2.顔だけイケメン
島原大学吹奏楽部は、年に四回大きなコンサートを開催する。
二月のウィンターコンサートでは、四年生の卒部公演も兼ねている。だから、曲も四年生のリクエストが多めだ。
五月のスプリングコンサートは、コンクールの模擬演奏が主となる。課題曲を全曲披露するため、全国から指導者や学生が聴きに訪れる。
八月のサマーコンサートは、一年生を中心としたBチームのお披露目だ。Aチームがコンクールの練習をしている間、ポップスを中心とした子供向けの演奏会を行う。
そして十一月のオータムコンサート。こちらは、全国大会金賞受賞の報告会を兼ねている。
前日は本番会場でのリハーサルを行った。二千人規模の大ホールを使っての練習だ。
ここで音の細かな調整に入る。ネロが二階席から聴いて、椅子の角度やパーカッションのマレットなどの変更の指示を行う。土曜の講義も、この日は休める者は休んで大学生は挑んでいる。通し練習も軽くして、本番に備えた。
そして、本番当日ーー。
施設が開く時間まで、大三東の部員たちは身体をほぐすストレッチを欠かさない。それを、中には不思議そうな目で見る大学生もいた。団体によって、ルーティンは様々だ。
時間になり、ホールへと入る。
午前中は簡単な合奏をした。それから楽屋で早めのお昼休憩だ。前日にホール練習をするだけで、これほど当日に余裕が生まれる。
「お弁当の中身が豪華!」
海は、配られたお弁当を見て感動した。
たくさんのおかずが入っており、ボリュームも普通の人間には充分だ。
「私の食べる?」
「食べる!」
実音の分も遠慮することなく平らげる海。食べた後で気づく。
「あ、思わず食べちゃった! 実音、身体持つ?」
「うん、大丈夫」
そう言って、実音はゼリーを飲んでいる。
今日の本番は、第三部だけの出演だ。定期演奏会ほどの体力は使わない。
「ネロ、またそれかよ」
音楽監督兼指揮者の黒田宙矢に呆れられるネロ。彼は買ってきたカットフルーツを食べている。
「だって、弁当って重いじゃん」
手のつけていない弁当が目に入り、海が取ろうとした。それを実音は止めた。
「それは食べすぎ」
「むー」
「じゃ、僕が食べてもいいかな?」
その余った弁当を、顧問の文が手にする。
「ブンブン、こすかー(ズルい)!」
彼は今日、出番がない。体力を消耗することはないのだが、ふたつ目のお弁当も美味しそうに食べた。
この後、各自歯磨きをしたり衣装に着替える。大三東はスカーフを入れ替えたりするだけで済むため、場所は取らない。
「誰?」
海は目の前の人物に、思わずそんな声を出してしまう。
「は? お前、何言ってんの?」
「あ、ネロさんだ。……って、ネロさん!?」
高校生たちの前に現れた青年は、黒髪でピアスもつけていない。ただのイケメンだ。しかしその身長は低めで、言葉も乱暴であることから、彼がネロであることがわかった。
「普通にイケメンだ」
「いつもそうすればね」
「あと黙ってればね」
「なんで赤髪?」
「なんでピアス?」
口々に出てくる言葉に、暴君が黙るはずがない。
「うるせー! さっさとチューニングやるぞ!」
島原大学の男子部員は、みんな黒のスーツを着ている。一方、女子部員は黒のブラウスとロングスカート。とても歩きにくそうだ。
そして、全員髪色は黒で統一。装飾品も外しており、メイクもシンプルだった。
「さっきまで赤かったのに、どうして? マジック?」
海はネロの変化に驚きを隠せない。だが近くでよく見ると、赤い髪がちらほら見えている。どうやら、スプレーで染めたようだ。
見た目の清潔さは大事である。名門だからこそ、こういったことはきちんとしている。
「俺はどう?」
燕尾服に着替えた黒田は、長めの髪をひとつに縛っていた。
「クロさんも、かっこよかです! 指揮者みたい!」
「俺、指揮者なんだけど」
海の素直な感想に傷つく黒田。
前日からはさすがに彼が指揮台に立ったが、ほぼタタキ合奏だった。振ったのは通しのみ。それも軽く動かしただけだ。
「ま、いいや。それより、チューニングするからね。準備して」
「はーい」
海は、つい顧問と同じように接してしまう。実際、奏者から軽く見られる指揮者は存在する。
ふたつの楽屋を使い、ネロが木管楽器を、黒田が金管楽器のチューニングを担当した。
その捌きは、実音より速い。ピッチ(音程)が合っていないと、後ろに回って再挑戦しなければならない。全員が合格するまで行うのだが、本番の時間はずらせない。そのため、自動的に素早く捌く必要がある。
オーボエとアングレの両方を一発合格した実音は、ピッチの合わなかった大三東の部員の所へ行き、アドバイスをした。ネロのすぐ目の前で吹かなくてはならない緊張感で、多くが慌てたり呼吸が乱れている。いつもどおりの吹き方ができていない。それを、彼女は落ち着かせた。
どうにか全員のチューニングが終わると、最後に実音がネロのチューニングの確認を行った。当たり前のようにハーモニーディレクターにピッタリと音がハマっていた。
「んじゃ、袖行くぞ」
第一部に出演するAチームが舞台袖に向かう。
その間、Bチームと大三東の部員は楽屋で待機だ。しかし、実音だけネロの世話係として連れていかれてしまう。
「私、必要ないですよね?」
「雅楽川ちゃん、絶対来て!」
「来てくれないと、俺たちが困る!」
「いてくれるだけでいいの!」
ネロにではなくほかのメンバーから必死に願いされ、実音は仕方なく暴君の傍につくことになった。
ネロ本人も、「なんでお前いるの?」という表情をしている。それに、彼女は「さぁ?」という顔で返した。
舞台袖に並ぶAチーム。
指揮者の黒田と、代表の白浜春雪が全体の見回りをした。楽譜や予備のリードやミュートなどの忘れ物がないかの最終チェックをしたり、本番前のリラックスをさせる。場の締め方と和ませ方のバランスが、ふたり共上手い。
一方、ネロは近くの椅子に座った。無駄な体力の浪費を抑え、極限まで温存するつもりだ。実音はその隣に控えた。
「もうそろそろ開演でーす。いつもどおりやってこー」
そこに、ステージマネージャーの男性が学生に向かって声をかけてきた。彼は島原大学のOBだ。そのほかにも、今日は多くのOBやOGが手伝いに来ている。
「ネロ。お前、今日もちゃんとやれよー」
座っている彼に、OBは挑発するようにちょっかいを出す。
「あ゙?」
「『あ゙?』ってなぁ。先輩に対して、その態度はないだろ」
「そんなことより、そっちこそちゃんとしろよな。また演奏中に扉を開けて客を通すとか、勝手に録画を許すとか、バカなことさせんなよ」
「っ! そ、それは、ミーティングで共有済みだ」
「あっそ。って、誘導係、下手じゃね? 誰だよ、あんな前の席に客座らせたの」
「うっ……」
袖から見える客席の一列目には、数人の物好きが座っていた。その中には大護の姿もある。
(また、あんなとこに……)
事前に良い席を教えておけばよかったと、実音は後悔した。
「満席なら、問題ないのにな」
「先輩らの時より、自力で呼んでるけど?」
「……」
「中身も期待しといてよ」
「……クッソー! どうしてお前はそうなんだよ! しかも、女子高生侍らせやがって!」
「は?」
OBはネロに口でも勝てず、とても悔しそうだ。
「ネロさん、いい加減にしてください。もう始まりますよ」
実音は険悪な雰囲気の彼らを止めた。すると、ネロは生意気な態度から、自分の世界へと集中し始める。それを目撃していたほかの部員たちは、彼女へサイレント拍手を送った。
彼女がここに連れてこられたのは、このためだ。前回の演奏会でも、ネロは本番前に卒業生と揉めたり、奏者を泣かせたりしている。
今回は集中モードに入ってくれた。これ以上何を言っても返事が返ってこないであろうネロから、OBも離れていった。
「ほら、時間だ! とっとと入場しろ!」
ステージマネージャーの仕事に戻ったOBからの指示で、順番に舞台へと出る。椅子から立ち上がったネロも、列の最後の方について入場した。
「こちらステマネ。ロビー、客残ってる? っていうか、ネロの奴むかつく。どうぞ」
OBはインカムを所持しており、それを使用してほかの者とやり取りをした。
「扉、閉めて。だよな。あいつ、ハゲればいいのに。どうぞ」
その指示の後には、ネロの悪口が必ず入った。相手も同様に、何かしらの愚痴を言っているようだ。
「はい、開演。ったく、顔だけはいいのが、余計に腹立たしいよな。演奏も上手いしよ」
(ネロさん、すごく嫌われてる。……でも、褒められてる?)
現役には恐がられ、OBからの印象も悪い。そんなネロが作り上げたオータムコンサートの幕が上がった。




