7.ぐるりよざ
次の演奏会で披露する曲は『吹奏楽のための交響詩 《ぐるりよざ》』。
「ぐるりよざ」というのは、キリスト教の聖歌にある「オ・グロリオザ・ドミナ(栄光の聖母よ)」の「グロリオザ」が訛ったものだ。この曲は、長崎の「カクレキリシタン」がテーマとなっている。
海外でも評価された、日本の吹奏楽の名曲のひとつだ。
「泓も今まで学校で、カクレキリシタンのことは習ってきただろ? 彼らの想いをテーマにした曲なんだ。わかるか?」
顧問の文は、なるべく丁寧に泓に説明しようと心がけた。
彼は長崎出身ではないものの、声楽科出身として聖歌を使った曲というのはなかなか面白いと思っていた。だから実音が来る前から、演奏会の出演が決まった時にこの曲を候補としていた。
独特の文化のある長崎と聖歌を組み合わせた曲は、長崎にある高校が演奏するに相応しいと考えた。
「この曲は一楽章から三楽章まであって、一楽章は『Oratio』。Oratioはラテン語で祈りっていう意味だ。これが訛って『おらしょ』って呼ぶんだろ?」
「へぇー」
文は泓に訊いたつもりだったが、彼は初めて知ったような顔をする。
「オレ、宗教とかよくわからん」
あっけらかんと話す泓に、さすがの文も頭を悩ます。
そこで、実音も話に加わった。
「私も長崎の出身じゃないからよく知らないんだけどね、小さい頃にこっちの親戚とお墓参りに行ったことがあるの。その時、その親戚がお墓の前で手で十字架を切ってたのを見たよ。しかも何かぶつぶつ言いながら。私は幼かったから『何やってんだろう?』って思ってたんだけど、今振り返ると『カクレキリシタン』の名残なのかなって」
実音の思い出話を聞いて、泓も何か考え出す。
「そういえば、うちのばあちゃんもじいちゃんもそんなことしちょったかも。墓参りなんて爆竹と花火をやるので頭がいっぱいやけん、気にしたことなか」
(爆竹?)
(花火?)
墓参りと結びつかないワードが出てきて、実音と文の頭に疑問符が浮かんだ。
そして今の泓の言葉に驚くことがなかった縫も、自分の考えを話した。
「食料とか病気とか、そういうもんから救いを求めたのが最初なんだろ。それが次第に『家がそう信仰してるから』とか、独自の進化をしていって……。で、いろんな『おらしょ』が残っとるんだよ。いまいちわからないところもあるけど、ずっと身近にある。宗教がどうとかってことより、平和とか家族とかへの想いが強い気がする」
長い時間をかけて今も残る文化。禁じられても信仰してきた祖先の想いも含めて、繋いでいく必要がある。
「まぁ、難しいよな。でも、一楽章の冒頭は聖歌の荘厳さを男声合唱で表すんだ。混声でも女声でもなくね。力強さがあって、だけどどこか悲しさもあるメロディー。めちゃくちゃかっこいいだろ?」
「うん、そうだね」
「軽いなぁ。とにかく、元気に明るくじゃダメなんだよ」
「……なんとなく、わかったような」
「うーん、ま、それでいいや! 泓。先生がお手本で歌うのを、とにかく真似てみよう!」
「モノマネ? それなら得意!」
「そう。それでいこう!」
その後、文の本気の歌声にほかの男子が圧倒される中、泓だけは顧問のモノマネを楽しんでいた。しかも、そのクオリティーがまた高かった。
泓は頭は悪いが、人の特徴を捉えるのが抜群に上手い。
この間のパレードで問題がなかったのは、前後左右の動きを完璧にコピーしていたから。楽譜を読むのも苦手だが、同じ木管低音の縫の音を聴いて吹いている。
ちなみに、高校に入学できたのはまぐれだ。泓の親はいまだに合格できてしまったことを、何かの間違いじゃないかと疑っている。
男子たちの歌のレッスンが終わり、教室には実音と文だけが残った。
「では、次は先生の成果を見せてもらいましょうか」
「ふぅー。緊張するなぁ。お手柔らかに頼むよ」
四月より、一から指揮者としての勉強をしてきた文。今回は実音も奏者として出演するため、必然的に彼が指揮を振る。今日はその指揮のテストの日である。
「では、お願いします」
「はい!」
ビシッと姿勢を正し、彼の元気な返事とともに試験が開始した。
「雅楽川おる?」
クラリネットの練習している教室にやってきたのはトロンボーンパート。
学生指揮者の井上に尋ねると、文のテスト中だということを教えられた。
「そっか。時間かかるかな?」
「どうだろ? でもなんで?」
「次の曲、この前の雅楽川の合奏の時、トロンボーンがかなり注意されたでしょ? パートで練習しても上手くいかなくって。あの子、合奏中は厳しいけどパート練や個人練の時は優しいし、今教えてもらおうと思ったんだけど」
「なるほどね」
井上も、合奏中とそれ以外の指導の時を思い出す。
「あの曲はトロンボーンも目立つもんね。合奏でも力入ってた」
「そうなの! 私たちだって、どうにかしたいと思って練習しとるんだから! あ、そうだ! あっちの時間がかかるようなら、今ここで見てほしい」
「私が?」
「だって、学指揮でしょ」
「あ、そっか」
最近はずっと実音が合奏の指導をしていたため、井上は自分の役割をすっかり忘れていた。
(そうだ、私も学指揮なんだ。いつまでもあの子に任せたままじゃ、先輩として恥ずかしい!)
「わかった。ここじゃあれだから、私がトロンボーンの教室に行く」
「本当? やった! 先に行って待っとるね」
「うん」
トロンボーンパートが教室に戻っていき、井上は自分のパートに一度声をかけて練習箇所の指示を出してから、自分の本来の仕事をしに向かった。
「それでね、井上先輩がトロンボーンパートの面倒を見にいっちゃったの」
「そうだったんだ」
練習が終わり、一緒に校舎を出る実音と海。
実音が文のことで手一杯の頃に起きたことの報告を受けた。
「それはすごくありがたいね。あそこのトロンボーンは、時間を見つけて一緒に練習に入ろうと思ってたところだから。井上先輩が行ってくれたのは助かる」
「最近はずっと、先輩も自分の練習とパートのことでいっぱいって感じだったんだよね。ばってん、前みたいにほかに口出すようになって、更にやる気がパワーアップしとったよ」
「次の合奏が楽しみだね」
「ブンブンの方は? どうだった?」
「それは、もうすぐわかると思うよ」
すると駅に近づいたところで、向こうから大声で歌いながら歩いてくる生徒が現れた。
「フッチー? どうして戻っとるん?」
「海とみおたんだ!」
「みおたん? いつの間に変なあだ名つけてたの」
「え? 呼びやすいし、よかでしょ」
実音は呼び方については、別にどうでもよいと思っている。
泓はニコニコ笑顔でふたりに近づいた。
「泓君。そんな大声で歌ったら近所迷惑だよ」
「あ、そっか。じゃ、顔だけ真似しよ」
泓は思いっきり口を大きく開け、口パクで表情豊かに歌う。
「なんばしょっとね」
「ブンブンの真似」
泓はふざけているのではない。これでも本気でやっている。
「あ、うん。泓君、本当にモノマネ上手だね。でも、知らない人が見たらびっくりしちゃうよ? それより、何か忘れ物?」
学校へ戻ろうとする泓にそう尋ねると、泓は元気よく答える。
「そ! 鞄忘れたの。電車乗ろうとして気がついた!」
「マジか」
「……」
確かに、泓は手ぶらだった。
そんな大きな物を忘れる彼に、実音は何も言葉が出ない。
「校舎閉められるけん、もう行くわ。そいぎぃー」
「そいぎぃー」
「……じゃあね」
彼の姿が見えなくなった頃、実音はボソッと呟く。
「……泓君がわからない」
「え、フッチー? 面白いよね」
「あはは」と呑気に笑う海。あの行動を笑って済ませられる海が、実音は信じられない。
彼は実音にとって、未知との遭遇に等しかった。




