12.元カノと今カレ
実音とネロがホールを出ると、広いホワイエに置いてあるソファに、威厳のありそうな高齢男性が座っていた。さらに、その周りには数人の大人がおり、彼らに対して出演団体のOBと思わしき人々が挨拶をしている。
「ネロさん。あれって、もしかして……」
「……」
その沈黙は、実音の考えが正しいことを表す。
彼らの正体は、島原大学の前音楽監督とその弟子であるコーチ陣だ。今も多くの高校を教えに行っている指導者たちは、教え子から感謝の言葉をもらっていた。
「……あれじゃ、暫く動けないだろうな」
大学から追い出した本人は、彼らと話すことなく出口へと向かう。
「音色君?」
そんな彼に、挨拶を終えた綺麗な見た目のひとりの女性が話しかけてきた。
「私。覚えてる?」
「……ああ」
「よかったぁ! 久しぶりだね。音色君も来てたなんて、びっくりだよ。チケット当たっただけでもラッキーだったのに、まさか会えるなんてね。雰囲気ちょっと変わってたから、違ったらどうしようって思っちゃった。でも、音色君本人で嬉しい!」
彼女はテンション高めに、ネロとの再会を喜んだ。すると、その彼の隣にいる女子高校生が目に入る。
「えっとー、その子は?」
「んー。教え子?」
「そ、そうなんだ。ねぇ、音色君。私ね、今都内の大学の管弦楽サークルに入ってるの。今度演奏会あるから、聴きに来てくれる?」
「いつ?」
「来月の第二日曜日」
「無理。オレも演奏会あるから」
「……そっか。それは仕方ないね。音色君、相変わらず上手なんだろうなぁ。聴きたかったよ。その……音色君って今ーー」
「ごめん、お待たせ!」
そこに、同じく大学生と思わしき男性が駆け足でやってきた。
「挨拶してきたら長引いちゃって。そっちは?」
「あ、えっとー、高校の同級生。あと、その教え子さん?」
「そうなんだ。俺はーー」
「音色君、この人は一緒のサークルの人で、あと私の今カレ」
「ふーん」
その報告を聞いても、ネロは興味なさそうだ。そんな態度に、彼女は軽くショックを受けた表情を見せる。
「私たち、これから観光して帰るんだ。だから、ここでお別れだね。じゃあね、音色君」
「じゃ」
男性の腕に手を絡ませ、出口へと早足に女性は去っていった。
「いいんですか?」
「何が?」
小さくなっていく彼女の方を見て、実音はネロに尋ねる。だが、ネロはスマホをいじっていた。
「何がって」
「それより、集合場所行くぞ。は? 『飯行く』だ? 帰りの飛行機の時間もあるのに大丈夫か?」
「たぶん、海がお腹空かせてるんだと思います」
「はぁー。なら、急いで食べて帰るぞ!」
「……はい」
「俺、いつからカレシになったの?」
ネロの同級生の彼女は、施設の外に出ると絡めていた腕を解いた。
「ごめんね。つい、意地張っちゃった。だって、あんなに可愛い子連れてたんだもん。そしたら、こっちだって音色君に見せつけてやりたくなって。はぁー。やっぱりかっこいいなぁ」
「今も待ち受けにするくらいだもんな」
「見たの!?」
「たまたまな。未練タラタラだな」
「仕方ないでしょ! もう、今日はヤケ酒よ!」
「わかったよ。相手してやる」
そしてふたりは居酒屋を目指すのだった。
実音とネロが入ったのは、餃子の専門店。
奥の席にいた海と黒田宙矢は、もう食べ始めていた。
「実音! ここの餃子、うまかー!」
「よかったね」
テーブルの上にある餃子は既にほとんどなくなっていたが、追加の注文はしてあるらしい。
「雅楽川ちゃん、飲み物何にする?」
「お茶にします」
「オレ、ビール」
「ダメだ!」
ネロは黒田が片手で持っているジョッキを見て答えるが、却下されてしまう。
「お前、まだ誕生日来てないだろ!」
「チッ」
「舌打ちしない!」
十九歳のネロは、実音と同じくお茶を注文する。そして箸を持って、ふたりも食事と取る。
どちらも行儀良く食べているのだが、ネロの箸の持ち方はかなり独特だった。グーのような形で、どうやったらそれで掴めるのか不思議なくらいだ。
「ネロさん、箸下手」
海に指摘され、彼は彼女を睨みつける。
「うぇーん! 実音、ネロさんが恐いよー」
「よしよし」
そこに、新しい皿と飲み物が運ばれてきた。
「やったー!」
海の食べるスピードは相変わらずだ。
ネロと黒田は引いている。
「音和ちゃん、よく食べるね」
「ライブ配信中は、聴くのに集中して食べられなかったじゃなかですか! ぺこぺこでしたよ! ……あ、ライブ配信といえば、実音! 方南、めちゃめちゃヤバいね!」
「そう?」
「うん! もうね、別次元! ……あれは今年も『一金』だよね!」
「そうかもね」
「ほかもすごかったなぁ。……全国って、みんな上手すぎ!」
熱く喋るのと、食べるのを同時に行う海。あっという間に皿の上の餃子が消えてしまった。
黒田がまた追加注文をしておく。
「お前さ、今日の観た感想、それだけ?」
ネロは、興奮している海に対し冷静に問う。
「どういう意味です?」
「もっと、気がついたことないのか?」
「?」
本気で「すごかった」以外の感想が出てこない海の前に、実音は会場で配られたパンフレットを広げる。
「あのね、海。こことここは同じ外部講師に頼んでるの。それで、今年全国初出場のここも、去年から新しい講師を呼んだって噂がある。こことここも同じ外部講師だね。それとーー」
各団体の横に、講師の名前を書き込む実音。
中学の友人から聞いた話や、方南の部員がほかから得た情報だ。各学校は、わざわざ顧問以外の存在を公表することはない。自由曲の編曲者の名前でわかることはあるが、それ以外に部員たちの情報網で知れ渡ることが多い。
「あとここもな」
さらに、ネロも書き足す。
「そこは知らなかったです」
「大学の奴から聞いた」
「ネットの掲示板にも、いろいろ書いてあるよね」
黒田も、スマホを見ながら話す。
「ま、それは嘘もあるけどな。結局、ほとんどの団体が、プロの教えを受けてるってこと。指揮者の動き見たか? 全然、上手くないだろ? ああいうところは、裏で教えている奴がいるって、すぐわかるな」
「それは俺も思った。指揮者の立場から言わせてもらうと、あんなのオーケストラじゃ笑われるな」
海も思い返してみれば、確かに特訓前の顧問の文と同レベルの指揮者がいたような気がした。
「あと、演奏に関しても全部が上手かったわけじゃないだろ? 支部大会のダメ金の団体より下手な全国出場校は、普通にいるよ。地域の差はあるからな。仕方ないことかもしれねーけど、むかつくよな」
「あのね、海。さっき、方南を褒めてくれたでしょ? それは私も嬉しいよ。でもね、ネットであの学校がなんて言われてるか知ってる? 『闇属性』だよ。衣装がいつも黒いのもあるけど、よく『心がない』とか『つまらない』とか『オーディション主義で二軍が可哀想』とか書かれてるの。現役はそういう情報が入ってこないように、スマホは見ないことにしてる。でも、優しいファンが善意で教えてくれるんだよね」
丁度そのことが書かれているページを発見してしまった黒田は、口を抑えている。
「内情を知りもせず、好き勝手言う奴はどこでもいるよな。オレも方南については同意見だけど。でも無責任にネットで書き込むことはしねーよ。それって、ただの誹謗中傷じゃん。自分の応援している団体のことだけ書けばいいのにさ、なんでほかの悪口を並べるのかさっぱりわからん」
重い話になり、さすがの海も食べるペースが落ちる。
「それでも、方南はいっつも金賞取ってますよ! すごかことです!」
「取るための音楽をしてるんだよ。だけどな、オレの目指すのはそんなもんじゃねぇ」
「え?」
「心に響く、本物の面白い音楽だ。支部大会でダメ金でも全国で銀賞でも、それに近い演奏はある。逆に言うと、全国金でも面白くないのがある。プロだってそうだ。有名オケでも、毎回感動するわけじゃない。だがお前たちには、両方取らせてやるよ」
どこからくる自信なのか、ネロは堂々と宣言してみせる。
「それって、島原大学ではどうなんですか?」
実音の質問に、ネロは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「……まだない。っていうか、そんな頻繁にあるものじゃねーんだよ。それが面白いとこだけどさ」
ネロの話を聞いて、海は何か考え込む。
「海?」
完全に箸が止まってしまった彼女を、実音は心配する。
「実音も、そういう経験ある?」
「……方南ではなかったかな。その前は、近いものはあったかも。吹き終わった後に、会場の景色が脳の深いところに焼きつくような、そんな感じのやつ」
「……じゃあ、やる! わたしたちもそれ目指す! で、『一金』も取る!」
「ふふふっ。どんどん目標が高くなるね。大変だなぁ」
「大変」と言いつつも、実音は楽しそうに笑った。
「決意したら、またお腹空いちゃった。おかわり頼も!」
ここの会計もネロが出してくれると知り、海は遠慮せずにまだまだ注文する。
そんな彼女を三人が呆れた目で見ていると、ネロのスマホが鳴った。それを彼は一目見て切る。だが、また鳴る。切った後にメッセージを送るために、食事中にスマホと睨めっこを始めた。
「もしかして、さっきの方ですか?」
実音は、ホールを出たところで出会ったネロの同級生を思い出す。
「え、誰?」
黒田が訊いてきたため、簡単に彼女は説明した。
「それで、たぶんですけど、あの人ネロさんのこと好きだと思うんですよね」
その発言に、ネロは手を止めることなく口を開いた。
「そりゃ、付き合ってたからな」
「え?」
「は?」
「……うっそ!」
ネロ以外の驚きの声に、彼は心外だとでも言うような表情を浮かべた。
「元カノがいたっておかしくねーだろ。クロだって、会ったことあるじゃん。別の元カノだけど」
「は? いつ?」
「スカウトした時」
「あの時か! え、でも『あれは元カテキョ』って言っただろ!」
「正確には『元カテキョでかつ元カノ』」
「嘘だろ……。だって、お前顔はイケメンかもしれないけど、性格最悪じゃん」
「あ゙?」
そこで、またもやネロのスマホが鳴る。
「ったく! 悪い、ちょっと電話してくる。……だから、すぐ帰るって言ってるだろ!」
誰かと通話しながら外に出るネロ。
残された三人は衝撃を受けていた。呆然としていると、数分で彼が戻ってくる。
「……今の誰?」
恐る恐る尋ねる黒田。それに、ネロはごく普通に答える。
「今付き合ってる奴」
「ふっざけんなよ! 俺がネロの保護者やって苦労してる中、お前は恋人とイチャイチャしてたのかよ! チクショー!」
急に発狂する黒田。だが、無理もない。彼は現在フリーだ。
帰りの飛行機などの時間が迫る中、それでも黒田はビールのおかわりを注文した。




