4.音楽の教師ですから
定期演奏会の第一部では、三曲を演奏する。
そのうちの一曲ではまた歌が登場するため、今回も部員たちは顧問の文からの指導を受けていた。
「ここを教会だと思ってごらん。テレビで観たことあるだろ? ああいう所で歌うと、響きがすごいよね」
「ブンブン、教会で歌ったことあるの?」
海が質問すると、文はとぼけた顔をする。
「いいや。教会なんて入ったこともないよ。映像でならあるってだけ」
「……」
多くの部員の冷たい視線を受ける文。
耐えきれなくなって、話題を変える。
「それにしても、綺麗な曲だよね。まさか三角関係のもつれで、最終的に殺人事件が起きるなんて想像できないよ。その登場人物の気持ちになって、ほら、歌ってみようか」
(そんな気持ち、わかるか!)
吹奏楽で演奏される曲には、元はオペラ曲であるものも多い。今回もそうだ。
歌劇では、かなりグロテスクな場面が普通に出てくる。それを音楽で高校生が表現するのは、本当に難しい。理解できないまま演奏しているであろう団体は、よくある。
「オペラの映像観ただろう? 恋愛って難しいよね」
「ブンブンって、大人の恋愛したことあるの?」
「え、僕? ふふふっ。聞きたいかい?」
「うーん。そんなに興味ないかも」
海は正直に答えた。周りの部員たちも頷いている。
「そんなことよりも、ちゃんと練習しましょうよ」
さらに、実音のお説教モードが加わって仕方なく文は練習を再開した。
「歌う時に、手でこうやって表現してみようか。音階が上がれば手も高く。伸ばす時は手を遠くにね」
文はお手本を見せながら、丁寧に教えていく。
普段の授業では生徒に歌わせることが多く、文が歌うことは少ない。ピアノが苦手な彼は、伴奏に必死でそんな場合ではないのだ。
今は教師らしく指導し、かつその声量を余すことなく披露している。ソプラノの音は出せないが、テノールの声でポイントを伝えていった。
「ブンブンって、先生なんだね」
「同じこと思った」
「『ぐるりよざ』も歌っとったね。本当に上手いんだぁ」
「ブンブンなのにね」
口々に褒める部員たちに、涙が出そうになる文。バカにした言い方よりも、単純に教師として認められたことが彼は嬉しかった。
「ありがとう、みんな」
「あはは。ブンブン泣いとるの?」
「時間、もったいなかよ」
「続きやろうよ!」
「うん。そうだな。やろうか」
その後も、音楽室には綺麗な声が響き渡った。
午後の合奏では、第一部の曲を中心に練習した。
特に二曲目は、とても重いテーマだ。気分も暗くなってくる。
「そこのトランペット、リズムが甘い」
「緊張感が出てるのはいいけど、全体的にテンポが遅れ気味。メトロノーム、ちゃんと見て」
「感情込めるのは間違ってない。でも音楽が止まって聴こえる。ほかの音も聴いて」
そうなるのも無理はない曲だ。
しかし、実音は容赦しない。メッセージ性のある曲だからこそ、観客にも伝わるように中途半端な演奏はできない。
「これだと、お客さんにはわからないと思う。タイトルで想像はできるかもしれないけど」
吹奏楽では有名な曲でも、聴きに来る人が全員この曲を知っているわけではない。普段ポップス以外を聴かない者も多いと思われる。このまま演奏しても、その魅力がちゃんと届かないのなら意味はない。
「ボク、いい案があります」
手を挙げたプリンスに、全員が注目した。
合奏中にその姿を堂々と見られるだけで、ほとんどの女子たちは嬉しそうだった。
「うちの先輩、使いませんか?」
「え?」
それに反応したのはホルンのパートリーダーの法村風弥だ。自分のことかと思い、焦る。
それに気づいたプリンスは、すぐに否定した。
「あ、法村先輩じゃなくて三年の……」
「あー、そっちね」
法村は安堵するが、部員たちは謎が深まった。
「演奏がメインなのはわかるんですけど、この曲にはこっちの方がいいかなって思ってーー」
そして、プリンスはその考えを全員に提案した。
実音もその案は前から考えていたのだが、適任が見つからなかった。
「先輩って、そういうの得意なの?」
「はい。ですよね?」
プリンスは法村に尋ねた。すると、彼女もその案に賛成した。
「うん、ぴったり。本人もやりがいあるし、きっとOKしてくれるよ。プリンスが頼めば断る理由ないし」
「ボクが頼むんですか?」
「お願いね」
「……わかりました。ボクが言い出したことですから」
結局その案は採用され、後でプリンスは仮引退中の自分の過激なファンへ連絡を取った。
結果は即答で快諾。第一部での出演が決まった。
一番最初に演奏する曲は、行進曲だ。
ただし、ずっしりと重たい重厚感のある曲である。だから今までと同じ足踏みのやり方での練習では、その重々しさが出なかった。
「途切れないように足踏みは続けるけど、少し着地を長めにしてみて。重たい鎧を纏っているイメージで」
実音のアドバイスどおりに足踏みする一同。
海とサックスの泓塁希だけ、怪獣の足踏みのように見える。
「海と泓君、やりすぎ。物理的な重さじゃなくて、威厳を出して。この曲のタイトル、世界史でも習ったでしょ」
実音はそう言うが、ふたりはポカンとする。その顔には、はっきりと「何それ?」と書いてある。
後輩の松崎萌季は隣で絶句した。しかし、海が「知っとった?」と純粋な瞳で訊いてくるため、彼女は曖昧な返事をしておいた。
「ふたりは今日、居残りね!」
実音から叱られるふたり。
勉強ができなくても、せめて曲の解釈くらい自分で調べられるようになってほしいと、実音は切に思った。
居残り組への特別授業を終え、実音は当番の保護者の元を訪れた。
「今日もありがとうございます」
「よかよか。こうして、お茶しとるだけやけんね」
「いろんなBGMも聴けて、青春って感じよ」
練習中、鍵当番の保護者たちは持ち寄ったお菓子などを食べたり、おしゃべりをして過ごしている。たまに教室を見回るが、基本良い子たちのため苦労することはない。
この日も文が早く帰ることができたのは、この保護者の協力があるからだ。暗くなる前に帰宅でき、彼も嬉しそうだった。それでも、ほかの教師より長期の休みが取れない顧問のことを可哀想だと実音は思っている。思うだけで、これ以上は何もしてあげられない。来年度に副顧問でも来たら少しは楽になるが、どうなるかはわからない。
「それで、明日からのことなんですが」
「あー、それね。問題なかよ。こっちはこっちで楽しく過ごすけんね。何かあればすぐに言って」
「そういえば、音和さんがさっきこれば置いていってくれちょったよ。立派やね。うちにも欲しいくらい」
「わー! 美味しそうですね」
見せてくれたのは、大量の野菜だ。
たくさんの種類を育てている農家の海パパと海ママは、あまり鍵当番に来られない。そのお詫びに、こうして食べ物を持ってきてくれた。
「明日、みんなでいただこうかね」
「そうですね。部員たちでなるべく作りますが、失敗しそうになったらその時はよろしくお願いします」
明日から大三東高校吹奏楽部は、夏合宿を行う。
場所は学校。
そもそも合宿の予定はなかったが、今年は初めて行うことになった。もちろん宿泊施設を借りるお金はないため、県外に遠征中のバスケ部に特別に校内の宿泊棟を使わせてもらえることになった。
これは、校長の下僕として励んだ文と、生徒会とのコネを作った実音の功績が大きい。
バスケ部のためのような施設で、ほかの部活の者が使うのは珍しいことだった。そのバスケ部のキャプテンにも、快く許可をもらうことができた。彼は吹奏楽部を応援していた。
明日から、次の本番のための特別合宿が始まる。




