8.やっと吹ける!
この時期、パレードの練習以外にもやらなくてはいけないことがいくつもあった。
まずはコンクールの書類の提出だ。
「どう? 不備ないかな?」
「……」
顧問の文は、実音に必要な書類に目を通してもらっている。
「はい、問題ありませんでした。これで、お願いします」
「よかったー」
文は、いい大人が生徒に確認を取っていることに、なんの疑問も持っていない。それより、後で不備が見つかって叱られることの方が恐ろしい。
「コンクールの練習も並行でしなくちゃいけないし、忙しくてしょうがないね」
「このくらい、まだまだですよ。今週の保護者会は大丈夫ですか?」
「はぁー、嫌だなぁ。大人と話すのって、すごく気をつかうでしょ?」
「……先生って、おいくつでしたっけ?」
年に一回行われる部活の保護者会。
新入生の保護者に一年の流れを説明したり、定期演奏会などで手伝ってもらえるように顧問が頼む場である。
主に費用面での負担について理解を得ることができなければ、部の存続が危うくなる。
「でも、この学校の部費は安いですよね」
「そうなの?」
「だってOB会や後援会がないのに月に二千円なんて、とても良心的じゃないですか? 前の学校はそれらがあっても三千円。そこにコンクールや年二回の合宿に国内外の遠征費用がプラスですよ。多少の補助があるとはいえ、リード代だけでも痛手なのに。それに各パートごとのプロ講師によるレッスン代も加わります」
「方南って、私立だっけ?」
「公立です。公演の依頼をいただけるのは、本当にありがたいんです。でも、全ての費用を負担してくださるわけではないですからね。私立の強豪校に行った友人は、部費自体もっと高いって言ってましたよ」
「うわー」
同じ音楽系でも、合唱部の顧問の時とは全く違う。
特にお金関係は、多くの部活の中でもかなりの上位で学校にも生徒の家庭にも負担がかかる。
「たくさんの人の理解を得られないとやっていけない部活です。だからこそ、いろいろ準備してきたじゃないですか」
「そうだね」
「今、資料も用意してもらっています。先生だけじゃ不安ですもんね」
「そうなんだよ! よくわかってるね」
実音は、文がよくここまで耐えてきたと思った。
ほかの部員たちが知らないところで、ふたりはかなり根回しをしている。その文にとっても、もちろん吹奏楽部にとっても重要になるであろう保護者会。彼女は、当日までにもう少し煮詰められる箇所はないか、もう一度確認しようと決めた。
今のうちにやらなければならないことは、あと定期演奏会の準備だ。
この演奏会は毎年九月に行い、全部で三部構成となっている。
第一部と第二部は一・二年生のみのメンバーで行う。その同じ月に行う文化祭とともに、新体制のお披露目の場でもあるのだ。さらに、第二部はポップス中心でダンスも取り入れた劇のようなスタイルになる。衣装や道具も準備するため、かなりの時間を要する。
そして第三部は三年生も加わり、主にコンクールの曲を演奏する。例年、この日をもって卒部する三年生にとって最後の演奏会だ。
ほかに第三部で演奏する三年生のリクエスト曲は、既に決まっている。だが第一部と第二部の曲や演出は、二年生が中心となって決めなければならない。昼休みや部活終了後の僅かな時間を使い、学年会議を何度か行ってきた。しかしまだ第二部の案は決まっていなかった。
(せめて、テーマだけでもはっきりさせないとなぁ)
実音はまとまらない会議に、頭を悩ませていた。
マーチングやコンクールのほかに、パレードと同じ六月には市内の中高生の吹奏楽部による発表会も控えており、そちらの練習もしている。しかも、全て曲が異なる。
プリンスのおかげで楽になった部分もあるが、まだまだ負担は大きかった。
そんな忙しい実音に、嬉しい出来事が起きた。楽器の修理が終わったのだ。
入部して約一ヶ月。やっと自分の担当楽器の演奏ができる。
「いやー、お待たせしましたー!」
ヒョロ長の雇われ店長、養父灯大。そんな彼が、実音にオーボエとリードと小羽根を渡しに訪れた。
「ありがとうございます!」
目をキラキラと輝かせて近づくと、実音はそれらをうっとりと見つめた。
「早速試奏してもよろしいですか?」
「もちろん」
実音は愛用のカメラのフィルムケースに水を入れ、その中に数本のリードを浸した。そしてその間に楽器を組み立てていった。
「本当に濡らすんだね」
文がその様子を、面白そうに観察する。
「知識としてダブルリードは濡らさないと音が出ないってのは知ってたけど、見るのは初めてだよ」
文が言うように、シングルリードとは異なりオーボエやファゴットのような二枚重なったリードを使う時は、少しの間水で湿らす必要がある。こうすることで、上手く振動して音が出る。ただし、やりすぎるとふやけて使い物にならない。
ほどよい湿り具合になったリードを取り出すと、実音は二枚の開きを調整してから音を出した。すると、高音のH (シ)の音が綺麗に奏でられる。
「リードだけだと、そんな音がするんだね」
そしてリードの根元のコルクの部分を楽器に取りつけ、そのまま適当に音出しする。
「へぇー、上手いなぁ」
今度は養父が反応した。
軽い音出しだけでも、その実力の高さに気づいたのだ。
「どうですか? どこか問題あります?」
「楽器はいいですね。やっぱりこの安定感と音色はさすがです。ただ、リードはちょっと軽いですね」
そう言うと、実音はほかのリードでも試奏を始める。
「あ、これはいいかも」
「そんなに違うもんなの? 見た目はどれも一緒だよ」
「全然違います」
プロのオーボエ奏者は、自分でリードを手作りする者が多い。なぜならその方が安く済む上に、好みの抵抗感や音色を出しやすくなるからだ。しかし、そもそも材料の葦の輸入から始まり、しっかり乾燥させてから専用の道具を複数駆使して作る必要がある。その道具は決して安くなく、技術を身につけるのにも時間がかかる。
実音のような学生にそんな余裕はない。だからプロの講師から直接購入したり、リード作り専門の者が作った物を楽器屋から買わなければならない。
クラリネットやサックスは箱買いが当たり前で、購入後その中から使える物を探す。
一方、ダブルリードは試奏してからの購入が一般的だ。一本の値段が高いため、慎重に選ばなくてはならない。
「これと……うーん。これはいいんだけど、でもなぁ」
実音もぶつぶつ言いながら、悩んでリードを選んでいく。どれだけ自分に合ったリードを選べるかが、とても重要である。
「決めました! これとこれと、あとこれで!」
最終的に三本のリードを購入することに決めた実音。チラリと文を見る。
「先生、大三東のリードの個人負担ってどうなってますか?」
「え? あー、えーっと全額個人持ちだよ。でも、今回の修理代はこっちが持つからね」
「……ですよね。はぁー。お金がない」
ダブルリードを担当する者の口癖は、大抵決まっている。
「リードがない」と「お金がない」だ。
消耗品のため、エンドレスでこれが続く。
「なんか、ごめんね?」
楽器をやっと吹けるようになった嬉しさと金欠の辛さが入り混じる実音に、文はそれしか言うことができなかった。




