7.マイペースと汗っかき
音楽室に、実音が菜箸を叩く音とハキハキしたカウントの声が響く。
ひたすら同じ動きを繰り返し、部員たちに頭からつま先まで正しい角度を身体に覚えさせる。これを一週間ほど毎日最低三十分続けると、少しは様になってきた。
一年生のプリンスが積極的にアドバイスをしてくれるため、実音もかなり楽に教えることができる。
「目線下がってますよ」
「もう少し足の動きにスピード感を出してください」
「手の位置は顔から十センチ……そこです」
プリンスが歩きながら気になる部員に声をかけていく。すると三年生の西田を中心に、プリンスのファンが色めき立った。
「私にもアドバイスして!」
「こっち見て!」
「上手くなったでしょ? 貴方のおかげよ!」
そんな熱狂的な彼女たちに、彼は特別サービスで鼓舞する。
「はい、そうですね。先輩方ならもっとできますよ」
微笑みとともにそう言えば、ファンのやる気は跳ね上がる。
「キャー! 今、私を見た!」
「違う、こっち!」
「もっと上達するからね!」
そしてその上達志向がほかの部員たちにも影響し、短期間での成長に繋がった。
(本当に便利だなぁ)
実音の中でもプリンスの株は上昇し続けている。
こんな感じで、全体的に上手くなってきた。
しかし、中には遅れを取る者もいた。
実音が気になるのはふたり。
どちらも二年生の男子で、ひとりは吹奏楽部の中で一番背の高いバスクラリネットの縫だ。
「縫君、全体的に姿勢が下向いてるよ。斜め上を意識できる?」
「はーい」
いくら注意しても、縫はいつも眠たそうな顔のマイペース男である。
周りと比べるとぬるっとしていて、覇気がない。一応できてはいる。だが、みんなと揃ってはいない。
「ヌイヌイ、また遅くまでゲームしとったんでしょ?」
あくびをする縫を見て、近くにいた海が話しかけた。
「なかなかキリのよかとこにならんくて」
「そんな言い訳、実音が許すと思ってんの? ねぇ、実音」
「縫君、ゲーム好きなんだね。それは別にいいよ。でも、部活に影響するほど睡眠が不足してるのはどうかと思う」
「……気をつけます」
実音はそっと溜め息をつき、別の部員の元へ向かった。
(どうしたら彼のやる気を引き出せるのかな?)
今までの経験を思い出して解決策を探るが、縫に合った作戦はまだ思いつくことができなかった。
次に実音が声をかけたのは、チューバの万屋だった。
チューバパートはマーチングの際、スーザフォンというマーチングに特化した楽器を使う予定だ。
大三東では、この楽器は体育祭でしか今まで使用してこなかった。いつもと違う物を使用せねばならない上に、隣との間隔がほかと比べて掴みづらい。そして重くて動きにくい。
当日かなりの負担を背負うこのパートに、一際不器用な男がいた。
「万屋君、そんな慌てなくていいからね。落ち着こうか」
「う、うん。ご、ごめんね。僕、できてないよね」
吹奏楽部の中で一番横に身体が大きい万屋。
誰よりも汗っかきで、いつもタオルを首にかけている。
練習には真面目に取り組んでおり、演奏面では実音が来てからの成長は著しい。言われたことを真剣に対処するため、それが成果にしっかり表れていた。
だが、こういった動きを取り入れたものは、不器用な彼にとってかなり難しかった。先日の商店街のミニコンサートの時も、彼はスタンドプレイでとても苦戦した。
「気をつけの時、頭上げすぎかな。そんなに胸を張らなくて大丈夫だよ」
「こ、こう?」
本人はいたって真剣だ。でも、何か周りと違う。
「うーんと……あ、そうだ! 万屋君。写真を撮られてると思ってみて。かっこよくクールにポーズを決めるつもりで」
「えっと……フンッ!」
実音のアドバイスで、万屋の動きは更におかしくなった。
(大抵、これで上手くいくはずなんだけどなぁ。万屋君にはダメか)
「ここの角度はこう! で、ここの力は入れすぎないで」
実音は直接万屋に触って姿勢を正していく。
「う、雅楽川さん! そ、そんな僕に触っちゃダメだよ!」
「え? ……あ、ごめん。セクハラだよね」
「違くて! ぼ、僕汗っかきだし……汚いから」
「なんで? 汚くないよ。汗かくのは代謝がいいってことでしょ」
「でも……く、臭いよ」
必死に触れさせようとしない万屋に、実音は逆に近づく。
「全然臭くないよ」
「え?」
「臭くない」
「……本当?」
「うん」
万屋は今まで二次元の女の子しか愛せない男だった。
中学では「漫画・アニメ同好会」に所属し、高校でも好きなアニメに没頭できそうな部活に入る予定だった。
しかし、入学して早々に当時三年生だった優しい女子の先輩に無理やり連れてこられ、経験者でもないのに吹奏楽部に入部してしまった。そして仮入部が終わると、天使のようだった先輩が足を広げてスカートで自身を仰ぎ出したのを見て、リアルの女の世界を知った。
初めは優しかったのに、気づけば周りはオタクの自分に冷たい先輩や同級生。万屋は三次元の女子の恐ろしさに日々震えていた。
そんな彼が今、芸能人のような容姿の女子生徒に優しくされた。実音は彼にとって、女神に等しかった。
(リアルの推しができた!)
心の中で万屋は歓喜する。
じわじわとやる気が溢れてきた。
「フンッ!」
推しに喜んでもらいたくて頑張る万屋。
無駄な力は入っているが、先ほどより機敏さが二倍アップし勇ましさも三倍に増えた。
(急に人が変わったみたい)
その変化に、実音もほかの部員たちも驚いた。
「さっきより、良くなってるよ」
「フンッ!」
(見てて、みおたん! 僕の本気、見せてあげる!)
万屋はちゃっかり実音にあだ名までつけ、推しにアピールする。
「うん、ここはもっと頭下げていいよ」
しかし冷静に指摘する実音。
それがかえって万屋には堪らなかった。
「はい!」
元気な返事をする彼を見て、実音は苦笑した。
(縫君と万屋君の間が丁度いいんだけどなぁ)
そんなことを口に出すわけにもいかず、実音は優しくアドバイスを続けるのであった。
部活終了後、実音とプリンスは今後の練習について見直していた。
「概ねフォームは良くなってますし、そろそろ楽器を持たせる段階じゃないですか?」
「うん。そうなんだけど……」
「若干二名、不安なのはわかります。でも、残りの日数を考えると次に入るべきです」
「野田君」
「はい?」
「ふたりに合った練習方法、何がいいかな?」
いつもなら的確なアドバイスをすぐに思いつける実音でも、今回は正直お手上げ状態。そこで後輩に意見を求めた。
「パレードですし、間に入れて乗り切るしかないです。今回は四列の予定ですもんね。万屋先輩は一番後ろだから、どうしても目立ってしまいますけど」
「それじゃあ、この先が困るよ」
「この先?」
「うん。パレードだけじゃなくて、ドリルもいつか取り入れたいなって思ってるの」
「ドリルやるんですか? コンテはどうするんですか。ボク、書けませんからね」
「できる人、探さないとね。ドリル演奏をやった方が、お客さんも喜ぶと思うんだけどなぁ。とにかく、夏のコンクールのためにも『人と合わせる』ってことをマスターさせたいの」
「……」
今回のパレードの先も考えての悩みを聞き、プリンスも真剣に考える。そして、目先のことしか頭にない自分を反省した。
「方南って、できない人をどうやって指導するんですか?」
考えてもすぐにアイディアの出なかった彼は、実音に強豪校の指導法を尋ねた。
「ほとんどの部員はパッとできてたよ。まぁ、中には教えてもできない人はいたかな。ドリル練習で、なかなか自分の位置を覚えられないとかね。そういう人は、マーチング係の恐い先輩が耳を引っ張ってた」
「え? ……恐っ」
「初めて見た時は私も驚いた。何回も引っ張られて強制的に身体に覚え込ませられてたよ。夜九時過ぎとかまで居残りしてね。それでもできない人は辞めちゃう。そこまではしたくないよね」
「そ、そうですね」
(この人、なんて場所でやってたんだよ!)
少々スパルタなところはあるが、実音は優しさも兼ね備えている。ひとりひとりに合った対処法を見つけようとする姿勢に、プリンスは尊敬しかない。
(変な人ばっかりだけど、この高校の吹部に入って正解だったかも)
主に同じパートの三年生の顔を思い浮かべながら、プリンスはしみじみ思った。




