6.プリンスはとても役に立つ
プリンスがみんなの前に立ち、その横で実音が部員たちに説明をした。
「今から私がコールします。それに従って野田君に動いてもらいますので、よく見ていてください。ステップはハイ・ステップでお願いね」
「はい」
プラスマークの上に立つプリンスは、肩や首を回して身体をほぐした。
「キャー! プリンス、頑張ってー!」
三年生の西田の声援に、彼は聞こえないフリをする。
「では、いきます。……テーン・ハッ!」
実音が菜箸を二本使って叩きながらコールすると、プリンスが両手を下ろしたまま胸を張る。
「ホーンズ・アップ!」
次に両手を顔の前で構える。
「マーク・タイム・マーチ!」
構えたまま、今度は足踏みをする。
「フォワード・マーチ!」
そして前進し始める。
「レディー・ホルト!」
何歩か進んだ後、実音の掛け声でプリンスは停止した。
「はい、野田君ありがとう。ポイント、ちょっとずれたね」
「うわー、久々でしたけどこれじゃダメですね」
僅かにプラスマークから外れたのを見て、プリンスも悔しそうな顔をした。
「……どうですか? 今のを最低限できるようになってもらいます」
実音が部員たちを振り返ると、みんなポカンとしていた。
「え? 全然わからん」
「……」
海の呟きに、実音とプリンスは苦笑いを浮かべた。
部員全員が集まると、音楽室も狭く感じる。
その限られたスペースに今、部員たちは輪になっている。その中心に実音とプリンスが立った。
「まずは足を鍛えましょう」
そう言って、実音は足を横に広げる。
「こんな感じで四股を踏むような体勢になってください。手は膝の上で」
自分が美少女だという自覚がないのか、少しも恥ずかしがる様子を見せない。
そして美少年だという自覚がないのか、プリンスも同じ体勢を取る。
「こ、こう?」
「なんか、恥ずかしいね」
「プリンスにこんな格好、見られたくなか」
なんとかそれっぽい姿勢になったのを確認すると、実音は次の指示を出した。
「そのまま膝を動かさずに、右足のつま先を上下させてください」
お手本を見せる実音とプリンス。
「これなら簡単だね」
「もっとキツいことするのかと思った」
「楽勝!」
その言葉に、中心のふたりはニヤッとする。
「ではこれを一分間やります。いきますよ」
そしてカウントを始める実音。
初めは余裕そうだった者も、次第に辛そうな表情を見せる。
「はい、終わりです」
やっと終わると、部員たちは身体を起こして足を伸ばしたりした。
「疲れたー」
「結構くるね」
「辛かー」
休もうとする彼らに、実音は一切容赦しない。
「次、反対の足いきます!」
「えー」
思わず漏れた抗議の叫びを無視して、先へ進む。
「ほら、先輩たち。もっと高く上げて!」
プリンスがそう声をかけると「うおー!」と何人かの女子生徒の士気が高まった。
(野田君……使える!)
その様子を見た実音は、そんなことを思っていた。
その後も足を今度は縦に広げた状態で行うなど、いくつかのパターンで足を鍛えていった。
「お疲れ様でした。では、少し休憩しましょう。十分後、また集合してください」
地獄のトレーニングから解放された頃には、多くの部員たちがへとへとの状態だった。
「私たちって、吹部だよね?」
「うん。運動部じゃなかよ」
「文化部のはず」
ダンスをすることもあり、吹奏楽部はみんな元から文化部の中では激しい方だとは思っていた。だが、ここまで身体を使ったのは初めての経験だった。おまけに普段と違う場所を動かしたため、疲れるのは無理もない。
「この後なんだけど……」
「はい……そうですね。その方がいいと思います」
一方、同じトレーニングをしたにもかかわらず、全く疲れていない実音とプリンス。
次の内容について相談し合うその姿に、部員たちは驚いた。
「ブンブン、だらしなかね」
「いやいや! かなり頑張ったからね、僕。この後はおとなしく見学するよ」
座り込む文の横の海も、まだまだ元気だ。
「こっちにも体力オバケがおったね」
「ぽっちゃりなのに動けるんだよね」
「なんで痩せないのか本当に不思議」
「あれはただの食べ過ぎなんよ」
休憩後、今度はゲームの要素を取り入れた練習をすることになった。
壁を背にして離れた位置に立ち、合図とともに振り向き走って壁にタッチする。そして次の合図で元の位置に戻るというものだ。
この練習は、俊敏性を身につけるのが目的である。また、自分の立ち位置を周りの人との間隔で覚える癖をつけることにも繋がる。
「海、今の反応よかったよ」
「やった!」
「西田先輩、次はもっと速くできますよ」
「わかったわ、プリンス。見ててね」
懸命に走る部員たちを、文は椅子に座って温かな目で見守った。
「……若いっていいなぁ」
アラサーの彼は、年齢というよりただの運動不足で動けないだけだ。この時一緒に走っていれば、少しは痩せられたのかもしれない。
「次は、いよいよそれぞれのポーズと動き、それとコールを覚えましょう」
先ほどプリンスにやらせた動作を一から説明する実音。
「これが『アテンション』。つまり『気をつけ』の姿勢です。コールの時は『テーン・ハッ!』と言います」
(なぜそうなる? 『アテンション』って言ってないよね?)
多くの部員が疑問に思ったが、とても訊ける雰囲気ではないためみんな心の中で処理をした。
「で、これが『ホーンズ・アップ』。両手の組み方は、私は右手で左手を包むようにしています」
「ボクはお祈りと同じように組んでます」
「どちらでも構いません。しっかりこの両手が揺れないようにしてください」
その後も、実音は足踏みや前進を教えていった。
「身体が無駄に動くと両手も動きます。実際に楽器を吹く時に揺れていたら、吹けませんよね? だから、まずは楽器なしで揺れずに動くことを目標にしましょう」
そして、実音は水の入ったコップを持った。
「このポイントとポイントの間を八歩で移動するのが、マーチングの基本です。パレードの時はこのとおりにいくとは限りませんが……。五メートルを八歩。しかも音を立てず揺れもさせずに歩きます」
自分でカウントしながらプラスマークからプラスマークへ、実音は綺麗なフォームで移動する。
視線はずっと遠くに向いており、足元を一切見ていない。それなのに、ぴったりとポイントの上に到着する。
その場で足踏みをしても、身体は上下に激しく揺れたりなどしない。当然、コップの中の水は溢れることもない。
「……めちゃくちゃ綺麗」
経験者のプリンスも、その一連の動きに感動した。
「このくらいなら、家でもどこでも練習できますよね! 今回は後ろ歩きも回転もしません。マーチングとしては、かなり難易度は低いです。ですが、すぐにできるものでもありません。怪我や事故も起こりえます。集中力を保ちつつ、取り組んでいきましょう!」
手本を見せ終わると、実音は笑顔で語りかけた。
「もちろん、パレードですから笑顔も忘れずに! いいですか?」
「はい!」
返事だけは立派になった大三東高校の吹奏楽部員たち。
まさに運動部並みの練習が、この先待っている。




