13.チャラ男の異変
トランペットの一年生の有馬咲太郎は、前回の島原大学との合同練習以来様子がおかしい。
いつも先輩の造酒迅美のことを揶揄ったりするのだが、それが見られない。朝練は毎日自主的に参加し、午後の練習もサボることがない。しかし、元気がなかった。また、音も変だ。得意の高音が綺麗に鳴らせない。
「次、これ練習しよ」
造酒は、音域のあまり高くない曲の楽譜を取り出す。
十二月のイベントは、クリスマスのミニコンサートも行うことが決まり、その準備で今から大忙しだ。その中から、今の彼ができそうなものを持ってきた。
「……はい」
以前の彼なら「そんな曲より、もっと派手なやつ吹きましょうよ!」とか言いそうだ。だが、そんな生意気な言葉が出てこない。
造酒も調子が狂いそうだったが、気を遣っている感じを出すのは違うと思い、普段どおりのまま続けた。
「……」
「……」
彼なら余裕で吹けるはずの曲でさえ、音が安定しない。やる気がないとかではない。真面目にやってこれなのだ。
有馬はイップスになってしまった。
「どうしよ!」
この日の練習後、役員の四人は集まった。
造酒からの話を聞いて、海と法村風弥も深刻そうな顔をする。
「雅楽川。何回か、有馬に話しかけに行っとったよね? どうだった?」
その質問に、実音は首を横に振る。
「私が話しかけようとするだけで、逃げられちゃった。とても聞いてくれる雰囲気じゃなかった」
「そっか」
普段チャラチャラした性格でやっているため、有馬は弱い自分を見られたくない。しかも、格の違いを見せつけられた相手となれば尚更だ。
「ネロさんにも相談したんだけど、ダメ。あの人、自分が原因なのに私に押しつけてきた」
「暴君め!」
「せめて、話だけでもね。同じ場所に留まってくれたらいいんだけどなぁ」
実音の呟きに、海は立ち上がる。
「ここは強硬手段を取るしかなか!」
「何する気? あんまり、無理させたら逆効果だと思うよ」
法村が落ち着かせようと、彼女を座らせた。
「何するかは、まだ決めとらん」
「じゃあ、どうして立ったの?」
「なんとなく?」
「はぁー」
気持ちだけで突っ走る海に、三人は溜め息をついた。
次の日、フルートの教室で練習を見ていた実音の元へ、法村が走ってやってきた。
「雅楽川さん、早く来て!」
只事ではない様子に、急いで彼女についていく。
そして、トランペットの教室へと入った。
「実音! 確保したよ!」
「な、なんなんだよ!」
そこで実音が目にしたのは、海と造酒によって椅子に縛られた有馬の姿だった。
(すっごく、物理的に留めてる)
少し前の彼なら、女子ふたりだけでこんな拷問状態にはできなかった。それだけ、彼が弱っているという証拠だ。
ほかのトランペットのメンバーには隣の教室に移動してもらい、役員と有馬だけになる。ただし、拘束は解かない。
有馬の前に椅子を置き、目の前に座る実音。彼は目を合わせてくれない。
「有馬君」
「……」
「イップス、辛いよね」
「……」
「それなのに、毎日練習してて偉いと思う」
「……先輩に、わかるんですか? 突然吹けなくなる気持ち」
「そこまでのイップスはなかったかな」
「それなら、今はそっとしといてもらえます?」
「有馬!」
そこで、造酒が怒鳴る。
「前みたいに吹けんくても、まだ音は鳴らせとるでしょ! 完全に失ったわけじゃなか! 雅楽川だって忙しいのに、こうやってあんたのために時間取ってくれとる。シャキッとせんと!」
「ちょっと、造酒! 今のは言いすぎ!」
「……ごめん」
法村に咎められ、造酒は反省する。
「えーと、一回話変える?」
良くない空気になり、海は場を和ませようとした。
「あ! ネロさんがね、意外と恋愛経験豊富なんよ。知っちょった?」
「海、それ今じゃなか! 『ネロさん』はたぶん禁句。気になるけど!」
法村によって、海は口を塞がれてしまった。
「有馬君。少しだけ、私の話聞いてくれる?」
実音は、今も顔を合わせてくれない後輩に自分の過去を話し始めた。
「『ローマの松』、やってるでしょ? あれね、私が中二の時の自由曲で、その時もアングレ吹いたの。『全国一金』ね。だからね、アングレはちょっと自信あったんだ。それで、方南の吹奏楽部に入部して、すぐにあった定期演奏会で『ダッタン人』をやることになったの。でもね、オーディションでアングレ吹いたら落ちちゃった。結局、オーボエでステージに乗ることになったんだけど、ソロも落ちて、おまけにどんどん吹く箇所減らされて、楽譜は括弧ばっかり。最終的にはメンバーからも外された。中学では評価されたオーボエもアングレも、どっちもあそこじゃ勝ち取れなかった。もちろん悔しかったよ。練習して、練習して、もっと練習して……。でも、上手くなるどころか、下手になった気がする。前みたいに自由に吹けなくなった。オーディションも勝てなくて、あそこで楽しく吹けたことなんて一度もない。でも、それでも周りはスパルタだから、嫌でも吹き続けた。一回辞めちゃったけど、今は大三東でまたオーボエを続けてる。だから、今回のオータムコンサートはリベンジだね。あの時ステージに乗れなかった『ダッタン人』を、今度はアングレでやるの」
実音が話し終えると、泣き声が聞こえた。海だ。
「……それな……のに……こうしっ……て、また……吹いて……っ……ここきて……よかったねー」
「なんであんたが泣く?」
「海。ちょっとうるさくて気が散るけん、あっち行こうねー」
法村と一緒に、海は廊下に出ていった。
「実音先輩も、もしかしてイップス……? いや、あのレベルでそれはないよな。でも……まだ治ってないんすか?」
「……そうなのかな? よくわかんなくなっちゃった。でも、ネロさんに教わればまだ上達できそうな気がするの」
「……」
実音は、縛っていたロープを解いてあげる。
「ごめんね、痛くなかった?」
「……別に」
解放された有馬だが、その場から逃げることはしない。
「さっきはすんません。あんな態度取って」
「ううん。気にしてないよ。それより、慌てなくていいし、なんなら少し楽器から離れるのもアリだと思うの。私たちはずっと有馬君の味方で、見放したりしないからね。できることを、コツコツやってこ?」
「はい。ありがとうございます」
机に置いていたトランペットを持ち、練習に戻る有馬。まだその音に輝きは戻っていないが、気持ちは前を向いている。
集中している彼を邪魔しないように、実音はそっと教室を出た。
「雅楽川!」
元の教室へ戻ろうとした実音を、造酒が呼び止めた。
「ありがと!」
「全然。まだ治ったわけじゃないし。でも、顔つきが変わったから、ちょっと安心だね」
「……ウチの時も、雅楽川がおったらよかったのに」
「え?」
「なんでもなか。とにかく、ありがと!」
感謝を伝えると、造酒は逃げるように隣の教室へ行き、ほかのメンバーにも報告をするのだった。
その日の夜ーー。
実音はネロに今日の練習と、明日の練習内容について連絡を入れた。その中には、有馬のことも書いてある。すると、すぐに返信が来た。
『やっぱり、ミオの方が得意じゃん』
そんなメッセージが届いたが、実音は嬉しくない。
有馬がより悪化する恐れがあった。昨日より上手くなったが、それは運がよかったのだ。
彼女は、ネロに対して怒りのスタンプも一緒に送っておいた。
実音のメッセージを読んだネロは苦笑した。
(すっげー、怒ってるな)
その彼の傍には、大学の図書館で集めた本が置いてある。それから、近くにあるパソコンにも様々な論文を読んだ形跡があった。
彼は、イップスになったプロの奏者を何人か見たことがある。十人十色。症状は全員違う。完治する者もいれば、そうでない者もいた。
集められるだけの資料は集める。やれることはやる。高校生の指導をすることになった責任は、最後まで取るつもりだった。実音に託したのは、あくまでひとつの策。今回は、それで上手くいった。
(これで、やっと寝られる)
まだ完全に解決したわけではないが、彼は久しぶりにベッドで横になれた。




