2.野球部からのお願い
それは六月の中旬のことだった。
「失礼しまーす!」
音楽室で練習中の吹奏楽部の元に、野球部の生徒たちがユニフォーム姿のまま入ってきた。その中には大護の姿もある。
女子でいっぱいの空間にそわそわする者もいたが、レギュラー陣は堂々としている。
「今日は、お願いがあって来ました!」
主将の三年生が、代表で吹奏楽部に頭を下げる。
毎年の恒例行事のため、多くの部員たちはそれを温かく見守った。
「今年こそ、甲子園に向けて勝ち進んでいきたいと思います! そのために、今回もみなさんの球場での応援をお願いします!」
「お願いします!」
野球部全員が頭を下げると、部長の本多が実音と目を合わせてから前に出た。
「わざわざ出向いてくださり、ありがとうございます。部長の本多です。私たちも野球部を応援したい気持ちでいっぱいです」
顔を上げた主将は、その言葉に感謝を告げようとした。しかし、彼の口が開ききる前に本多は続ける。
「ですが、今年は吹奏楽部も全国大会に向けてとっても忙しいんです! ですから、条件をつけさせてください」
「……へ?」
同じクラスの本多と主将。
昼休みに恒例行事をしに行くことは、事前に伝えていた。その時、彼女は「オッケー」とだけ言った。こんな返事をされるとは聞いていない。
それは吹奏楽部のほかの部員たちも同様だった。
「やらんの?」
「どういうこと?」
「応援、楽しみにしとったのに」
ざわつく音楽室。
本多はポケットからメモを取り出し、それを読み上げる。
「野球応援をするために負う、吹奏楽部の負担についてお話します」
「……本多? 何、言ってんの?」
「黙って聞いて。まず、演奏するために練習時間が必要です。野球応援には数曲も用意する必要があります。その分時間が取られます。それから、楽器の運搬も重労働です。トラックを用意するのもお金がかかります。そして演奏ですが、屋根のない場所で行うため直射日光が当たります。これは楽器に悪影響になります。砂埃も木管楽器に大ダメージです。金管楽器は丸洗いできますが、木管楽器はそうはいきません。となると、金管楽器だけでの演奏もありです。でも、人数が減るので大きな音を出さなくてはいけません。大事な時期に、唇を酷使したくありません。コンクール直前に、こんなに吹奏楽部が苦労して良いのでしょうか? 野球部のみなさんは、去年の私たちの定期演奏会のチケットを買ってくれましたか? いったい、何をしてくださいましたか? そもそも、頼むのも遅すぎます。以上の理由から、今年は条件をつけさせてもらいます」
読み終えると、本多は「ふぅー」と息をつく。
圧倒されていた主将は、ハッとして口を開ける。
「吹奏楽部の主張はよくわかった! 確かに言われてみれば、すまなかったと思う。このとおりだ!」
深く謝罪をする主将。慌ててほかの野球部員たちも従う。
「それで、条件は?」
「えっとー」
本多は再びメモに目をやった。
「残りの練習試合で勝つこと。これが条件。勝てたら当日応援に行きます」
シンプルかつ優しそうな条件。
しかし野球部はついこの間の甲子園の前哨戦で、一回戦負けだった。
「わかった! その条件でお願いする!」
了承してくれたことに、本多は安堵する。
後ろを振り返り、実音にピースサインをした。
「では、俺たちは練習に戻る。邪魔して申し訳なかった」
主将はもう一度頭を下げてから、音楽室を出て行った。それに、ほかの者たちも倣う。
全員が去った後、吹奏楽部の部員たちは本多に詰め寄った。
「さっきの、あれ何?」
「毎年のことなのに、どうして?」
「今年は応援しないんですか?」
「……」
なぜこんなに質問攻めにあっているのか、理解できない本多。
そして、気づいた。部員たちに話すのを忘れていたことを。
「それはーー」
商店街のミニコンサートの出演が決定した後、年間のスケジュールを確認していた実音は驚愕した。
長崎のコンクールは、実音の今までの経験よりも実施が早かったのだ。そして、その大事なコンクールの直前に野球応援の予定が入っていた。
すぐに彼女は顧問の文を問いただした。しかし、文は「毎年こうらしい」としか言えない。
そのやり取りをたまたま近くで見ていた本多。何がいけないのか、初めはさっぱりだった。だが、実音に丁寧に教えてもらった。
「つまり『こんな時期に何やってんだ!』ってこと?」
「まぁ、そうですね」
「ばってん、この応援はみんな楽しみにしとるのよ。もちろん野球部も。主将がね、同じクラスなの。どう言ったらよかかね」
困っている部長を見て、実音は自分が説得すると言った。しかし、本多は首を横に振る。
「ここは部長の私に任せて! あんなイカつい連中相手じゃ、やりにくかよ。部員への説明も私がするね」
「いいんですか?」
「もっちろん! それで、なんて言えばよかね? 雅楽川さん、文章だけ考えてくれない?」
「……はい」
その後、実音の言うことを紙に書き留める本多。手を動かしながらも、クラスメイトのことが気になってしまう。
「気合い入っとるの知っとるけん、ちょっと心苦しかね」
それを聞いて実音も暫く考え込んだ。
そして彼女は本多に、ある提案をする。
「あのーー」
実音は、部長がいつまで経っても部員たちに話さないことを不思議に思っていた。だが、何か訳があるのではないかと考え、口出ししなかった。
実際は本多が忘れていただけだということを、今知った。
吹奏楽部部長、本多永世。
本人は、自分のことをしっかり者だと思っている。それで部長に選ばれたと、今も信じている。
しかし、彼女が部長になったのは争いを好まない中立派だからである。いつもどこかふわふわっとした彼女の前では、井上であっても牙を抜かれそうになる。選ばれた理由は、彼女以外の三年生全員が知っていることだった。
七月中旬ーー。
野球部の練習試合の結果は、惨敗。
約束どおり、今年は吹奏楽部の応援はない。その代わり、ベンチに入れない野球部員たちと家族などが声を一生懸命出してくれた。
(自分たちのせいだ。これは仕方がないこと)
主将は自分自身にそう言い聞かせる。
最後の大会。少し寂しい形になってしまったが、諦めずにやるしかない。
そして、審判の声で試合が始まった。
味方のバッターが構えるが、緊張しているようで動きがぎこちない。
「落ち着けー! いつもどおりでよか!」
しかし、距離があるためか緊張のためかこちらに気づいてくれない。
「あいつ、大丈夫か?」
このままではまた悲惨な結果になるという予感が主将に走る。
その時だった。
「え? どうして?」
突如、遠くから派手な音楽が流れてきた。
それはいつもグラウンドで聴いている音と同じ。吹奏楽部の演奏だ。
バッターにもそれは届いており、ガチガチの顔がすぐにほぐれる。そして思いっきり振ったバットは、どうにかボールにかすった。
「よし!」
真後ろへ飛ぶファールボールだったものの、いつもの顔の仲間。主将は応援に更に力を入れた。




