12.マードックからの最後の手紙
今年の自由曲は『マードックからの最後の手紙』だ。
曲名に出てくるマードックとは、あの有名な豪華客船であるタイタニックの一等航海士の名前である。本名はウィリアム・マクマスター・マードックという。
マードックは、船に乗るといつも家族に手紙を書いていたらしい。この曲は、そんな彼があの悲劇の航海でも手紙を書いていたのではないかという想像の話だ。彼が見たであろう風景や出来事を、手紙を綴るように曲に表している。コンクールでも人気の曲だ。
「マードックさんって、家族想いの人だったんだね。それなのに……うっ……」
曲の理解を深めるために、実音たちはタイタニック号の事故やマードックについてできるだけたくさん資料を集めて調べた。輪になって座り、わかったことを教え合う。
海は感情移入して、涙を流している。同じパートの紣谷秀奈は、そんな彼女にハンカチを渡した。
「彼のことを知れば知るほど、あの映画のマードックが『誰だこいつ?』ってなるね」
「だから、家族も抗議したって。そりゃ、そうなるよな」
縫もスマホで調べた情報を伝える。
「……ゔっ……マードックさんの……だめに……ゔゔっ……ぜっっっっだい……すんごいの吹ぐ!」
ボロボロの海。紣谷のハンカチは涙と鼻水でぐっちょりだ。
「うん。その気持ち、大事にね」
実音も、よしよしと頭を撫でてあげる。
そして撫でながら、部員たちに向かって話し始めた。
「この曲は、とても情景が浮かびやすいですよね。それぞれの場面がいったいどんなシーンなのかを、全員で共有しましょう」
音楽室には、彼が見たであろう風景の写真が貼られている。それらを見ながら、みんな自分の考えを述べていった。
「ここは朝日を見てて、それからーー」
「いや、夕日でしょ」
「なるほど。それもあるか」
「こっちは家族のことを想ってそうだよね」
「うん、確かに」
「氷山はここかな」
「そうだね。演奏するの、辛いなぁ」
「これって、乗客が踊っとるのかな? 映画でも、そういうのあったよね」
出てきた意見を、実音はスコアに書き込む。
楽器に役名をつけるように、それぞれの意味をみんなで想像していく。
やがて共有が終わると、実音は全員を立ち上がらせた。
「では、さっき出た意見にもあったダンスの場面、実際に踊ってみましょう」
「え?」
その言葉に海は「楽しそう」と喜び、ほかの者は嫌そうな顔をする。
「ダンス苦手なんだけど」
特に渋っているのは学生指揮者の井上だった。
そんな彼女に海は笑顔を向ける。
「えー。きっと、面白いですよ」
「海。あんた、さっきまで泣いてなかった?」
次のことで頭がいっぱいで、海はケロッとしている。経験したことのない練習方法に、ワクワクが止まらない。
「歌いながら身体を動かしてみましょう」
実音が指示するが、部員たちは恥ずかしそうにする。
「踊るって、振付は?」
「ないですよ。ご自由にどうぞ」
「は?」
井上の疑問に、実音はサラッと無茶振りをする。
「いやいやいやいや! 本当に無理!」
(必死だなぁ。そんなにダンス苦手なのか)
手で大きくバツを作り激しく首を振る井上の姿に、実音は少し笑いそうになる。
だが我慢して、丁寧に説明をする。
「思うままで大丈夫です。正解はないですから。体育の授業でも、即興ダンスってありますよね? あそこまでする必要はありませんが、あれに近いです。大事なのは、どんなダンスを演奏で表現するかです。そのために、実際に動いてみましょう。そうしないとみんなバラバラの演奏で、聴いてる人にも伝わりません」
「そう言われても……」
それでも渋る彼女を見て、実音は閃く。
「じゃあ、海。ひとりでまずやってみよっか」
「わたし? よかよ」
普通はソロで踊らされるのに抵抗があるのが当たり前だが、海は別だ。全く恥ずかしさを感じていない。
海はみんなの真ん中に入って、歌いながら自由に身体を動かす。身体の柔らかい彼女は、全体を使って大きく移動しながら楽しそうに踊っている。
すると、実音もそのダンスに加わった。海には劣るが、その容姿のおかげもあってか見る者を魅了する動きだった。
さらに、実音は踊りながら紣谷の手を取りその中に入れた。紣谷は最初すぐに逃げようとしたが、海も一緒になって手を取ったため諦めて下手くそなダンスを披露した。
ひとり、またひとりと手を掴み中に誘う。
最終的に井上も含めた全員が、ヤケクソになりながら参加した。
「その調子です。では、もう一回いきましょう! 今度は笑顔も忘れず」
断る隙を与えず、実音は再び踊らせた。
「うわっ! ……え、な、何これ!?」
職員会議で遅れて入ってきた顧問の文は、何かの儀式のように踊り狂う生徒たちに恐怖を抱くのだった。
吹奏楽の曲の中には、多くはないがピアノを使用することもある。『マードック』もそのひとつだ。
音楽室のピアノを使い、実音はパーカッションの一年生、吉川の練習の面倒を見ていた。
彼女は一年生のピアノ経験者の中から、実音と文によるオーディションで選ばれた生徒だ。実際はプリンスが一番上手かったのだが、彼はホルンでどうしても欲しかったため吉川に決定した。
「ここの指はこっちにした方が弾きやすいんじゃない?」
「あ、本当だ。やりやすいです」
「それと、このソロの部分は感情乗せ過ぎかな。暗い海の場面だから、もっと抑えてみて」
「はい」
真面目で真っ直ぐな吉川。ストレートの長い髪をサラサラと振りながら、真剣に練習する。
癖の強い部員の相手で日頃大変な実音にとって、とてつもなく教えがいのある後輩だ。
「ここはもっと動きをつけた方がよかと思うんですよね。部長のソロを引き立てる大事なところですし」
「そうだね。まずは吉川さんの思う表現でやってみて。変なところがあれば、そこから私が直すから」
「お願いします」
吉川が今回担当するピアノは、曲の中でもかなり目立つ。一年生でも、そのプレッシャーを乗り越えなければならない。
「フルートがここでブレスするから、ちょっと溜めてあげて。でも、最初の置いた音はすごくよかったよ」
「ありがとうございます!」
「メロディーに合わせて、スピードを変えるともっと良くなると思う。ちょっと、代わるね」
実音はお手本で弾いて聴かせる。
弾いている楽譜は同じだが、全く違う美しさだ。
「雅楽川先輩、ピアノもすっごくお上手なんですね」
「そう? ありがとう」
「はい! 吹奏楽部でもピアノ弾けない人なんて普通におるし、経験者の中でもレベル高すぎですよ。あと、パーカッションのことも忘れないのが嬉しいって、うちのパートのみんなが言っちょります。中学の顧問も文先生も、合奏中の私たちのことなんて眼中にないですもん。セクション練習にも、ちゃんとパーカッションを混ぜてくださって、すごくありがたいです。美人だし、楽器は上手いし、教え方もわかりやすいし、欠点ゼロですね」
「欠点ならあるよ。美術の成績は良くないし、あと方向音痴」
実音の告白を聞いて、吉川は一瞬ポカンとする。そして、すぐに手をグッと握り締めながら力説した。
「それってむしろ可愛いポイントじゃなかですか!? ギャップ、最高です! そんなちょっとした隙を見せられたら、もう男がほっとかんでしょ! 私が男なら、絶対告ります! それも毎日! ぶっちゃけ、先輩モテますよね? ね?」
(変なスイッチ入っちゃった?)
急にテンションの上がる吉川に、戸惑う実音。
吉川は可愛い物や人に目がない。そして、人の恋バナも大好きだった。
「今まで何人に告られました? 彼氏は? タイプは? 教えてくださいよ!」
グイグイ来る後輩。そんな彼女の質問を躱して再び練習に移るのに、実音はとても苦労した。




