12.島原大学の暴君
パンダの着ぐるみを脱ぎ捨てたネロ。現れた姿は、男性にしては背は低めの痩せ型だ。
実音と海、それから白浜春雪と共に舞台裏へと入る。その奥に大きなエレベーターがあり、それを使って下の階へと向かった。ドアの先には長い廊下が続いている。
ネロは何も説明するつもりがない。そこで、代わりに後ろを歩く白浜がふたりに教えてあげた。
「さっきのホールと、これから行く十九号館は地下で繋がってるんだ。だから、いちいち外に出なくても特別講堂に楽器を運べる。個人練やパート練や分奏は十九号館でやって、合奏やちょっとした演奏会はあの場所でやるんだ。表向き、特別講堂は大学の教授や外部の方を招いた時に使うことになってるんだけど、ほぼ吹奏楽部のための建物なんだよね。贅沢でしょ? もうすぐ着くよ」
すると、また巨大エレベーターが出現した。
それに乗り込み、今度は上昇する。開いたドアの先では、多くの吹奏楽部の部員たちが作業をしていた。
先頭に立つネロの姿を捉えると、みんな一斉にキビキビと動き出す。
「あ、あの、ネロさん」
「ん?」
そこにひとりの男子部員が話しかけてきた。
「譜面係の先輩が、今度の演奏会の楽譜を早く仕上げてほしいらしくて……」
「なんでお前が言ってくんの?」
「そ、それは……」
怯える後輩に、白浜は近くに行ってやり保護する。
「ネロが恐いから、チーフが自分で言えなかったんだろ? 早く出してやれよ。……もう行っていいぞ」
その男子部員は、白浜に頭を下げてから足早に去って行った。
「オレは書き終わってるし。クロの奴でストップしてるだけ」
「クロさんか……。わかった。こっちから伝えとく。で、部室に行けばいいのか?」
「ああ」
それから実音たちが連れてこられたのは、広い部屋。床に固定された長い椅子とテーブルが並び、いかにも大学の教室という感じだ。
「パソコン持ってきて。あと飲み物」
「はいはい」
女子高校生ふたりをその辺に座らせると、ネロは白浜に映像を観るための用意をさせた。
白浜は自分のことを「代表」だと言っていたが、完全にネロの言いなりである。戻ってきた彼はふたりにジュース、ネロにお茶、自分用にコーヒーを置く。
「ありがとうございます」
「やった! いただきます!」
遠慮なく飲み干す海。その気持ちの良い飲みっぷりに、白浜はニコニコしている。餌づけしている気分のようだ。
一方、実音はまだちゃんと名乗っていなかったことをずっと気にしており、タイミングはここだと思って口を開けた。
「私、大三東高校吹奏楽部で学生指揮者をしている、二年生の雅楽川実音です。それでこっちが」
実音の視線を感じて、海も慌てて名乗ることにした。
「あ、えっと、部長の音和海です! 同じく二年生です!」
しかし、ネロは聞いているのかよくわからない。白浜の持ってきたパソコンをいじって、実音から受け取ったデータを眺めている。
その中から気になるものを、その場で流し出すネロ。途中早送りしたりして、自分の聴きたいところだけを観ている。ポップスは基本飛ばし、特にオーボエの目立つところは真剣に鑑賞していた。
実音が渡したデータには、去年のコンクールと今年のイベントが記録されてある。今月行った定期演奏会も含まれた。これは、プリンスパパが客席で撮ってくれたものだ。
話しかけても無駄だと考え、ネロ以外は静かに終わるのを待った。
「龍笛、なかったの?」
観終わったネロの第一声はそれだった。
実音は六月の演奏会の『ぐるりよざ』のことだと、すぐにわかった。
「篠笛しかなくて」
実音が答えると、彼は「ふーん」とだけ言った。そして、天井を見上げてから何かを考える素振りを見せる。
「わたしたちの演奏、どうでした?」
そんな無の時間に耐えきれなくなった海が、ネロに尋ねる。すると、彼は実音たちの方を向いてボソッと一言発した。
「下手くそ」
オブラートに包む気は全くない。隣にいた白浜は「あちゃー」という風に、額に手を当てている。
「へ、下手って、よかとこもありますよね? コンクールではフルートのソロ、褒められてましたよ」
まだ全国には遠いのかもしれないが、それでも少しは上手くなったと思っている海。
彼女はそのストレートな言葉に黙っていられなかった。
「普通じゃね? ってか、それ本当にフルートのこと?」
「え? た、たぶん。そうだよね、実音?」
しかし、実音は海の問いに頷かない。
「大方、時間なかったからソロのある曲には全部そう書いてるんじゃね? それか、別のソロに対してのコメントとか。な?」
ネロは実音に対して投げかける。だが、海の前では正直に話すことができない。
そこで、実音は話題を変える。
「そんなことより、さっきのコンサートの曲って最新のものらしいですね。もしかして、ここのどなたかの編曲ですか? 先生方の中には、よくコンクール用の編曲の出版をされている方もいらっしゃいますもんね。今日は、どちらに?」
その質問に、白浜は頭を抱えるポーズをする。
「えっとね、そうだよね、まだ知らないんだよね。その、先生たちはーー」
「オレが追い出した」
「はい?」
白浜の言葉を遮って、ネロは彼らがいない訳を明かす。だが、実音は「そんなバカなことがあるわけがない」と聞き返してしまう。
「だから、オレが追い出したんだよ。一年は我慢できたけど、ここにあんなに指導者はいらない。いつまでもつまんねぇ合奏ばっかだしよ。聞いてる?」
「え……すみません。意味がわからないです。それ、本当のことですか? ここに、ひとりもあの有名な先生方がいらっしゃらないんですか?」
「一年我慢した」ということは、この青年は二年生ということになる。それなのに、さっきから隣の先輩に対して失礼過ぎる態度だ。有名な指導者を追い出すなど、信じることができるはずもない。
実音はネロにではなく、白浜に尋ねる。すると、彼は申し訳なさそうに頷いた。
それに、ショックを隠せない実音。
ここに来た目的が、このままでは達成できない。
「それで、さっきの指揮は学生がされていたんですね」
「いや、それなら大丈夫なんだ。ネロが連れてきたから。今日は別の用事でいないけどね。こいつ、流行の曲とか全く興味ないんだけど、聴かせれば楽譜に起こしてくれるし、指導もできる。だから、今年のコンクールも別に心配してない。君の言っていた合同練習も、問題ないと思うよ。同じ市内の団体だし、協力はしてあげたいからね。だろ、ネロ?」
「……」
その提案に、賛同しないネロ。
それよりも、海は今の話の一部に反応する。
「実音と一緒じゃなかですか! この子も、編曲も指導もしてくれちょります。去年は、あの方南におったんですよ。その前も、ずっと『全国一金』で。しかも、オーボエ!」
「方南」というワードに、ネロはピクッとする。
「お前、方南出身なの?」
「はい」
「あの、つまんねぇ演奏するとこかよ」
「……そうですね」
実音は、古巣の悪口に動じない。
それは、彼女自身にも思うことがあるからだ。
「じゃあ、コールアングレ吹ける?」
「中学の時に、吹いてました」
「よし、じゃあ決まりだな。十一月にオータムコンサートがあるんだけど、それにゲスト出演させてやる。三部の『松』にバンダを入れて、高校生とのコラボ! これで新規の客も掴む。あと、お前は三部のほかの曲も出ろ。ちなみに、曲は『イーゴリ公』な」
「え!?」
出てきた曲目に、実音は慌てる。
「大学のコンサートに、しかもその曲で高校生のコールアングレですか? ここのほかのオーボエの方にやっていただいた方がいいと思いますよ。吹いていたのは事実ですけどブランクもありますし。それにうちには楽器もありませんから」
「楽器ならこっちのを貸す。あと、オレ以外の奴はダメだ」
「どういうことですか?」
「四年のオーボエはサボるからな。練習はほとんど来ない。さすがにコンクールは来ると思うけど……。あと、一年と三年は辞めた。吹ける奴どっかから探す予定だったし、丁度よかった」
二百人を超える部員が所属する部活でも、オーボエが学年にひとりしかいないのは不思議なことではない。問題はその貴重な部員がいなくなってしまうことだ。かなり危機的状況のはずだ。
今の会話をまた頭を抱えて聞いている白浜の様子を見れば、原因はネロにあることは簡単に想像できた。
「ついでに、そっちの指導もオレがしてやるよ。ありがたく思え!」
今の大三東のレベルを考えたら、なかなか悪くない話だ。
パンダの格好で指揮をしていたが、顧問の文よりずっと上手い。
また、ここには全国の強豪校出身の部員が多くいる。実音ひとりでは、大三東の指導は足りない。それなら、期待していたベテランの講師はゲットできなかったが、その教え子たちのレッスンでも充分実りはありそうだ。
「わかりました。オータムコンサートの件、一度顧問に相談する必要はありますが、前向きに検討させていただきます。海、いいよね?」
「ん? うん!」
よくわかっていない海。
とりあえず、元気に頷いておく。
「このデータ、もうちょっと貸して。後でちゃんと観るから。あと、連絡先教えて」
「はい」
実音とネロは、その場で連絡先を交換する。
海もスマホを取り出すが、彼の眼中にない。そんな彼女を可哀想に思い、白浜が代わりに交換してあげた。
こうして、次の本番と新しい指導者が決定した。




