10.楽器運びはマジで筋トレ
定期演奏会が終演すると、一・二年生の部員たちは自分の楽器や舞台上の椅子の片づけやパーカッションの梱包の手伝いをした。剥き出しのままトラックに積み込むと楽器が傷ついてしまうため、専用のカバーや布で覆って保護をする。
三年生は会場の外で、観客の見送りの仕事がある。友人や家族やOBと軽く会話を交わし、最後の舞台に来てくれたことへのお礼を直接言った。
三年生が戻ってくると、写真撮影の時間だ。業者に撮ってもらうのだが、ここにプリンスパパも混ざる。
「いいネ! もっと笑って! タケシ、かたいヨ!」
彼もプロの個人カメラマンである。
そんな父親に、プリンスは恥ずかしそうな表情を見せた。思春期の息子としては、正しい反応だ。
「ハーイ! 『ティンパ?』……『ニー』ダヨ! もう一回ネ。『ティンパ?』」
「ニー」
「じゃあ『オーミサ?』」
「キー」
「もうヤダ。早く終わってくれ」
プリンスは引きつった笑みを作りながら、思わず声が漏れてしまう。それに周りは苦笑した。
ただひとり、三年生の西田嬉奈だけはノリノリだ。
「ああ! プリンスのお父様に撮っていただけるなんて、幸せだわ! もっと撮ってください!」
どんどん立ち位置から前に出そうになる彼女を、みんなで必死に抑えた。
その後三年生のみでも撮り、残りの片づけを急いで再開した。会場を借りられる終了時間よりも、少し前に完全撤退するのがマナーだ。その終わりの時間と同時に、次の団体が使用開始となる場合もある。
全部積み込み、トラックを先に出す。
ここで保護者たちとはお別れだ。部長の海から感謝を伝え、それから学校に戻った。
実音も、顧問の文と共に施設のスタッフに挨拶をしてから学校へ向かった。
学校に着くと、先に到着していたトラックから楽器などを運んでいく。
それと同時並行で、三年生の卒部式の用意も行った。
「見て。さっきOBから差し入れもらっちゃった」
「え、誰から?」
「みんなで分けきれないね。パートだけでもらう?」
「今日で先輩、最後かぁ。寂しいなぁ」
「ねぇ、この間の模試どうだった?」
「訊かないで!」
「書いてきた手紙、どこやったっけ?」
「書いてくれたの?」
「あ、家に忘れた!」
片すのと用意するのをあらかじめ分担していたのだが、本番を終えた安心感と最後という特別感が、それを妨げた。
「運び隊」がトラックから出したものが、次第に溜まっていく。それを受け取り音楽室に運ぶ部員が不足しているのだ。
「……野田君、OK?」
「はい」
「せーのっ」
実音とプリンスは、一番小さなティンパニをふたりで運んだ。
音は上へと響くため、音楽室は校舎の最上階の五階にある。既に何往復もしており、男子のプリンスでも相当疲れていた。
踊り場に出る度に一度楽器を置いて休憩をした。絶対に落としてはいけないし、ぶつけてもいけない楽器を取り扱っている。だから慎重に運ばなければならない。
「先輩、行けますか?」
やっと半分まで来たところで、休憩をしていたプリンスは実音に尋ねる。
「はぁ……はぁ……」
「先輩?」
荒い息遣いが聞こえ、彼はその顔を見た。そして驚く。
実音の額からは汗が流れ、呼吸も乱れている。こんなにも疲れている彼女の姿は初めてだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
「う……うん。はぁ……だ……いじょう……ぶ」
「どこがですか!」
プリンスは今日の実音の動きを思い出した。
朝早くから全体を監督し、限られた時間でテキパキと指示を出していた。それから本番では演奏はもちろん、演者として役になりきり踊りもしていた。ろくに休憩もしないで、ぶっ通しで働き続けた。今回はお弁当が出たが、彼女は海にあげていてゼリーしか飲んでいない。それで人一倍動いていたのだから、こうなるのは無理もなかった。
「先輩、休んでいてください。今日、全然休憩してなかったし……。ただでさえ、いつも忙しそうなんですから。あ、泓先輩、吉川! ちょっと、交代」
上の階から戻ってきたふたりをプリンスは呼び止めた。
このふたりも何往復もしているため息切れしていたが、実音の様子を見て了承してくれた。
「みおたん、大丈夫?」
「雅楽川先輩、働きすぎですよ。少しは休憩してください」
「……ごめんね」
弱々しい声で謝る実音。彼女にとっては楽器が何よりも優先のため、交代したふたりに任せて息を整える。そしてとりあえず音楽室まで上がる。その際、プリンスは倒れそうな実音の傍についてあげた。
音楽室の中は騒がしかった。そこで、プリンスは廊下の隅の比較的涼しそうな場所に椅子を置き、そこに実音を座らせた。
「ここで座っていてください。ボク、楽器運びの続きに行ってきますけど、何かあったらすぐに呼んでくださいね」
「うん……ありがとう」
そう言って、実音は椅子に対して横に座り、その背もたれに寄りかかりながら目を瞑った。
(かなり辛そうだなぁ)
プリンスは心配だったが、まだまだ運ぶ物は多い。だから、仕方なく階段を下っていった。
途中で海と会った彼は、実音のことを伝えた。すると、海はどこかに連絡を入れる。
「了解、プリンス。ありがとね。ちょっと、人足らんもんね。音楽室からも集めてくるよ」
体力がまだ余っている彼女は、そのまま猛ダッシュで階段を登っていった。
(体力オバケだ!)
お昼にお弁当をふたつも完食した海は、こう見えてももうお腹を空かせている。それでも、親友のピンチを聞いて、駆け出さずにはいられなかった。
「実音!」
あっという間に最上階まで登りきった海は、真っ先に実音の元へ駆け寄った。
「大丈夫……じゃなかね。ばってん、もう心配なかよ。実音の今日の仕事はもう終わりね。こっからはわたしが全部やる!」
そして次に音楽室へと入ると、手を叩いて中の部員たちに指示を出す。
「みんなー! 先輩たちもー! まだ終わっとらんけんね! 下にまだ運ぶもんあるとよ! ほら、こっちはもうほとんど準備終わっちょるでしょ? 手の空いとるもんは下行こ!」
やっと部長らしい言葉を発した海。三年生とのお喋りに夢中になっていた部員たちを動かした。
そこからは早かった。みんなで協力して手早く運んでいき、片づけは全て済んだ。
実音がほんの少しだけ復活した頃、三年生の卒部式が始まった。
一・二年生からは歌のプレゼントだ。プリンスのピアノ伴奏に合わせて『にじいろ』を合唱する。笑顔で送り出したい気持ちと、これで引退する先輩への想いが溢れ、海は泣き笑いしながら歌っている。
三年生からは、まずはひとりずつ今までの思い出や後輩へのメッセージを伝えていった。
それから、顧問の文に感謝を込めたプレゼントが渡された。その中身は筋トレグッズだった。
「だって先生、みるみる太っていっとるような気がして」
「年齢的に、そろそろ健康に気をつけた方がねぇ」
「そうそう。今日の衣装もボタンがはち切れそうだったもんね」
受け取った文は、素直に喜べない。運動が苦手な彼は、これらを使いこなせる自信が全くなかった。
「うん。……ありがとね」
その後は各パートで集まって、後輩たちが自分の先輩へ手紙やプレゼントを渡したり、写真を撮ったりした。
そして、三年生が使っていた備品をせがんだ。リードやチューナーやオイルやポリッシュや譜面台など、この先吹奏楽を続ける予定のない者からもらえる物はもらう。消耗品はいくらあっても困らないし、大好きな尊敬する先輩の使っていた物となればご利益がありそうだからである。ジャンケンで激しい争奪戦が勃発した。
また、パートを超えて役員や係での繋がりのある者同士で話したりもした。
プリンスの周りにだけは、特に関わりのなかった三年生も近くに行き人だかりができた。西田がここでも抱きつこうとしたため、法村風弥が中心となり彼女を取り押さえた。
「何か! せめて何かプリンスの物をちょうだい!」
「こういうのって、普通逆ですよね? ボクが先輩にあげる物なんて……」
「マウスピースは?」
「ダメですよ。まだ使うんですから」
「じゃあ、スワブ! クロス!」
「……」
マウスピースは直接口をつける。スワブは楽器の中を通して掃除をする。クロスは楽器の外側を拭く。
西田の要求してきたラインナップに、ドン引きするプリンス。周りも変質者を見る目を彼女に向けた。
「だって、最後じゃない! ここで遠慮するわけにはいかないでしょ!」
「はぁー。……ちょっと、待っててください」
特大の溜め息をつき、プリンスは何かを取りに行った。
そして戻ってきた彼は、ある物を西田に手渡した。
「っ!?」
「これで、勉強してください」
それはどこにでもある普通のシャーペンだった。しかし、プリンスが使っていたという事実さえあれば、それは特別な物へと変わる。
「あぁ、プリンス! 貴方からの贈り物。さっきのパートの色紙と一緒に家宝にするわ!」
「そんな大袈裟な」
そんな彼の行動は、ほかの三年生にも火をつけてしまう。
「私も!」
「西田だけなんてずるい!」
「プリンス愛用の物と交換したい!」
「えー」
そんなにあげられる物はない。考えた末、彼はシャー芯を一本ずつ渡した。たったそれだけでも、プリンスファンには充分だ。
「これさえあれば、どこでも受かる気がする!」
「本番の試験用に、大事に取っておかないと!」
「神棚に飾って、毎日拝もうっと!」
(試験って鉛筆だと思うんだけど、あれでよかったのか?)
渡した本人には疑問が残るが、三年生たちは満足していた。さらに、仮引退の時に続いて今回も写真撮影に応じてあげた。
卒部式も終了し、部員たちはまだ名残惜しい気持ちを抱えながらも帰宅していく。
実音の体調が気になり、プリンスは彼女の所へと行ってみた。
「先輩、ひとりで帰れます? ボク、送りましょうか?」
男子部員として、ここは自分にも力のあるところを示したいプリンス。だが、実音の代わりに海がその提案を断った。
「プリンス、やっさしい! ばってん、大丈夫だよ。助っ人呼んだもんね」
「え?」
海が廊下に出ると、そこには大護が立っていた。
(この人、あの鼻ダゴの!)
現れた人物を、プリンスは無意識に睨みつけてしまう。その視線に気づいたのか、大護はプリンスに話しかける。
「あ、プリンスだ」
「ども」
「この間は、顔汚して悪かったな」
「いえ」
「で、実音は?」
「先輩なら中に」
「そっか」
海が実音を連れてくると、彼女の荷物を大護に全て持たせた。
「辛くなったら、大護に寄りかかっちゃえ!」
「大護君? なんでここに?」
大護は定期演奏会後は野球部の仲間と一緒に遊んでいたのだが、先ほど海から呼び出された。しかも、学校に到着したことを連絡したのに、海は卒部式に夢中で今の時間まで彼を廊下に放置していた。
「実音ママ、近くまで来てくれるって。じゃ、プリンス、そいぎぃー」
「野田君、ありがとね」
「……はい、お疲れ様です」
海と大護に挟まれながら帰る実音。
プリンスは、自身の非力さを恨んだ。無理やりにでも彼女を抱える度胸も力もまだ足りない。
そんな彼に今必要なのは筋トレだ。どうせやっても三日坊主になりそうな顧問から、あのプレゼントされた筋トレグッズを譲ってもらおうかと本気で考えるプリンスであった。




