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がんばらんば〜大三東高校吹奏楽部の活動日誌〜  作者: 尋木大樹
11月

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おまけ.黒田宙矢

 幼稚園に通っていた頃、生のオーケストラの演奏を聴いたことがある。

 指揮者と園長先生が知り合いで、その縁で実現したものだった。今考えてみると、あんなにまだ幼い子供がプロの公演を聴きに行くなんて、とんでもなく贅沢な経験だったと思う。その指揮者は海外でも活躍する有名な人で、地元の楽団の人たちはとても緊張していた。

 名指揮者のことを「マエストロ」と呼ぶというのを、この時初めて知った。五歳にしては、なかなかに難しい言葉を覚えたものだ。なんの曲を聴いたのかは、正直記憶にない。ただ、すごく楽しかったのは確かだ。大人数をひとりでまとめるマエストロは、めちゃくちゃかっこよかった。


「この間、孫が誕生してね。遠くにいるから直接は会えてないのだけど、可愛くて仕方ないよ。将来、音楽の道に行ってくれると嬉しいな。君たちの中にも、今日をきっかけにこちらの世界へ来てくれる子が出てくるのを、楽しみにしているよ」


 演奏会後に、そのマエストロは園児たちにそう話してくれた。

 俺は、大人になったら指揮者になろうと思った。









 指揮者になるために、まずピアノを習うことにした。

 俺には、周りより才能があったようだ。高校も音楽科がある学校を選び、出場するコンクールでは常に入賞した。


宙矢(ひろや)君、おめでとう!」

「ありがとうございます!」


 ある時のコンクールで、見事一位を獲得した。周りの大人も、みんな俺を認めていた。


「明日は、是非後輩の応援に来てくれないか? たぶん大丈夫だろうがね。優秀な教え子たちで、私も鼻が高いよ」

「あはは。まぁ明日は休みですし、見学しようかな」


 次の日、俺は弟弟子の出る部門の応援に来ていた。

 その後輩は、中学生の中ではほかと一線を引く実力の持ち主だった。

 始まるまで時間もあり、会場でぶらぶらしていた俺は、そこである夫婦と出会った。


「どうかされましたか?」


 会場の案内図を見ているその夫婦は、とても上品な雰囲気があった。

 ピアノバッグを持った女性は、どう見ても困った様子だ。


「楽屋へ行きたいのだけど、行き方がわからなくて」

「失礼ですが、関係者ですか?」

「そうなるのかしら? 孫がね、今日ここで演奏するのよ。だけど、あの子ったら楽譜をホテルに置いて行っちゃって……。近くにあったバッグに入れて持ってきたのだけど、連絡が取れないの。どうしたらいいのかしら」


 この人、孫がいるのか。そんな歳には見えないな。

 俺なら楽屋に入れるかもしれないから、預かろうか?


「おお! 今、先生から連絡が来たぞ。『楽譜なら持っています』だと? これは使わないのか? それならいいが」


 傍にいた男性が、孫の先生と無事に連絡がついたようだ。


「問題なくて、よかったですね」

「お騒がせしてすみませんね。私たち、孫と暮らし始めたばかりなのだけど、あの子のことはまださっぱりで。今日のこれも、急に決まったのよ。それで久々の遠出になるし、あの子は自由に行動するしで、振り回されてばっかり。娘夫婦も向こうのご両親も、勝手で困っちゃうわ」


 女性は、片手を自分の頬に当てた。見事な「困ったわポーズ」だ。


「まぁ、あの子の演奏をちゃんと聴くのは初めてだから、楽しみでもあるんだ。君も聴いていくのかね? お互い、楽しもうじゃないか。では、失礼するよ」

「は、はぁ」


 男性は女性の腰に手を回し、ホールの中へと入って行った。









 俺の後輩の演奏は完璧だった。これなら、一位は間違いないだろう。

 それにしても、次の最後の出演者はふざけているのか? どうして、中学生の部に小学五年生が混ざってるんだ! どこかのコネか?


 そして現れたのは、小さな少年だった。名前からして、女の子かと思っていた。

 五年生なら、もう少し大きくてもいい気がする。あんな身体で、オクターブが届くのかも怪しい。

 何よりありえないと思ったのは、その選曲だ。難曲と知られる、ハンガリーのフランツ・リストの『ラ・カンパネラ』を持ってきた。大人でも難しい名曲を、こんな子供が弾けるはずがない!









 表彰式ーー。

 俺の後輩はまさかの二位だった。一位は、あの少年だ。

 信じられなかった。俺より上手い。繊細さとダイナミックさを兼ね揃えた、プロ並みの演奏だった。


「あら。さっきはどうも」


 放心状態の俺に、先ほどの女性が話しかけてきた。


「いい演奏会でしたね。みんな上手だったわぁ」


 いい演奏会? これはコンクールだぞ! この人は、ここがどういう場所かわかってないのか?


「せっかくだし、あの子の楽屋へ行ってみたいわぁ。でも、やっぱり難しいかしら?」


 あぁ。まぁ、そうだよな。この人の孫も、俺の後輩と同じできっと落ち込んでいるのかもしれない。だとしたら、励ましてやりたくもなるか。


「よかったら、一緒に楽屋に行きませんか?」

「まぁ! よろしいの? 嬉しいわ」

「自分も用事があるんで、案内しますよ」


 気づけばそんなことを言っており、俺は夫婦と一緒に出場者がいるであろう楽屋方面へ向かった。









 廊下で、俺の後輩が盛大に泣いていた。

 その悔しさは、よくわかる。もし昨日のコンクールにあの少年がいたら、俺もこうなっていた。


「可哀想に。これ、お使いになって」


 女性は、高級そうな品のあるハンカチを渡してあげた。

 知らない人からいきなり慰められ、後輩は戸惑っている。


「あ、ありがとう……ございます」

「いいのよ。男の子でも、泣きたい時はあるのでしょう。それにしても、あなたの演奏もとっても素敵だったわよ。素晴らしかったわ」

「そうだな。私の娘もずっと音楽に関わってはいるが、あれはどうも合わん。だが、君のはとても聴き心地がよかった。誇りなさい」

「……はい」


 男性からも言葉をかけてもらい、いつの間にか涙は止まっていた。


「おふたり共、ありがとうございます。彼は、自分の知り合いでして」

「そうだったのね。それなら、あなたもピアノを?」

「はい。実は昨日出場しまして」

「あら。それはお疲れ様でした」


 それから、俺は自分の先生に落ち込んでいた彼のことを任せた。気になる奴もいるし、もう少し奥まで行ってみる。

 そして、人だかりを見つけた。

 その中心には例の少年がいて、インタビューを受けていた。


「どうだったって……つまんなかった」


 は? コンクールがつまらないだと? こいつは何を言っているんだ!


「出ろって言うから出たけど、楽しくなかった。昨日も聴いてみたけど、面白くなかった」


 昨日、いたのかよ!

 俺の演奏にそんな評価した奴、初めてだぞ!


「音楽って、もっと自由であるべきじゃないの?」


 決して、悪意はないのだろう。純粋な目で語る少年に、大人たちはたじろいでいる。

 これが普通のガキなら叱るところだ。だが、あんな演奏をする奴に、ここでは注意をできる者はいない。

 彼の先生らしき人も、代わりに頭を下げることしかできない。


「マエストロからの推薦で出してみたんですけど……その、すみません」


 ぺこぺこする先生に対して、少年は不思議そうな表情をしている。

 自分のためにこうしているのを、理解できないのか!


「あぁ、いたいた」

「おー、ここにおったか」


 俺の後ろについていた夫婦は、大人に囲まれた少年に気がつくと、スルスルと人を避けて進んでいく。

 え? 孫ってあいつ?


「お疲れ様」

「え? なんでここにいんの?」


 祖父母の登場に、彼は驚いている。


「東京観光でもしてるのかと思った」

「だってね、これを届けないとと思って。大事な物なのかと心配だったのよ。連絡しても出ないし」


 ピアノバッグを渡され、その中身を見た少年は焦る。


「な! これ、持ってきちゃったの!? 使わないよ!」

「先生からそう聞いたんだがな、その時点でもう会場に来てしまったよ」

「えー。そっかぁ。しょーがない」


 受け取ったバッグを隠すように持つ少年。

 女性は、そんな彼の頭を撫でてあげる。


「ピアノ、上手だったわー。おばあちゃん、びっくりしちゃった」

「あんなの、別に……」

「もう。そんなこと言って。今朝、あんまりご飯食べてなかったでしょ。お腹空いてるんじゃない? 何食べたい? あら。クマできてる。遅くまで何かしてたみたいだけど、子供が夜更かしなんてダメよ。母親たちみたいな無茶苦茶な生活送ってちゃ、身体に良くないわ。おばあちゃんたちの所に来たからには、もっと子供らしく健康に過ごしましょうね。まずは何がしたいかしら? 甘えていいのよ」

「まずは……寝たい」


 そこで、少年の身体が揺れる。

 瞼が閉じていき、スローモーションのようにゆっくり倒れていく。


「おっと」


 少年の祖父が見事キャッチすると、周りの大人たちが慌て始めた。


「まぁ! どうしましょ!」

「と、とりあえず楽屋に!」

「こっちです!」


 目の前で運ばれる少年。

 彼の手から、ピアノバッグが落ちた。俺はそれを拾う。

 寝不足か? 仕方ない。後で届けるか。









 たまたま行ったピアノのコンクールに現れた、天才少年。

 これが、俺と洙田音色(なめたねいろ)との出会いだった。

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