4.オータムコンサート 第三部
第三部ーー。
舞台袖で待機中の実音は、オーボエとアングレの二本を持っており両手が塞がっている。必要なスタンドや楽譜は、ネロが代わりに持ってくれた。
「ありがとうございます」
「……ミオ」
ネロは実音に顔を近づけ話しかけた。
「オレ、全力でやるから。だからお前も遠慮すんなよ。リミッター、完全に外せ。いいな?」
「はい」
彼女の瞳は、とても真っ直ぐだ。
ここまで力を抜いたつもりはない。いつも本気だった。それでも、かつての自由な吹き方はできていない。それが、今ならやれる気がしている。
「……」
そんな彼女を見て、ネロはなんとも言えない表情をする。
「……やっぱ、エロくねー」
「え?」
すると、ネロは近くに口うるさい保護者がいないことを確認してから、実音に更に近づいた。そして、耳元で囁く。
「好きな奴いねーの? いるならちゃんと誘惑しねーと、選んでもらえねーぞ」
「っ!」
わざと彼女の耳に息をかけるネロ。その反応を楽しんでいる。
「ネロさん!」
手の塞がっている実音は、言葉と顔で怒っていることを伝える。
「何やってんのー!」
それに気づいたステージマネージャーのOBが、ふたりの元へと飛んできた。
「セクハラ禁止!」
「セクハラじゃねーし。アドバイスだし」
「お前な!」
近くにいた司会担当のOGも引いている。
「だ、大丈夫です。ネロさんのおふざけ、慣れてきましたので!」
「それはそれでどうなの?」
心配するOBは、根は優しく責任感のある元代表だ。人として未熟な天才肌の後輩を、しっかり指導しようとしている。
「時間いいの?」
ネロは壁にかかっている時計を指差した。
そんな態度に青筋を立てるも、仕事はきちんとこなさなければならないため、ステージマネージャーは待機中の部員たちに声をかけた。
「時間だ。ラスト、行ってこい!」
監視を逃れたネロは、また実音の耳元で「誘惑しっかりな」と言ってからステージへ歩き出した。
一曲目は『歌劇《イーゴリ公》より「ダッタン人の踊り」』。
出だしから、ネロのオーボエがフルートやクラリネットと一緒に綺麗なハーモニーを奏でる。伴奏のハープは二台も使っており、存在感がある。さらに、実音のアングレも加わり、プロのオーケストラと同じような優しい前奏を終える。
間を空けることなく始まるのは、ネロの有名なソロだ。練習でも上手かったが、本番はもっと官能さが増している。抑揚もつけ、妖艶さで会場の視線を独り占めする。
それに負けじと、実音もソロを引き継いだ。隣に座っているためネロの表情は見えないが、かなり挑発されたのはわかった。「もっとタガを外せ」という意味を感じ取り、彼女は可能な限りの色香を纏い演奏をする。
その後は場面がコロコロ変わり、所々でオーボエもアングレも目立つ箇所の仕事をこなした。
ふたりの爆発的な刺激のあるソロがあっても崩れないのは、技術力のあるほかのAチームの奏者の実力と、指揮者の黒田宙矢のおかげである。これらがないと、ネロたちはのびのびと吹くことができなかった。
テンポの速い箇所では、海も奮闘した。二本の楽器を使い分けながら、全国レベルの大学生に遅れないように喰らいつく。その隣で一年生の松崎萌季は、自身のカットされた部分を吹き真似でやり過ごした。
踊り手が変わる度に、演奏する側の感情も変化させる。そんな忙しい難曲を、どうにか選抜の大三東の部員たちは乗り越えることができた。
演奏後、黒田はネロを立たせる。
このように、活躍した奏者は個別に観客から拍手をもらう機会を得られる。
ネロの次に立たせてもらえたのは、実音だ。
その着ている制服から、会場の全員が彼女が高校生であることを理解している。そして、その演奏に惜しみない拍手が送られる。もちろん、その観客の中には大護も含まれており、彼はすぐ近くの席で手が痛くなるほど手を叩いた。
二曲目は『交響詩《ローマの松》』。
ここからは、大三東の部員全員が演奏に加わる。
木管楽器から煌びやかに始まり、そこにホルンが高らかに音を鳴らす。
約二十分の曲の中で四つの「松」の場面が登場し、それぞれ全く異なる雰囲気を醸し出す。
この曲には、あるとても珍しい演出がある。それは三つ目の「ジャニコロの松」の最後。ステージに設置したレコードから、鳥のナイチンゲールの鳴き声を流すというものだ。
動物の鳴き声を楽器で表現をするのはよくある。しかし、ここは作曲家の指示で、本物の鳴き声を録音したものを使用することになっている。この重要な場面は、パーカッションの一年生の吉川桐可が責任を果たした。
そして「アッピア街道の松」。
実音が長いソロを吹く。アングレは、オーボエよりも息が入るため、強弱もつけやすい。すなわち、ネロが要求する大袈裟な抑揚も叶えることができる。彼女はたっぷりと息を入れながら、怪しげなメロディーを堂々と奏でた。とても大人っぽい演奏だ。
ソロの後は曲が盛り上がっていき、バンダの登場だ。
一年生の有馬咲太郎は無駄な力を抜いて、周りの音をよく聴きながらトランペットを鳴らした。視覚的にも効果のあるバンダは、観客の視線も浴びる。立体的な音が重なり、ローマの軍隊の行進をよく表した。
黒田の指揮で最後まで勢いは止めず、バンドの一体感が観客の心を掴んだ。演奏が終わると、なんの躊躇いもなく大きな拍手が聞こえた。
実音はここでも黒田から立たせてもらった。また、花道にいるバンダも手で指し示してもらえた。
一旦黒田が舞台を後にし、少ししてからまた戻った。
ここからアンコールだ。
まずは『ディスコ・キッド』。
これは一九七七年度の吹奏楽コンクールの課題曲だ。このようなポップスがコンクールで選ばれたのは、当時でもとても斬新なことであった。ノリの良いリズムとメロディーが特徴だが、求められる演奏技術は高い。今でも人気の曲で、愛好会があるほどである。
序盤はピッコロから始まり、同じフレーズを吹く楽器が増えていく。ドラムも大活躍だ。
楽譜には書かれていないが、この曲には「ディスコ!」という掛け声が入る。ディスコやクラブにも行ったことのない学生が言うというのが、また面白い。ちなみに、ここでネロは言葉を発していない。ノリが非常に悪い。
クラリネットのソロは、用意したスタンドマイクの前で演奏する。それを、海はキラキラとした羨望の眼差しで見ている。
後半にはオーボエやフルートやユーフォニアムが綺麗なハーモニーを奏で、再びノリの良い雰囲気に戻る。
島原大学の前音楽監督が、初めて着任した年の課題曲がこの曲だった。それで演奏会のアンコール曲として、毎回披露されている。その伝統は、今年も変わらない。
アンコールは、観客が受け取るパンフレットには書かれていない。だから、何曲やるかを知るはずがない。
指揮者が退場した後、とりあえず拍手を続ける。次のアンコール曲が終われば、また拍手を続ける。
この時間が、ネロは嫌いだった。
例年『ディスコ・キッド』は確定で、そこから有名で短いクラシック曲を二、三曲行う。それでも拍手が続けば、プログラムにある曲から数小節だけ演奏するなんてこともあった。
演奏する側は当たり前だが、聴く側だって疲れている。何曲もまだまだ聴きたいと思っているはずがない。
ということで、今年からアンコールは二曲になった。それ以上はやらない。もうお終いだとわからせる曲を選曲した。
最後は二曲のメドレーだ。
初めはチェコを代表する作曲家のアントニン・レオポルト・ドヴォルザークの『交響曲第九番「新世界より」』。日本では「家路」あるいは「遠き山に日は落ちて」として有名な第二楽章を演奏する。
施設の閉館時間や下校の際など、誰もが一度は聴いたことのある超有名なメロディーを、実音がアングレのソロで奏でる。
次の曲は『由緒ある砲兵中隊』。この曲の中には、スコットランドの民謡の「オールド・ラング・サイン」が出てくる。これは、日本では「蛍の光」として有名だ。ゆえに、別名「蛍の光行進曲」とも呼ばれている。こちらも帰りの時間に聴くことが多い曲だ。
この組み合わせは、ネロ曰く「客、追い出し曲」である。これならコンサートに不慣れな観客でも、この後にはもう曲を用意していないとわかる。
権力のある指導者が去り(ネロが追い出し)、新規のファンの獲得が必要だった島原大学。
これまでは日本全国のお手本としての演奏をしてきたが、改めて地域との交流をする機会を得られた。今回の大三東をゲストに迎えての演奏会は、それをアピールすることに繋がった。
また、演奏した『イーゴリ公』は「侵略」ではなく「異民族が手を取り合う」作品としてボロディンは作っている。ふたつの団体がこうして合同で演奏会をすることは、作品ともとても重なった。




