの事しか考えずにいたので、次どうしていいか、頭に浮かんでこない、このどうにもならない、状況を家族にさえ相談できない、私は、アッチャンの事が頭に浮かんだ、今まではアッチャンに会いたいだけだった。ふと、アッチャンは、今どんな気持ちでいるのかと思った。アッチャンも、私に会いたくて苦しんでいるのかも知れない、この時、この世の中は、なんて、薄情なのかと思った。6歳の男の子と女の子の小さな愛を簡単壊す、こんな世の中は、おかしいと思った。この時代、一般家庭には、電話も無く、通信手段は、手紙、急ぎの場合は、電報だった。私は、字もかけないので、手紙を書くことも出来ない。そして、何となく、先生の、アッチャンか、引っ越した話も、歯切れが悪く何か、よほどの事情があったのかも知れない、としひこ君に聞くのも、あいつは、信用出来ないから辞めた。翌々考えれば、アッチャンとの、赤い糸が切れたのではなく、まだ、ハッキリと、アッチャンに、話を聞いたわけでわないので、赤い糸で結ばれていれば、また、合うかも知れない、テレビドラマで、別れたけど再会するのがよくある、私は、かすかな期待をもち、不安定な気持ちを次にどうするか、考える事にした。赤い糸1X終わり 赤い糸2Xに続く