1.新学指揮は大雑把
定期演奏会では、全部で十曲以上を演奏する。
吹奏楽用の楽譜が存在しないものについては、実音が編曲しなければならなかった。編曲をする場合、一般的には専用のソフトを使う者が多いが彼女は手書き派だ。それを各パートがスコアから切り取ってパート譜にしたり、見やすいように清書したり、ソフトで書き直したりした。
顧問の文は、得意ではないが自分が振る曲については、スコアをパソコンを使って自身の見やすいように変えた。既存のほかのスコアについては、楽譜係が拡大コピーをして製本した物を文は使用している。まだ老眼ではないが、この方が見やすいため助かった。
学生指揮者の実音と造酒迅美は、文より小さいサイズを楽譜係の一年生に作ってもらった。ふたり共同じ楽譜係のため自分でもできるが、曲が多すぎる。フルスコアを大量に持ち歩き、それを基に合奏したりする。
実音たちのスコアは、最悪皺があったりしても問題ない。大変なのは業者用だ。外部の大人に渡すもののため、みんなで手分けして慎重に製本した。
一番上手いのは実音だった。
「これ、本当に糊でくっつけただけ?」
「そうだよ。皺ができにくい糊でやれば、こうやって綺麗になるの」
コピーは下手くそだが、製本だけはバッチリな実音。それを見て造酒たちは驚いた。
美術の成績が悪くても、実音はこれだけは得意だった。彼女は細かい作業はできるが、センスがゼロなだけだ。
次に上手いのはプリンスだった。彼は実音が楽譜係だと知って、第一志望にこの係を書いた。実音も彼のことを便利だと思っているため、真っ先に名前を挙げた。
「プリンスって、なんでもスマートにできちゃうんだね」
「そうですか? まぁ、お役に立てているなら嬉しいです」
「あ、歌はダメだったね」
「そ、それは歌が下手なんじゃなくて、音域の問題です!」
造酒は自分から褒めたくせに、自ら落とした。別に悪気があるわけではない。
そして、一番製本が下手なのは造酒だった。彼女はとても大雑把な性格で、繊細な作業が大の苦手である。手先にもそれが表れていた。だから製本はほかに任せ、大量のコピーを買って出た。これも地味に面倒な仕事だ。曲がったりしないように、気をつけなければならない。
「どうして、業者にも渡すんですか?」
ある一年生が、出来上がったスコアを見ながら実音に訊いた。
「当日カメラで撮ってもらって、それをDVDに編集してもらうでしょ? その時、どの楽器が目立つかを知っていた方が、カメラマンがやりやすいの。映像を見た時に、自分が特に練習したところが映ってると嬉しいよね。そういう奏者の想いをよくわかってるプロ集団なんだよ。ほかにも施設の音響さんとか、照明さんとか、いろんな人が一緒に演奏会を作り上げてくれるの。ありがたいね」
「なるほど」
実音の説明で納得する一年生。
自分たち以外の人も関わって、ひとつの演奏会が成り立つことを知った。
「これでスコアはOKだね。私のやつも作ってくれて、みんなありがとう。大事に使います」
実音は、後輩たちが製本したスコアを抱きしめて言った。合奏の時の厳しい彼女とは違い、こういう時はとても優しい。
一年生は、こんなことで感謝してくれる先輩に接し「楽譜係になってよかった」と心から思った。
この日の練習は分奏を行った。
金管楽器の合奏を実音が見て、木管楽器の合奏を造酒が見た。その間、文はパーカッション担当だ。彼は練習に付き合うが、口出しはできない。ほぼメトロノームをかけたり止める係だ。
造酒は緊張しながら指示を出していった。今日は基礎だけをやるように、事前に実音から言われた。低音から音を重ねさせ、バランスのおかしなところを指摘した。
「縫と泓だけで吹いてみて。……うーん。合ってなかね。それじゃあ、一年も入りづらいでしょ。もっと、こう、あれだよ。縫はヌーンってしとって、泓はバーンって感じ。だから合わんのよ。わかる?」
造酒の説明は間違ってはいない。だが擬音が多く、抽象的でわかりにくい。海だけは「なるほどー」と言っているが、ほかの者にはほぼ伝わっていない。
「ドーンって吹くの?」
そのため、泓は更に迷走した。
「いや、ドーンじゃなか! バーンってなっとるけん、ターンにして」
「え、ジャーン?」
「違ーう!」
雑な指導とバカの会話に、何人か呆れてつまらなそうにしていた。
あまりにも進まないため、クラリネットの一年生が手を挙げた。
「えっと、つまり息のスピードが合ってないってことですよね?」
「ん? あ、そう! そういうこと。松崎、ナイス! ふたりで合わせて、もう一度」
フォローしたのは松崎萌季。
今年のコンクールにも出場した、一年生の中ではプリンスに次ぐ実力の持ち主だ。
(はぁー、ダルッ。雅楽川先輩に見てもらいたかったなぁ)
そして、彼女はかなりの腹黒である。その本性に周りは気づいていない。
造酒はその後も、ジェスチャーを交えながら自分なりに進めた。彼女は実音から貸してもらった教材で、毎日遅くまで勉強している。その内容を思い出し、楽器の特性に合わせた指示ができるように努めた。
練習を終えると、楽器を吹いていない造酒が一番疲れていた。
「はやみん、お疲れー!」
「……うん」
海が楽器を片しながら声をかけてきた。
「どうだった? 初めての合奏は」
「しんどい。吹く方が楽。雅楽川が化け物に見えてくる」
「はやみんも上手くやっとったよ。ね?」
海は笑顔で、隣に座る松崎に同意を求めた。
すると彼女も笑顔を作る。
「はい! かっこよかったですよ」
「ほらね。もえちゃんもこう言っとるよ」
「……ありがと。雅楽川と明日の練習内容の打ち合わせ、行ってくるわ」
そして、造酒はトボトボと教室を出ていった。
「お疲れ様。木管、問題はなさそう?」
「こっちに問題ありかな」
「え?」
造酒は、実音に先ほどの内容を伝えた。
それを聞いて、実音は一緒に考えてあげた。
「造酒さんはさ、感覚派なんだよね。音を聴いててもそう思う。楽譜に忠実っていうよりも、曲の雰囲気に合わせられるタイプ。今まで、基礎練習をつまらないって思ってたでしょ?」
「うっ。……そうかも」
ズバリ的中してくる彼女に、造酒は苦い顔をする。
「ロングトーンもリップスラーも、全然足りてないんだよ。基準の音に合わせるの、造酒さんなら難しくないはず。その時に何を自分がしているのかを、言葉で表してみたら? ブレスのタイミングとか、スピードはどれくらいとか。それを合奏でも言葉で教えてあげるの。指導者も十人十色。みんな違うこと言ったりする。だから、間違ってるのかもとかあまり考えないで、思ったことをそのまま言えばいいよ。堂々としていれば、みんなついてくるから。迷いを見せちゃダメ」
「雅楽川も、内心迷ってたりするの?」
「もちろん! 悩んで悩んで悩みまくってる。見せてないだけだよ」
自信満々で、実音には弱いところがないと思っていた造酒。
部員たちにそれが伝わらないように必死に隠して前に立っていたと知り、自分の今の状態が情けなくなった。まだ経験の浅い身で、上手くできないのはみんなわかっている。伝わらなかったら、またほかの人から助けてもらえば良い。
少しだけ自信がついた造酒は、実音にお礼を言って明日の練習に備えることにした。
その後、造酒は残っていた有馬咲太郎と遭遇した。
「先輩、まだおったんですか?」
「そっちこそ」
「俺は衣装合わせで。なかなかイケてますよ。写真撮ったんで見ます?」
「興味ゼロ」
ふたりは仲が悪い。
正しくは有馬は先輩を揶揄っているだけで、造酒はソロを取られないように死守せねばならず彼を警戒している。
おちゃらけているが、実力は確かにある有馬。特に高音を簡単に出せてしまうのを、彼女は心底羨ましく思う。
「早く帰れば?」
「なんでですか? せっかくだし、一緒に練習しましょうよ」
「嫌。ひとりでやるけん、邪魔しないで」
「……可愛くねーな」
「は?」
「なんでもありませーん」
こんな後輩に負けたくないと、造酒はずかずかと廊下を歩き空き教室を探した。
見回りの保護者とすれ違ったが、恐い顔で挨拶をする彼女を見て小さな悲鳴をあげられた。




