8.合宿三日目
合宿最終日ーー。
顧問の文がニコニコと笑顔で見守る中、サックスの泓塁希は今日も元気に「がんばらんば体操」を踊っている。初日は間違っていた振付も、今では完璧に動きを覚えた。
「最後に相応しい、素敵な体操だったね」
結局、一度も一緒に体操をしなかった文。
この合宿ではいつもより食事をしっかり摂ったため、体重は増加している。生徒が盛りつけた料理が大盛りだったせいもあるが、合奏以外の時間に保護者とお茶会を楽しんでいたのが主な原因だ。
男子の部屋の見回りもせず、昨日もたっぷりと睡眠時間を確保した。おかげで肌艶がとても良い。
最終日の午前中は、定期演奏会の第二部の通しを行う。
衣装も道具も未完成だが、ここで一度全体のバランスを見る。
客観的に観た時にわかりにくい場面がないかや、もっと必要な道具がないかなどを確認する。この際、演者は綺麗に拭いた靴を履いた。また、奏者の並び方も本番通りに配置し、いつもと違う目線に慣れる練習をする。
「準備は大丈夫? 時間も計るから、止めないで最後までやるよ」
実音はストップウォッチをセットし、文に合図をした。
「お疲れ様でした。時間は……大丈夫。では、まず演奏面から。最初のホルン、慌てないで。オープニングだから、低音も重すぎない方がいいかな。それからーー」
実音は、気になる箇所を伝えていく。途中、造酒迅美も自分なりの言葉で指摘した。彼女も、学指揮としての仕事を果たしている。
「この後は、シナリオ係とダンス係と演者のチームと、道具係、あと衣装係でそれぞれ反省会をします。ほかの人たちはその間自主練で」
シナリオ係の網田九十九は、台本を巻いてメガホン代わりにしたものを手で叩きながら、集まった演者にキツい言葉をかける。
「全然、ダメ! キャラになりきってなか! 雅楽川は、まぁヨシ。それ以外は一からまた演技の特訓ね。……それで、観ていていかがでしたか?」
網田は、見学していた保護者たちに尋ねた。
「別に、よかよ?」
「そうねぇ。楽しそうでいいと思う」
「衣装も素敵ね。あれ、本当に手作りなの?」
「内容に、わかりにくいところはありませんでしたか?」
「うーん。大丈夫じゃなかと?」
「ゲームはよくわからん。ばってん、なんとなくは伝わっちょるよ」
「冒険って感じやろ?」
網田はシナリオ係のリーダーであり、中学生の頃は演劇部に所属していた。
彼女は、演技をするよりも演出を考えることが好きだった。映画を観る時も、カメラワークや伏線の出し方などに目がいく。
高校には演劇部がなく、吹奏楽を選んだのはこの定期演奏会での劇が目的だ。希望のシナリオ係となり、今年は台本を任された。とりあえず劇の流れは問題がないようで安堵したが、やはり演者の演技力を強化する必要があると考えた。
「網田先輩。俺のこの役、どうにかなりません?」
一年生の有馬咲太郎は、最初喜んで役を引き受けた。
しかし、網田が渡した台本を読んでからずっとこのように言ってくる。内容に対して相当不満があった。
「有馬にぴったりよ。かっこいいし、最高でしょ? ばってん、動きが下手ね。アクションの練習をもっとせんと」
「かっこいいのは知ってますって! そうじゃなくて……」
「うるさい! これ以上文句を言うなら、役を降ろすけんね!」
「なっ! そんなの横暴だ!」
「お黙り!」
網田は眼鏡を光らせて、ピシャリと言い放つ。
その迫力に有馬は口を閉じた。
「よく聞いて? 私が演出のリーダーなの。せっかく目立つ役を与えたんだから、それに応えなさい! できなければ、本当にほかと代わってもらうけんね!」
「うっ……」
そんなふたりのやり取りを眺めていた海。
自分の考えたダンスは問題がないようで、暇そうにしている。
「演者のみんな、ちょっといい?」
すると、実音が布を取り出してそれを見せた。
「ちょっと足音が気になって。消して走れないかな? 無理なら、これを靴の裏に貼って」
「何それ?」
「フェルト生地。衣装係から、余りをもらってきたの」
実音は演者たちに、その場を走らせた。
すると、何人かの足音が大きく出ていた。衣装に合わせた靴を履いているため、その種類によっては音が鳴りやすかった。
「本番のホールは、もっと大きい音が出ると思うよ。こういうのって、お客さんも気にしちゃって集中できなくなるの。膝でクッションを作って、なるべく抑えられない?」
ヒールの靴でお手本を見せる実音。
その足音は全く鳴らなかった。
「忍者?」
「練習すればできるようになるよ。でも、無理して変な動きになってもいけないし、ダメならこれを貼って音を消そうね」
海は上履きで走ってみる。
それでも音は出る。彼女はそれを、体重の問題ではないと信じたい。
「足音は消して、でも動きはもっと大袈裟にね。そうしないと、遠くの席の人には何してるのかわからないから。やりすぎくらいが丁度いいよ。台詞も、思ったよりゆっくり。相手じゃなくて、客席側に向かって話すのが基本だよ」
「実音って、女優だっけ?」
「違うよ!」
お昼のパスタを食べ終わると、合宿もそろそろ終わりが近づく。
昼食の片づけの後は掃除をして、クリーニングに出す物をまとめる。貸してくれたバスケ部が戻ってくる前に、綺麗な状態にしておかなくてはならない。
それらが済むと、最後はレクの時間だ。全員で外に出た。
「合宿、おっ疲れー! それじゃあ、パァーッと遊ぼう!」
レク係の海と泓、それから一年生で新たに加わった有馬と松崎萌季が前に出た。
有馬は自分からレク係に立候補したが、クラリネットの松崎は、海の強引な誘いによって入れられてしまった。笑顔だが、心の中では「どうして私がこんなことを……」と思っている。
場所は海辺。まだ外は明るく、気温も高い。
「今年は何する気?」
「もう、だるまさんがころんだはなしだからね」
「こんな暑い中で、走るのもね」
二年生はレク係に期待していない。前回のようなことが起きないように願っている。
「今回は……ジャーン! スイカ割りから始めるよ!」
海は盛り上がっていた砂を退かし、そこから大きなスイカを取り出した。
海にしては、ベタだがまともな案だ。
「誰からいく?」
「俺でしょ」
「なんで有馬なのよ。それならプリンスでしょ」
「ボクは遠慮します」
「こういうのは、造酒が向いとるよ」
「え、ウチ?」
指名されたのは、運動神経の良い造酒迅美。
レジャーシートの上に泓がスイカを置き、海が拾った太めの木の棒を渡した。
「ガンバ!」
「いけっかな? 目隠しは?」
「あ、忘れた」
「いいや。自分で目、瞑る」
造酒は深呼吸をして、集中力を高める。
そして、スイカから離れた場所でグルグルバットのように回転してから、指示のある方向を目指した。目は回っておらず足取りもしっかりしている。
そして、目的地まで辿り着くと思いっきり棒で叩きつけた。
バキッ
嫌な予感がし、造酒は目を開けた。
すると、そこには真っ二つに折れた木の棒があった。直撃はしたのだが、棒が腐っていて硬いスイカに負けた。
「……」
「えへっ。ごめんね。で、どうしよっか?」
用意した海は、舌を出して謝罪した。
「包丁あるけん、これで切っちゃる」
そこに現れたのは、やっぱり頼りになる主婦たち。
音和家からスイカが送られてきたのを見て、もしものために用意していた。ほかにもスイカはあり、それらは事前に冷やして切ってある。
「助かるー! さすがママたちだね!」
その場で割り損ねたスイカをカットし、みんなで分けて食べた。
「甘っ。それと……温い」
「砂の中にあったやつだもんね」
「こっちは冷えとって、美味しいよ」
「夏っぽくてよかね」
全て食べ終わると、次は一年生の出し物だ。
「えっと、サプライズではないですが、花火大会をしたいと思います」
「家から持ってきたやつ、一旦ここに集めまーす!」
合宿の前から告知のあった企画で、二年生も安心して聞いている。
「蝋燭とバケツは五箇所あります。火傷しないように、周りに注意してください」
「二本持ちは禁止で。そんじゃ、始め!」
有馬の合図で、適当に花火を選んで散らばる。
この場所で花火の許可を取ったのは文だ。その彼が、一番はしゃいで楽しんでいる。
「見て。これ綺麗」
「こっちは勢いがすごっ。あ、もう終わった」
「蝋燭の周り混んどるけん、火、もらうね」
「よかよ」
「楽しいし綺麗だけど、どうせならもっと暗い時間がよかったよね」
「仕方なかよ。この時間しかダメだって言われたんだって」
「暗いと、ちゃんと片づけたか見えないもんね」
「ちょっと、誰!? 爆竹持ってきたの!」
「……泓先輩です」
「見つかる前に隠さんと!」
楽しそうな部員たちを見ながら、実音は座って潮風を感じていた。
「隣、いいですか?」
「うん」
プリンスは、騒ぐ部員たちから逃げ出して実音の隣に座る。
「明日から、夏休みですね」
「そうだね。野田君は何するの?」
「毎年行ってる家族旅行に。いつもdadが張り切ってて……。先輩は?」
「編曲で見直したい箇所があるの。あとは自分の練習もしなくちゃだね」
「遊びに行ったりは?」
「あー、うん。まぁ……ちょっと、誘われてて」
「え!?」
驚いて、プリンスは思わず実音の顔を見た。
「……」
その表情で、彼はまだライバルがいることを知った。
「……それって、カレシですか?」
「違うよ! 同じクラスの人で、いろいろ案内してくれるだけ」
「でも、男なんですよね?」
「……そうだね」
「好きなんですか?」
「っ!」
今度は実音が、パッとプリンスの方を向いた。
「それは……そういうのじゃないよ」
そう否定するが、その後の言葉が出てこない。
プリンスは深く溜め息をつき、遠くの海原へ目線を移動してから口を開いた。
「ごめんなさい。困らせちゃいましたね。でも、これだけは伝えておきます。ボクにとって、雅楽川先輩は憧れの存在です。その男がもし先輩を傷つけたら、ボク、何するかわかりません。その時は遠慮しないんで」
「野田君?」
「それじゃあ、良い夏休みを」
プリンスは、逃げるようにその場を去っていった。そして残り少ない花火を持って、泣きたい気持ちを隠すようにはしゃぎ回るのだった。




