6.ブンブンは頼りない
実音は、入部初日から楽器を吹くことができなかった。そこでとりあえず、顧問の文に部室を案内してもらうことになった。
「この音楽室が吹奏楽部の部室だよ。合奏とか、さっきみたいに全員集まるのはここだね。それ以外の時間は、今みたいにパーカッションが使ってるよ」
文の言うとおり、現在音楽室ではパーカッションパートが練習中だ。様々な種類の打楽器を並べて、各々個人練習をしている。
「隣の部屋が打楽器倉庫でね、毎回あそこから運んでるんだよ。で、その隣が管楽器倉庫ね」
文が実音を管楽器倉庫へ連れていこうとしたところ、彼女はパーカッションの練習風景をジーッと見て動こうとしなかった。
「どうしたの?」
「あのスネアドラムとバスドラムとティンパニのヘッド、いつ交換しました?」
「ヘッド? いつかなぁ? おーい」
文はパーカッションパートに声をかけ、一旦練習を止めさせた。
「ねぇ。スネアドラムとバスドラムとティンパニって、いつヘッド変えたの?」
すると、副部長兼パートリーダーの女子生徒である入江が代表で前に出てきた。
「ヘッドですか? ……さぁ? 私たち三年が入部してから一度もしとらんのは確実です。最後がいつだったかはちょっと……」
「弛んでません? 少し締めてもらってもいいですか?」
「え? あ、うん」
入江は他の部員に指示を出し、それぞれ調整する。
「それで叩いてみてください」
部員たちは言われたとおりに叩いてみる。
そしてみんなが実音を見ると、彼女は首を傾げていた。
「音、張ってないですね。余韻も短いし……。表面、見せてください」
実音が近づいてそれぞれの表面を見ると、呆れた顔をして文を見た。
「皮も薄くなってますね。ほら。どれもだいぶ交換してなかったようです。こういうのは二年に一回くらいは張り替えないと」
「へぇー。音を聴いただけでわかっちゃうんだね」
感心する文を置いて、実音はほかの打楽器も見ていく。
「かなり使い込んでますね。これはいろいろ修理が必要ですよ」
「オーボエ以外も詳しいんだね」
「プロの音源を毎日聴いてましたからね。上手い演奏を耳に入れると、専門外の楽器の良し悪しも自然とわかるようになりますよ」
「へぇー。さすがだね」
入江含めパーカッションの部員たちは、実音を羨望の眼差しで眺めていた。
「先生。明日、楽器屋さんがいらっしゃるんですよね? ついでにパーカッションもお願いします」
「そうだね。いくらかかるかな」
頷きながらも、文はお金の心配で顔色が悪くなった。
「ここだよ。狭いから、気をつけてね」
次に音楽室を出たふたりがやってきたのは、管楽器倉庫だ。
今練習で持ち出しているもの以外の楽器のケースや、譜面台や楽譜のファイル、それからメトロノームなどの備品が置かれている。あとは芸能人の写真やキャラクターのイラストや食べかけのお菓子といった、関係のないものまでもがあった。
「汚なっ」
「あはは。正直だね」
「笑い事じゃないですよ。きちんと整理できていないから、さっきみたいに楽器を取り出すのに時間がかかるんです。それに楽器の近くに食べ物なんて、絶対にダメです。もし虫とかネズミとかが来たらどうするんですか。楽器に何かあってからでは遅いです!」
「……うん、そうだね。すぐに捨てさせるよ」
続いてやってきたのは、音楽室の奥にある準備室だった。
ここは本来音楽科の教師のための部屋であるが、現在は楽譜や過去の演奏会などの資料部屋になっている。
「ずいぶん、楽譜買ってますね」
「最近の流行りの曲が出ると、こうして増えちゃうよね」
「もったいないです。楽譜だって安くないんですから、節約しないと」
「そうなんだけどね。ほら、こういう曲をやるとお客さんも喜ぶしさ」
「それは同意します。ですが『流行りの曲』ってことは、次の年にはもう演奏しないんですよね? ここの予算、足りてるんですか? オーボエやパーカッションみたいに修理にお金はかけるべきですけど、あまり余裕がないのならむやみに楽譜は買わない方がいいですよ。そういえば先生、編曲はできますか?」
「編曲? 僕が? とんでもない!」
文は首を左右に激しく振りながら答えた。
その様子に、実音は「やっぱりかぁ」という残念な顔をする。
「吹奏楽は専門外でしたもんね。外部に頼んだりとかは?」
「え、そんなことできるの?」
「したことないんですね?」
「……はい」
「わかりました。私がやります」
「君、そんなこともできるのかい!?」
「まぁ、何度かしたことあるんで。学校ごとに、音にも特色があるじゃないですか。だからそれを活かすために、楽譜があっても多少変更するのはよくあることです。方南は編曲専門の外部講師の方がいましたけど、個人的に前からいろいろ書いたりはしていたので」
「ほんと……すごいね」
「ですから、お金に余裕が出るまではあるものでやるか、私の編曲で乗り切りましょう。演奏するとなると申請が必要な場合もありますから、それは先生にお願いします。よろしいですか?」
「わかったよ!」
(大丈夫かなぁ)
その返事を信用していない実音は、自身でも確認しようと心に決めた。
「コンクールの曲は決まってるんですよね?」
「もちろん。課題曲はⅣで、自由曲は『マードックからの最後の手紙』だよ。知ってる?」
「『マードック』ですか。あれ、いいですよね。まるで一本の映画のような曲で……。私も好きです。あれ? じゃあ、オーボエのソロはサックスですか?」
「うん、そうだよ。でも君が入ってくれたから、代用しなくてよくなったね」
「私でいいんですかね」
「いいんじゃない?」
「そう……ですか。それより、課題曲はマーチやるんですね」
「だってほら、僕まだまだ初心者でしょ? 指揮がしやすそうだし、今年の四曲の中で一番みんなが吹けていたから」
ニコニコ顔で話す文に、実音は溜め息しか出ない。
「先生。マーチの難しさも、指揮の難しさもわかってないですね。とりあえず、四拍子振ってもらっていいですか」
実音は目の前にあったメトロノームのネジを回し、カチカチと鳴らし始めた。
「テンポは百二十六でいきます。お好きなタイミングでどうぞ」
「え? あ、うん」
戸惑いながらも、文は右手を動かす。
暫く続けていると、実音がメトロノームを止めた。
「全然ダメですね」
「へ?」
「三拍目が伸びすぎです。初心者の典型ですね。強拍のメリハリもわかりにくいですし、点が見えません」
「えー、そんなぁ」
まるで「やれやれ、ダメだこりゃ」と言わんばかりの表情をされ、文は落ち込むしかなかった。
一応合唱部の顧問もしていたため、指揮を振ったことは何度もある。高校生からダメ出しされるとは思わなかった。
「参考になりそうな物を持ってきますので、それを使って先生は勉強し直してください。よろしいですね?」
「はーい」
今日初めて話した生徒に、完全に言いなりの文であった。