5.マーチングって何?
その日の最後の授業が終わると、実音は掃除が始まるまでの僅かな時間で体操着に着替えた。
隣に男子生徒がいるのも気にせず、彼女は一瞬キャミソール姿になる。その行動に、男子だけでなく女子も目を見開いた。ちなみに、大護は実音より前の席にいるため見えていない。
この高校の吹奏楽部に入部してから、実音は着けている下着をブラジャーからカップ付きのキャミソールに変えた。彼女はキャミソールなら誰に見られてもいいと思っている。だから、周りの驚く様子に全く気がついていないのだ。
ホームルームが終わると、実音は誰よりも早く教室を出た。クラスメイトの海がカーテンに隠れてのんびり着替えている頃には、彼女は既に音楽室に辿り着いている。
そして部室にやってくると、ほかの部員が来る前に昼休みに準備していたことの続きを行った。
「うわっ、何これ!?」
やがてやって来た部員たち。
音楽室の床には白いテープでできた、いくつかのプラスマークがあった。
「午後の授業の時も、これありましたよ」
「ブンブンかな」
「なんだろね」
「たぶん、これ……」
唯一そのマークの意味に心当たりがあったのは、一年生の野田ライオネル武士ーー通称プリンスだった。
「プリンス、物知りなのね! なんなの、これ?」
三年生の西田が尊敬の眼差しで後輩を見た。
「これ、マーチングのポイントですよ。そうですよね?」
プリンスが忙しそうにいろいろ用意している実音に尋ねると、彼女は「そう!」っと一言だけ返して準備室へと入ってしまった。
そして入れ替わりで現れた顧問の文が、来た者からパートごとに並んで座らせた。
「あと何人かな?」
「ふたりです。……あ、今揃いました」
部長の本多が確認して報告すると、文は音楽室にあるテレビを操作した。
「始めちゃっても平気?」
準備室向かって声をかけると、中から実音が出てきた。
「はい、お願いします」
「はーい、それじゃ始めるね。みんな、今日はまずこの間のミニコンサートの映像から観てもらうよ」
そう言って、文はDVDを流す。
「え、いつの間にこんなの撮ってたんだろ?」
「わー。自分たちの演奏観るの、ちょっと恥ずかしいね」
「あそこ、間違えたところだ」
そして映像が終わると、部員たちはそれぞれ感想を言い合った。
「最初力んどったね」
「うちらのパート、あんまり聴こえなかったなぁ」
「あの練習したところ、本番上手くいったね」
「ほら。立つタイミング、やっぱり遅かったよ」
それらが言い終わったタイミングで、実音は全体に対して自分の意見を述べた。
「全体的にまだまだ表情が固いですね。特に上級生が顕著です。一年生はダンスの子たちをはじめ、フレッシュでよかったと思います。演奏面については課題が多いです。各パートでも、今の映像で問題点はいくつか出たかと……。必ず、次に活かせるようにしてください。パートリーダーの先輩方。後でそれぞれの課題を書いた紙をお渡ししますので、それを元にして練習方法を決めていきましょう」
そこで、実音は一呼吸おいた。
「一年生が入部してから初めての本番。コンクールまでのことを考えると、まだまだこれからなところはあります。ですが、お客様の反応や運営の吉田さんからのお言葉を含めますと、『成功』と言ってよかったのではないでしょうか。とりあえず、お疲れ様でした」
部員たちに深く頭を下げる実音に、みんなも同じように礼をした。
顔を上げた両者の目が合うと、自然と笑みが出る。
「よかったんじゃない? 雅楽川の指揮も」
目線を敢えてずらしながら、三年生の学生指揮者の井上はそう言った。
そんな彼女に部長の本多は抱きついて、その顔を覗き込んだ。
「もー! 一時はどうなるかと思ったよー。ふたりの仲が良くなって、本当にホッとしたぁ」
「うっさい!」
赤い顔の井上に、海も笑顔で抱きつく。
「先輩。もっと素直になっちゃってくださいよ」
「海! あんた重いから離れなさい!」
「えー。なんですかー?」
わざと体重をかける海。井上の下敷きになった本多はとても辛そうだ。
「く、苦しかー」
そんな和やかな雰囲気の部室に、実音は一度深く呼吸をする。
パンッ!
手を叩き、全員の視線が向くと実音は話を続けた。
「さて、次はマーチングです。この中にマーチングの経験者はいますか?」
すると、手を挙げたのはプリンスただひとりだけだった。
「え、ボクだけ?」
キョロキョロしながら、彼はほかにいないか見回した。
実音も、まさかひとりだけとは思わずショックを受ける。
「野田君。マーチングって、どのくらい? ドリルも経験済み?」
「いや、ボクの中学は毎年地元のパレードに出るくらいで……。ドリルはステージで少しやった程度です」
「そっか。でも、今回はそれだけでも充分だよ。メジャーは? できる?」
「ドラムメジャーですか!? いやいや、できませんよ!」
激しく首を振るプリンス。
ふたりのやり取りに、ほかの部員たちはついていけない。
「ドリルって?」
「メジャーって何?」
「そもそもマーチングって、難しいのかな?」
そういった声に対し、実音は用意してきた物を文に渡した。
「これ、お願いします」
「はいよー」
実音から受け取ったのはまたしてもDVDで、文はそれをセットする。
「今から、方南高校が去年参加したパレードの様子をお見せします」
始まった映像には、海外で行われたパレードが映っていた。
黒衣装の高校生たちが、一糸乱れることなく行進していく。パーカッションソロのところでは、管楽器奏者が満面の笑みで手を振り演奏中とのギャップを見せた。
一方、キラキラの衣装を身に纏った数人の笑顔で踊る部員もおり、長い棒を振り回したりポンポンを振っている。
「ここどこの国?」
「かっこよ!」
「周りのお客さん、みんなノリノリだね」
「実音もいるんだよね。どれ?」
観終わると、実音は再びプリンスに尋ねた。
「団体によって歩き方とかいろいろ違うけど、野田君の学校と比べてどう?」
「同じです。あ、でもあんなに揃ってないですよ! レベルが違いすぎます!」
「でもほかに経験者がいないみたいだし……。私だけで教えるのも大変だから手伝ってほしいな」
「えー」
嫌がるプリンスに、西田が詰め寄る。
「プリンス! 貴方が頼りなのよ! お願い!」
その目力に、彼は逆らえない。
「うっ……。わ、わかりましたよ。でも、メジャーは本当にボク無理ですからね!」
「私、ガードが専門なんだよね。メジャーはやったことあるけど、久しくやってないなぁ。でも、ひとりだけガードもありえないし、今からガードとマーチングの両方を教えるのも難しいし……。仕方がない。メジャーやります。みなさんもそれでいいですか?」
そう訊かれても、プリンス以外賛同できなかった。そもそも、何を尋ねられているのかがわからない。
「あ、あのー」
海が恐る恐る手を挙げた。
「メジャーとかガードとか、よくわからん」
「え? あ、ごめん。そっか。そうだよね」
ここで、実音のマーチング講座が始まった。
マーチングには、大きく分けると二種類ある。
ひとつはドリル演奏だ。
これは決められたエリア内で、奏者が動きながら演奏をする。美しい隊形を変化させていくドリルは、音楽に興味のない者でも、観て楽しむことができる。
また、外でやるグランドドリルや、体育館などの広い屋内でやるフロアドリル、そしてコンサートホールなどで行うステージドリルといった種類がある。
もうひとつが、今回参加するパレードだ。
こちらは決められたコースをひたすら歩きながら演奏するもので、街中でたまに見かけられる。
シンプルな分、揃っていないとすぐにバレてしまう。
そして、マーチングにおける指揮者のことをドラムメジャーと呼ぶ。
飾りのついた指揮杖を上下に振り、バンドの先頭で指揮をする役割がある。その手の動きは座奏とは全く異なる上に、観客を楽しませるために指揮杖を投げたり踊ったりもする。
また、マーチングには奏者以外にカラーガードと呼ばれる人々が、バンドに花を添える。
ポンポンやフラッグを使い、華麗なダンスで観客を魅了していく。
「なるほど。なんとなくわかった」
実音の解説に「ふむふむ」と頷きながら答える海。
「で、何から練習すればよかかね?」
海の疑問に、実音はニコッと笑みを見せた。
「では、今からマーチングの練習を行います!」




