11.先輩、召喚
お盆休みも終わり、夏休みの間の長時間練習も残り僅かとなった。
久しぶりの部活で鈍っているのか、基礎合奏の音が前よりも悪い。そうなるだろうと思っていた実音は、部員たちのやる気を出させるためにある人物を午後の練習で投入した。
「プリンスー!」
音楽室に入ってきたのは、ホルンの三年生の西田嬉奈だった。
呼び出しの連絡をした推しに向かって、勢いよく飛び出す。しかし、彼に触れる前に二年生の副部長の法村風弥がそれを阻止した。
「今回の先輩のお席はあちらになります。どうぞ、特等席へ」
「えー」
法村が指し示したのは、ファーストクラリネットの前のスペース。舞台では、客席に一番近い位置だ。
プリンスに近づこうとしても法村が立ちはだかるため、頬を膨らませながら彼女は指定の場所へと移動した。
「この椅子、何?」
「座った方がいいかと思いまして」
実音が気を利かせて置いたその椅子を、西田は端に退けた。そして、その空いたスペースに立つ。
「これでいいわ」
彼女は髪を耳にかけ、まるで戦闘体制にでも入ったかのような近づきにくいオーラを出した。
いつもの面倒なプリンスオタクの彼女は、そこにはもういない。集中力を高め、いつでも始められるようにしている。
「一度、初めから最後まで通してもよろしいですか?」
「ええ。問題ないわ」
その威厳のある声に怯えてしまった顧問の文は、実音から早く指揮棒を構えるように催促の視線を向けられる。震える指先で持つと、それを見て西田が曲のタイトルから口に出した。
最後まで演奏をすると、文も部員たちも西田の迫力に圧倒されていた。実音でさえも、期待以上の実力を見せた彼女に驚いた。
定期演奏会の第一部で披露予定の曲の中で、今回西田が任されたのは「語り」だ。
本来なら曲をメインで聴いてほしいところ。難易度も高く、聴かせ所は多い。だが、どういった意味が込められた曲なのかを伝える必要があり、こうした形を取ることにした。
西田は中学時代、演劇部に所属していた。同じく演劇部出身の二年生の網田九十九は、演出指導がメインだ。一方、西田は演じる側を得意とする。大袈裟過ぎる芝居だからと、中学では主役にはなれなかった。しかし、去年の定期演奏会の第二部の劇ではその座を初めて勝ち取った。大袈裟なくらいが丁度よかった。
そして今回の「語り」も、彼女の熱のこもった話し方が作品とマッチした。
「あー、ダメだ! 本番でも泣きそう!」
「耐えて、海。ソロもあるんだから」
「そうだよ。そこ大事でしょ」
メッセージ性のある曲に更に生々しい状況を説明する言葉が加わり、奏者も影響されてしまう。マイクがない状態でこれだ。舞台上ではより声が通るため、もっと衝撃は凄まじいことになるだろう。
「西田先輩、ありがとうございました。タイミングもバッチリでしたね。ただ、先輩の話し方に迫力がありすぎて、この後に三曲目を演奏できるのかが問題ですね」
実音は泣きそうな海を見て、どうしようかと悩む。
「あら、お褒めの言葉として受け取るわ。でも、それなら簡単よ。曲順を変更すればいいの。今のはまだ五割の力しか出してないし」
「……五割ですか」
それが本当なら、余計にこの後無事に演奏できるかが心配になる。
そこで、実音は後ろを振り返り、パンフレット係の縫壱月に確認を取った。
「まだ業者さんには、最終案って出してないよね? いける?」
「それくらいなら。まぁ、急がんとだけど」
「ありがとう。お願いね」
そして、正式に曲順の変更が決まった。
また西田の「語り」によって、曲の理解がより深まった。いつの間にか、お盆休みで緩んでいた気持ちを引き締めることにも繋がったのだった。
プリンスと話したくて名残惜しそうな西田がやっと帰ったところで、今度は前部長の本多永世が登場した。
「みんな! 元気にやっとるー?」
おやつの差し入れを持って現れた本多。
彼女の目的は、第三部の曲についてだった。
第三部では、コンクール曲と三年生の希望する曲を披露する。それにプラスして、前部長個別のリクエストも演奏する予定だ。彼女は今日、その曲の演奏時間を確かめに訪れた。
「別に時間だけ電話とかで訊けば充分なんだけどね。みんなが演奏する曲の雰囲気も知りたかったんよ」
曲の提案は前から受けていた。
その際、実音は曲目を聞いた瞬間に首を捻った。
「その曲、いい曲ですけど……」
「え? 何か問題あった?」
無難な選曲だと思っていた本多は、その反応に焦ってしまう。
「えっと、マーチを選ぶとは予想していなかったので……」
「マーチ?」
「え? それ、昔の課題曲ですよね?」
「違うよ! 普通はそっちじゃなか!」
同じ曲名のものはたくさんある。
実音は基本ポップスが頭の中から抜けていることが多く、違う曲を思い浮かべていた。
「雅楽川さんって、吹奏楽のオリジナルとかオーケストラについては詳しいよね。ばってん、それ以外はダメなんだぁ」
本多は完璧な彼女の弱点を垣間見れて、少し嬉しくなった。
「ほかの部員なら、そっちも詳しいと思うよ。第二部の曲も、雅楽川さんの専門外でしょ? みんなを頼ってね!」
「そうですね。そういうのに疎い自覚はあります。お客さんに喜んでいただくには、こういった曲の方がいいですよね」
そんなやり取りをしたことを思い出し、笑みが溢れる本多。
実音から借りたストップウォッチを持って、自分のために演奏してくれる後輩たちに向き合った。
「それじゃあ、ノンストップで演奏お願いね」
「はい、ありがとう! 大体の時間も、曲の演奏の仕方もわかったよ。参考にするね」
一曲終えて本多が部員たちに話すと、近くにいた海が涙を流している。
「えっと……どした?」
なぜ泣いているのかと困惑して本多が訊くと、海は涙で不細工になった顔で答えた。
「本番での本多先輩の姿を想像しちゃって……。本当に引退なんだなぁって」
「来年は海もするんよ? 大丈夫?」
「大丈夫じゃなかです」
「ちゃんと演奏してくれんと、こっちも困るんよ。だから頼むね」
「……はい」
隣にいる一年生の松崎萌季は、そんな海に引いていた。しかし、それを感じさせずにハンカチを差し出す。すると、海は礼を言ってから遠慮なく鼻を噛んだ。渡した物は安物で正解だった。
「今日はもう帰るけん。ばってん、文化祭明けの練習からまたよろしく!」
そして、本多も用事を終えると、すぐに帰っていった。
一応、彼女は受験生だ。後輩のことも気になるが、勉強を疎かにはできない。
ふたりの三年生のおかげで、その後の練習にもやる気が出た部員たち。
怠けていた身体は、一日でだいぶ戻すことができた。
その日の練習後、プリンスは実音に旅行のお土産のお菓子を渡した。
「ありがとう! でも、いいの?」
「はい! パートのみんなにも渡しましたから。雅楽川先輩はいろいろお世話になってるので、違うパートだけど渡したかったんです」
「嬉しい! 家で食べるね」
一先ず喜んでもらえたようで、安堵するプリンス。それから、旅行中にずっと気にしていたことを尋ねた。
「それで、デートはどうでしたか?」
「デートじゃないよ! 案内だから! でも、いろんな美味しい物食べられて楽しかったよ」
「……そうですか」
プリンスは、思ったより進展していないようで安心した。
「精霊流しも綺麗だったなぁ」
「え? 夜も一緒ですか?」
「ん? そうだね。彼の家で見たよ」
「家? その男の家に行ったんですか!?」
「……うん」
「何かされーー」
「されてないから! そういう人じゃないから!」
「……」
プリンスが思うより、ふたりの仲は良さそうだった。
嫌がってはいないため、彼女が幸せならそれでも良いと思いたい気持ちはある。それと同時に、知らない男の影がちらつくのは、やはり気分の良いものではなかった。
プリンスにとって、実音はまだ「恋愛対象」というより「憧れ」に近い存在だ。ただし、それは「今は」という話。彼自身もそのラインをいつ完全に越えるのかは、よくわかっていない。
「本当に何かされそうになったら、いつでも呼んでくださいね! 絶対ですよ!」
「う、うん」
今はそう約束させることしか、彼にはできなかった。




