5.プリンスとチャラ男
次の本番までの間、実音は基礎の強化に努めた。
具体的には、合奏だけではなくほかのパートの練習にも加わり、一緒に吹きながらアドバイスをしていった。個人の奏法については、チューニング練習で日々確認している。しかし、同じ楽器同士でのブレンド力や、練習方法そのものについても一から見直すべきだと思ったのだ。
部員たちも普段違う楽器と合わせることをしてこなかったため、実音の吹くオーボエの音色を間近で聴きながらの練習はとても勉強になった。
この日は、まずホルンとの合同練習からスタートした。
ホルンパートは現在六名。
プリンスが入部してから、彼を中心に良くまとまっている。パートのメンバーは彼のことを偶像崇拝しており、恋愛要素のある取り合いは起きていない。ひとり暴走気味の三年生がいるものの、大きな問題はなかった。
ただ、演奏面についてはほかと比べて劣っていた。それは「練習が足りない」とか「下手だから」とかではなく、「楽器が難しい」からだ。
ホルンが金管楽器の中で世界一難しいとされる理由は、いくつかある。
・管が長い。
・マウスピースが小さい。
・音域が広い。
・独特な奏法をしなくてはいけない。
こういった要素が挙げられる。
ホルンはトランペットと同じ大きさのマウスピースを使って、全長四メートルほどの楽器に息を入れる。同じ指で二十くらいの音が出せてしまうため、音のミスが起こりやすい。また、ほかの金管楽器より多い四オクターブの音域を演奏するホルンは、その分高音になるにつれコントロールが難しい。おまけにベルの中に手を入れるという、変わった奏法をする。この手の位置で、ピッチ(音程)も簡単にずれてしまう。
豊かな和音を奏でることが多いホルン。しかし、その音を合わせること自体が苦手なのだ。
「私の音に乗っかってください。いきなり出すのではなく、まず歌ってから」
実音は自分が基準となり音を奏でる。
それをよく聴いて、西田から順に声に出してから音を出した。
「ホルンはその日の口の状態でも、すぐ音が変わりますからね。とにかくイメージが大切です」
「わかってはいるのよ。隣で同じ音域のユーフォニアムが簡単に音を出してる時とか、羨ましくてしょうがない」
「後ろのトランペットがハイトーンが出ないとかよく言うの。ばってん、こっちはもっとコントロールが大変だってのって、いつも思う」
彼女たちの愚痴は、実音もよくわかる。
「大変さが違うのに合奏で注意されると、正直嫌になりますよね」
同じく難しさでギネスに載る楽器だ。お互いの辛さに同情してしまう。
「でも、雅楽川はそんな理不尽なこと言わないじゃない? だから、信頼できるわ」
西田がそう言うと、ほかの部員も同意した。
「担当じゃない楽器のことをよくわかってるみたいだから、指導も的確よね」
「そう言っていただけて、私も嬉しいです」
「ボク、先輩のアドバイスを聞いてからチューナーを見ることが減りました」
プリンスが少し興奮気味に会話に加わった。
チューナーは、出した音のピッチが正確かどうかを視覚的に見ることができる機械だ。電子メトロノームと一体になっていることが多く、全部員が使っている。
今までは多くの部員が自分の音が正しいか不安になって、いつも譜面台にチューナーを設置してそれを見ながら吹いていた。だが、実音は周りの音を聴いてそれに合わせる練習をたくさんさせてきた。
「チューナーって、ピッチはわかるけど音のスピード感だったり音色はわからないでしょ。本当にピッタリな音を出すには、耳を鍛えるのが一番だよ。だから、こうして違う楽器で合わせる練習もしてるんだし」
「本当に勉強になります!」
プリンスは実音のことをとても尊敬している。
崇拝対象の憧れだ。自然とほかの部員も尊敬する。「推し」の「推し」は自分にとっても「推し」なのだ。
「じゃあ、もう一度重ねる練習お願いします」
「はい」
まとまっているパートの返事は、同じく綺麗に揃っていた。
次に実音が来たのはトランペット。
こちらは八人いるパートだ。
「失礼しまーー」
「だから、なんであんたはそう自己中なのよ!」
「だって、低音嫌いなんすもん」
実音が教室に入ると、ふたりの男女が揉めていた。
ひとりは井上と同じく三年生の学生指揮者の福田。もうひとりは一年生でパート唯一の男子、有馬だ。
「どうしたんですか?」
実音に気づくと、福田が駆け寄ってきた。
「ちょっと、聞いてよ! こいつ、セカンドがつまんないとか言って、勝手にファーストの楽譜コピーしとったの! ありえんでしょ?」
「……そうですね」
口を尖らせる有馬。
実音は溜め息をついて、彼の元に近づいた。
「有馬君は、私も見てて生粋のファースト向きだと思うよ」
「でしょ! 先輩、わかってるね」
有馬は自分の特徴をよく理解している実音に笑顔を向けた。
文化部というより、サッカー部にいそうなチャラさのある有馬。背も高めで身体も大きい。
「でも、今のうちから中低音のピッチを安定させないと、いつかソロを吹く時に苦労する。だから、面白くないかもしれないけど今回はセカンドで練習しよ?」
「うーん」
身長差的に、実音は上目遣いになる。だから、有馬もその無自覚の攻撃にやられそうだった。
しかし高音を吹きたい気持ちもあり、有馬は悩む。
「悩むまでもない! あんたはセカンド! それが嫌ならサード!」
福田がビシッと言い切る。
「それは絶対嫌だ!」
彼は不満を抑えきれずに顔に出しまくっているが、一先ず争いは止んだ。そのまま合同練習に移る。
「ここの和音は五音だよ。セカンドはもっと明るくって言ったよね?」
「気分が乗らないっす」
「もう! ファーストより音が高いのに、なんでそうなるかな」
「いやー、気分っすね」
有馬の発言に、実音も周りも頭を抱えた。
今は和音練習の最中だ。根音に対して、第五音や第三音の重ね方を徹底的にやっている。
音楽には音階を等分した平均律というものと、良い響きになるように分けた純正律というものがある。
ピアノのような平均律でも、曲として成り立つ。しかし、それぞれの和音のバランスをみてピッチを上げ下げしたり音量を調整した方が、より綺麗な音を奏でることができる。
例えば、基準の音から三番目の音はピッチを低くし五番目の音は少し高めにすると、美しく明るい和音になる。吹奏楽やオーケストラをやっている人に「−十三.七」と言えば、きっと「第三音」と反応するだろう。
実音はピッチの高い低いで考えるよりも、イメージで明るいか暗いかでこの和音練習を教えた。ピッチにこだわりすぎると、バランスがおかしくなる。基準に対して、自分が次に出す音の強さや明るさを具体的な言葉で示したのだ。
「有馬君のは、ピッチはほぼ合ってる。でも、福田先輩の音には合ってないの。それだと、次の三音の人が入りにくいでしょ。気分がどうとかじゃなくて、全体のバランスで考えて」
実音の注意に「そうだ! もっと言ってやれ!」と福田も顔でアピールする。
「高音が出るのは素晴らしいことだよ。全トランペッターにとって、こんなに羨ましいことはない。でもバンドにしてみれば、和音も綺麗に合わせられないようじゃ、トップは任せられない」
「……」
それでも不貞腐れる有馬。そんな彼に、実音は思い出話を始めた。
「有馬君みたいに、生粋のファースト奏者を私は知ってる。その人も高音が得意で、ソロを吹く時が一番輝いてる。でもね、セカンドになると人が変わったように下手になるの」
「へぇー。そんな奴いるんすね」
(お前もだよ!)
福田は心の中でツッコミをする。
「その人、一年生でもコンクールに出てトップを吹いちゃった」
「すごいっすね」
「そうだね。でもそれは、その人じゃなきゃダメだと思うくらいの演奏をするから。文句が言えないくらいの技術があったから。……そうじゃなきゃ、あんな変人がトップなんて許されない」
「ふーん。ちなみに、俺は変人の分類じゃないですよね?」
「……」
黙る実音。有馬は周りの部員も見渡し、意見を求める。
「あんたはただの生意気小僧よ」
福田が発言すると、みんな大きく頷いた。
「とにかく、いつかソロが吹きたいならもっと基礎から詰めること! いいかな?」
「はーい」
だらしない返事をする有馬に、実音たちは呆れるのだった。




