2.動かぬ証拠
雅楽川実音は長崎に引っ越してきてまだ半月ほどしか経っていなかったが、彼女はこの島原半島を気に入っていた。
地元と違って、海も山も近くにある。そうめんで有名なだけあって、水も綺麗だ。
時間がゆったりと流れる空気感など、ここ何年も味わえていなかった。忙しない日々をもう過ごさなくても良いのだと思うと、心から転校して正解だったと実感した。
こうして昼休みにのんびりしていられるのも、実は憧れていたのだと彼女は気づいた。
そんな穏やかな残りの休み時間をどう使おうかと考えていた時、ドタバタと足音が聞こえてきた。
「雅楽川さん!」
教室に入るなり、丸っこい体型の女子が実音を目がけて向かってくる。
(えっと、たしか音和さん?)
実音の前で仁王立ちするのは、音和海だ。
「な、何?」
何度か挨拶を交わした程度のクラスメイトの登場に、実音は戸惑った。
「方南出身ってホント? もしかして吹奏楽部だった? お願い! うちの部に入って! 一緒に全国目指そ!」
そう言って頭を下げる海。
(え、なんでそんな個人情報……。私、「方南」の名前出さなかったよね? それに吹奏楽部に入れって冗談でしょ。ありえない!)
「あの、どうかなーー」
「ごめん、できない」
顔を上げた海に、実音はきっぱりと答えた。
「え?」
「できない」
「……」
もう一度同じ言葉を返すと、実音は視線を外して次の授業の予習を始めた。
(ありえない。せっかく普通の学生生活が送れると思ったのに)
「何で? やろうよ! ね、お願い!」
「……」
「ねぇ、吹奏楽部だったの? あ、違くても大丈夫だよ。初心者でもこっちは大歓迎!」
「……」
「わたし、クラリネットなんだ。雅楽川さんは希望の楽器ある?」
「……」
無視を決め込む実音に、海は全く引き下がらない。
(しつこいなぁ)
このまま黙っていても仕方がないと思い、実音は口を開く。
「私、吹奏楽に興味ないの。ごめんね」
「そんなー」
「……」
本気で残念がる姿に、実音は心がチクッとした。申し訳なくは思うが、それでも期待に応えることはできなかった。
「じゃあ、野球部は?」
「きゃっ」
すると、突然後ろから大柄な男子が話しかけてきた。
「ちょっと大護。雅楽川さん、恐がっとるよ。こんなでっかい奴にいきなり話しかけられたら、びっくりするでしょ」
「ごめん」
「ううん。少し驚いただけ」
「で、どう? 雅楽川さんがマネやってくれたらめちゃくちゃ嬉しいんだけど」
大護は実音の前に回り込むと、改めて勧誘した。
「えっと、野球はあんまり……」
「ルールは徐々に覚えればよかよ。部員みんな『マネが欲しいー!』っていつも言っとるし、大歓迎」
「え、いや、でも……」
「ほら、困っとるでしょ。諦めなさい。雅楽川さん、吹部の方が楽しかよ」
「海だって、さっき断られてただろ」
「野球部みたいなむさ苦しいところじゃ可哀想よ。絶対吹部の方が似合っとる!」
「はぁ? むさ苦しいからこそ、可愛いマネが必要なんだろ!」
「あの……」
目の前で言い争うふたりに困惑する実音。
結局昼休みが終わるまで、それは続いたのだった。
その日の放課後ーー。
吹奏楽部では、一年生が希望の楽器を好きに回っていた。
クラリネットパートでも希望者が数人来ており、二・三年生は歓迎モードで一生懸命もてなた。主に三年生が相手をし、楽器を吹かせてみたり質問に答えたりしてあげる。
その間、二年生は邪魔にならないように教室の端の方で待機中だ。その中で、ひとり上の空の生徒がいた。
「海、どした? 元気なかね」
「ねー。元気だけが取り柄なのに」
「なんかあった?」
そんな同級生を気遣い、同じ二年生の部員達が話しかけてきた。
「あー、うん。今日、うちのクラスの転校生を吹奏楽部に誘ったばってん、断られちゃって」
「転校生って、あの噂の美少女?」
「その子、前の学校でも吹部だったの?」
「え? どうだろ。『吹奏楽に興味ない』って言っとったけん、違うんじゃなかかね」
結局何部だったのかを聞くのを忘れていたと、今更気づく海。
「なら、無理に誘わなくても」
「ばってん、方南出身らしくて」
「え!? あの方南?」
「全国金賞常連の!?」
「うん。ブンブンがそう言っとった」
吹奏楽に携わる者なら、「方南高校」を知らない者はいない。
その名を聞いただけでテンションの上がる部員たち。すると、ひとりの生徒がスマホで何やら調べ始めた。
「何見とるの?」
「方南のホームページ」
海の質問にそう答えたのは、二年男子の縫だ。長身で、いつも眠たそうな顔をしている。
クラリネットパート随一のマイペース男は、一応練習中にもかかわらず呑気に閲覧を続ける。
「さっすがヌイヌイ」
「え、見せて見せてー」
女子から急かされ、渋々画面を見せる縫。
「やっぱりすごかね、ここ。コンクールの成績は雲の上だし、地方遠征したりテーマパークでパレードもしたりするって。人数もうちと大違いだ」
「へー。さすが全国って感じだね。んー?」
海はパート紹介のページで、見覚えのある人物を発見した。
「あー!!」
思わず大きな声が出て、三年生がこちらを振り向く。
「あんたたち、さっきからうるさい!」
「すみません!」
次の日ーー。
朝練を終えた海は、急いで教室へと駆けていった。そして実音を見つけると大声で叫んだ。
「雅楽川さん、吹奏楽部入って!」
実音は面倒くさそうな顔をし、どうやり過ごそうかと考えていると、海が目の前にスマホの画面を見せた。
「これ、雅楽川さんだよね?」
「っ!?」
それは方南の吹奏楽部のサイトで、オーボエを持つ実音が写っていた。
退部したからもう載っていないだろうと思っていた実音。まさかの証拠写真に動揺してしまう。
「経験者だったんだね」
「……他人の空似じゃない?」
「いやいやいやいや! どう見ても雅楽川さんだよ!」
「……」
「オーボエなんだね」
「……」
「あっ!?」
実音は素早い動きで教室を飛び出した。
「逃がさん!!」
そして海も、急いで彼女を追いかけていった。
「朝から何やってんだ?」
同じく朝練終わりの大護は、それを不思議そうに見ていた。
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