11.それは言わない約束でしょ
コンクールに向けての練習が本格化した大三東高校吹奏楽部。
その活動場所である音楽室には、様々な掲示物が貼られていた。
「これは……また、すごいね」
顧問の文は、その異様な光景に目を瞬かせる。
「授業中は邪魔にならないように、こうして隠せるようになってますのでご安心を」
簡易的なカーテンでそれらを遮る実音。
彼女が用意したのは掲示物だけで、これを作ったのはチューバの万屋だ。彼女が頼むと快く引き受けてくれた。
実音が貼ったのは、自由曲に関係のある資料だ。船や異国の風景の写真などがある。この写真の多くは、プリンスパパに提供してもらった。
そして日めくりカレンダーも用意した。コンクールまであと何日かが、これですぐにわかる。部員たちに時間がないことを実感させるためのものだ。
「あと、一番大事なこれなんですけど」
そう言って、実音は正面の黒板の上の方の紐を引っ張る。
そこに現れたのは、コンクールのホールの写真。舞台上から客席を写したものだ。
「これ、どうしたんだい?」
「野田君と、現地視察に行ってきたんです。その時撮ったものを野田君のお父さんに引き延ばしてもらいました。上から吊るす仕掛けは万屋君のお手製です」
(万屋……いいように使われてないか?)
「野田と現地視察って、デートかい?」
「違いますよ」
はっきり答える実音。
プリンスを連れてのお出かけの目的はこれだった。迷子にならないように道案内させ、コンクール会場で行われた一般の団体の演奏会に行ってきたのだ。
ホールによって、音の響きは異なる。それぞれの特徴を掴まないと、同じ演奏でも評価に差が出る。実際『ぐるりよざ』の時も、反響板の位置を事前に確認していた。この時の会場は、海に道案内させている。
プリンスとの視察でも、隙を見てメジャーで長さを測ったりした。その大きさは、音楽室にテープで印をつけて表している。
何よりも実音が撮りたかったのは、奏者側からの景色だ。それを音楽室に飾ることで、本番中に見えるであろう光景に慣れてもらおうと考えたのだ。演奏会の開場直後や休憩時間やほかの観客の退場後などを狙って、周りから怪しまれながらもミッションを遂げてきた。
「これで、士気がより高まるといいんですけどね」
「いつも、すまないねぇ」
昔話に出てきそうなお決まりの台詞。
実音もお約束の言葉を言うべきか迷ったが、本当にそのとおりのため口に出さなかった。
放課後の部活で、この日は課題曲の練習を中心に行った。
今年大三東が選んだのは課題曲Ⅳのマーチ曲。
課題曲は毎年新しく作曲された中から選ばれる。以前は五曲あったが、今は四曲からひとつを選択する。編成や時間や曲の難易度などで、各団体自由曲とのバランスも含め考えなくてはならない。
近年この課題曲に、マーチ曲が必ず入ってくる。そして、中にはマーチしか選ばない団体もある。音楽的な構成がある程度決まっており、マーチを得意とする団体はその構造をよく理解している。
その大まかな構造は「イントロ・第一マーチ・展開・第一マーチの再現(第二マーチ)・ブリッジ(橋渡し)・トリオ(中間部)・ブリッジ・トリオの再現・コーダ(終結部)」という感じだ。各楽器の役割をわかった上で、マーチのテンポを崩すことなく演奏しなければならない。
そこで実音が行った練習方法は、立って歌うことだった。
メロディーや裏打ちなど同じ仲間で固まって、手で四拍子を刻み足踏みもしながら歌う。誰が一緒の動きをしているのかを確かめ、自分の役割を理解させた。
それから各楽器の部員を適当にグループ分けし、別の動きをしている者と向かい合って歌うこともさせた。これは、ほかの音を聴きながら演奏するための練習だ。
ずっと身体を動かすため、かなりキツい練習である。しかし、マーチングの練習の効果でそこまで辛そうではなかった。
「拍の強弱を感じてください。そんな歌で行進なんてできません。それから、メロディーだけじゃなく伴奏もフレーズを意識してください。どこが盛り上がるところか、周りの音をよく聴いて」
実音は歩き回りながら、部員たちの顔を見て声をかけていく。
「万屋君、足もっと上げて」
「海、三拍目が長いよ」
「縫君、フレーズ無視しないで」
「泓君、足逆だよ。左から」
汗を流しながら、ひたすら足踏みと歌を続ける。
マーチ曲を簡単だと思っていた者は多く、まさかの運動部さながらの運動量に驚いた。
歌の後の合奏では、音合わせが主な練習内容だった。
上手い団体の演奏は、複数人が吹いていても一本の楽器で吹いているように聴こえる。強豪校はそれができて当たり前だ。
同じ動きの楽器を取り出し、ハーモニーディレクターで一音一音伸ばしながら合わせていく。とても地道な作業だ。
また、伴奏のパートも音を伸ばして和音のバランス練習から行う。自分が根音なのか第五音なのか第三音なのかを理解させる。刻んだ時でも、純正律で綺麗な和音に聴こえるようにしなければならない。
メロディーは、一小節やフレーズごとなどに区切ってひとりひとり順番に吹かせる。これはリレー奏法というものだ。基準の人の吹き方を真似させる。今回は実音が最初に吹き、井上、海……のように続いていく。全員が同じように聴こえるまで、これをずっと繰り返す。
座奏中も、足踏みはずっとし続けた。
合奏終了後は、質の高い練習で全員へとへとに疲れていた。見学の一年生も、メモを取ったり耳を鍛える練習で大変そうだ。
今年のコンクールメンバーは、二・三年生は全員出る。一年生はプリンスや有馬など八人が出場することとなった。メンバーの選出は、普段のチューニング練習やパート練習で実音が見てきた状態や、曲で必要な人数を各パートリーダーと話し合って決めた。
全部で四十八名の奏者。規定の上限より少ないが、これがベストだと判断した。
合奏だけではなく、セクション練習も大事だ。
細かく同じ動きをする楽器ごとに分け、各教室で音やリズムを合わせる練習をする。時間になったら別のグループとまた合わせる。
分刻みでどこの教室でどの練習をするかを、実音は表にした。移動した先の各セクションリーダーも指名し、具体的な練習内容も共有済みである。
闇雲に練習していても、意味がない上に時間ももったいない。彼女が立てた計画は、全く隙のない練習内容だった。
「えっと……次、どこだぁ?」
自分の次の行き先がわからなくなる泓。同じ楽器の先輩は、いつの間にか既に移動してしまっていた。
渡された表を見ても、泓にはよくわからない。
「こっち」
ほぼ同じグループの縫は、彼を引っ張って移動させる。
普段マイペースな縫だが、泓相手だとしっかりしなければならない。
「なんで、俺が泓のお世話しなきゃならないんだよ」
「いつも、すまないねぇ」
「全くだ!」
縫も実音同様、お約束の言葉を言うことはできなかった。




