1.根性を見せろ!
「ピッコロ、出だしから詰まってんぞ!」
「クラリネットのタンギング、下手くそ。さらってきて」
「そこのユーフォニアム、オレの音、台無しにする気? 歌い方、足りねーよ」
「何回この曲やってんだよ! 綺麗に吹こうとすんじゃねぇ!」
この日の合同練習も、特別講堂にネロの怒号が響いた。
島原大学吹奏楽部は、今年も全国大会で金賞を受賞。もちろん「一金」だ。その喜びに浸ることなく、今日はアンコール曲の練習をしている。
「次の曲いくぞ。ミオ、お前のために付け足してやったんだ。感謝しろよ」
(……嬉しくない)
事前に考えていた最後の曲を、ネロは別の曲とのメドレーにした。実音の吹くアングレをとことん使うためだ。
難しくはないが、実音は超有名で超重大なソロを任されてしまった。
「そこ、ブレス取るなよ」
(きっつ!)
長く目立つソロに、鬼のような要求をするネロ。
『エルザ』で鍛えられたのか、なんとか実音は耐えることができた。
「十五分、休憩」
朝からずっと合奏をしている。本番が近いため仕方がないのだが、コンクールを終えたAチームには疲れが見える。
全国大会の会場は、高校と大学では異なる。今年は、実音たちが視察に行った場所よりもっと遠い所で行われた。その分、よりハードスケジュールをこなさなくてはならなかった。
足を引っ張らないように、Bチームのメンバーと大三東の生徒たちは必死についていった。
「ネロさん、ちょっと聴いてほしかです」
ホールの外へ水分補給をしようと立ち上がったネロを、海は呼び止めた。
「……どこ?」
真剣な彼女の表情を見て、彼はまた椅子に座り直す。
「『ダッタン人』のここです」
「……やってみ」
そこは、「指が回っていない」と言われて減らさせた箇所だった。
ネロは、メトロノームをかけ、好きなタイミングで吹くように彼女を促した。そのメトロノームを睨みつけながら、海は懸命に指を動かした。しかし、途中で躓いてしまう。それでも、もう一度初めから吹き直す。次は上手く吹ききった。
彼女は、視線をメトロノームからネロへと移す。
「……いーよ。そこも吹きな」
「はい!」
吹くことを削られた箇所を、海は自分の力で取り返した。
頭を勢いよく下げてから、元の席へと戻る。
「俺もお願いします」
「……できんの?」
「やります」
「……じゃ、吹いて」
海と入れ替わりで来たのは、有馬咲太郎だった。離れた席から、ネロの近くへと移動してきた。
今日のネロは、あえて有馬に何も言ってこなかった。だが、その音がまだ以前の響きと違うことはわかっている。未だ、彼のイップスは治っていない。
有馬が演奏する『ハトと少年』は、曲の最高音が震えていた。前回のような堂々とした様子も見られない。
しかし、音質はこちらの方が曲に合っていた。力任せの響かせ方だった彼の吹き方と、全く異なる。
「ハモリやって」
大学生の部員に指示を出し、今度は一緒に吹かせる。
すると、有馬はその相手の音を意識して吹いた。耳をよく使っている。
「その調子で『松』も頼んだ」
「はい」
有馬も頭を下げてから席に戻った。その際、足音は立てなかった。
ギリギリの合格だ。
合奏が終わり、実音はネロと代表の白浜春雪と共に、十九号館の空き教室で打ち合わせをした。
「前日と当日の流れは、こんな感じ。大丈夫そう?」
「はい、問題ありません」
本来なら、ここに顧問の文がいるべきなのだが、彼は別の教室で指揮者の黒田宙矢からレクチャーを受けている。それと、本音を言うと大事な打ち合わせを彼に任せるのには不安がある。それなら、実音自身が責任を持って請け負った方が良いと判断した。ほかの役員は、現在特別講堂で練習を続けている。
「それにしても、今日のあのふたりはすごかったね」
白浜が指しているのは、もちろん大三東のふたりの部員のことだ。
課題を出されたわけでもないのに自らネロに立ち向かった海と、本当は今一番辛いはずなのに逃げずに課題をクリアした有馬。大学生には出せないガッツを見せてくれた。
「大三東のみんなと練習してから、僕らも刺激をもらってるよ」
「そうなんですか?」
それは、実音には信じられることではなかった。
Aチームのメンバーは、大学に来る前からほとんど出来上がっている。今更得るものがあるとは思えない。
しかし、白浜の発言にネロも乗っかる。
「昨日の木管分奏、いつもなら動かない上級生が下手な奴の面倒を見てた。しかも違う楽器の奴。ミオの真似じゃね? やっと、能動的に動けるようになったみたいだな」
「金管もな。昨日の練習は、いつもより各パートから意見が出てたよ」
実音にとっては、吹奏楽を始めた頃からの習慣で動いているだけのこと。方南は他人にも厳しいため、自身は合奏中に仲間から注意される回数が多かった。しかし、それはレベルを高め合うのに必要なことだった。
「うちの大学って、辞める部員が普通に多いんだよね。雅楽川ちゃんがいた方南もそうだったでしょ?」
「……はい」
「僕の母校もそんな感じだったよ。でもさ、大学の場合はね、厳しさで辞めるよりなんとなくって感じがほとんどかな。ネロが原因なのもあるけど」
「あ゙?」
「そういうところだぞ。……で、さっきトロンボーンの子たちに聞いたけど、大三東は退部者ゼロなんだってね。それって、すごいことだよ」
方南は実音含めて退部者が当たり前のように出ていた。そして「去る者追わず」の精神だった。
一方、大三東は個々の想いの強さがあり、加えて仲間を見捨てない部員がいる。実音が大三東に来てすぐにあった事件も、今回の有馬の件も、方南だったら結果は大きく変わっていただろう。
「大学生にも、方南にも、大三東は負けてませんね」
実音は、改めて感じたこの強みが、この先の目指す音楽にも大きく影響するだろうと思った。
「技術は足りねーけどな」
「コラ!」
ネロから余計な一言が飛び出し、白浜が注意した。
「いえ、それは本当のことですから。まだまだここで鍛えさせてもらわないと。……それで、このコンサートが終わった後なんですけど、やりたいことがありまして……」
実音は、大三東に必要な練習を取り入れるため、ふたりにある相談をする。
「ーーという感じでやろうかなと」
「それ、オレの専門外なんだけど」
「うん。ネロはそうだな。でも、僕の得意分野だよ」
「そうなんですか!」
「ああ。曲は決まってるの?」
「はい。一月の本番でできたらなって考えてます」
「一月かぁ。こっちも、また忙しくなる頃だな」
「いいじゃん。やれば? ハマがそっち抜けても平気だし」
「それはそれで傷つくんだけど。っていうか、ネロは未経験だから大変さがわからないんだろ」
「知らねー。ま、演奏面の面倒は見てやるから安心しな」
「はい。ありがとうございます!」
こうして、オータムコンサート後の練習についても計画を立てることができた。
特別講堂へ戻るともう遅い時間で、部員たちが楽器を片し始めていた。
毎日夜遅くまで練習をしている大学生はともかく、高校生も長時間の自主的な練習を集中して行った。
「もう暗いから、大三東のみんなは帰ろうね」
白浜が、そんな大三東の部員たちに早く帰るよう促した。
「お腹空いたー! 実音、帰ろー!」
海が実音を発見して飛びついてくる。
「お前、どうやってあそこ練習したの?」
そんな彼女に、ネロは尋ねる。
「え? どうやってって言われても……練習して、練習して、もっと練習しましたよ。あ、闇雲にじゃなかです。実音が教えてくれたとおりにです。リズム変えたりとか。あと、滑っとる箇所は言葉を入れたりとか。『ばってん』だったり『よかよか』だったり、心の中で言いながら吹いちょりました」
「へー。バカっぽいのに、練習はまともじゃん」
「バカ!? 今バカって!」
「落ち着いて、海。ネロさん、褒めてくれてるから」
「どこが!」
苦労して大人しくさせると、海は練習をしていた時のことを思い出して、それを報告する。
「あのね、さっきアンコールのタンギングの練習しとったんよ。大学生にやり方教わったら、楽にできるようになったんだ!」
「よかったね」
「うん! あの曲って、昔の課題曲なんでしょ? それっぽくないけど。ばってん、あんな曲でコンクールなんて楽しそうだね」
今回のコンサートには、全部で三曲のコンクールの課題曲が登場する。
その中のひとつが海が言っているものであり、かつ過去の課題曲の中でもかなり人気な曲だ。
「昔の課題曲も、いいのがいっぱいあるよね」
実音は、過去のコンクール曲のほとんどが頭の中に入っている。当然ネロもだ。
「私は『風の舞』推しかな。出だしのリズムも、フルートのソリも好き」
「あー、あれな。わかる。でも、オレは『風紋』だな」
「それもわかります! 長いから、あの年は自由曲のカットが大変だったと思いますけど、名曲ですよね」
「原典版、やったことある?」
「ないです。でも、やってみたいです」
「お前たちの編成じゃ、難しくね?」
「そうなんですよね」
課題曲トークで盛り上がるふたり。海は置いてけぼりだ。
実音が持ってきたCDを聴いて勉強はしているが、まだまだだった。このふたりと対等に話せるようになるのは、そう簡単ではない。




