14.お酒はほどほどに
「無事に解決してよかったね!」
「そうだね」
帰り道、笑ってそう話す海に実音も微笑み返した。
「ところで、さっき辞める人が多いみたいな話しとったね。方南って、そんなに厳しいの?」
「そう……だね」
あまり思い出したくないのか、実音の表情が暗くなる。
「私が入学した時は百五十人近く部員がいたけど、一年で三十人くらい辞めてったね」
「うわー」
「自分にも周りにも厳しい人ばっかりだったから……。他人に構ってられるほどの余裕なんて、全然なかったんだよね。そういうの、本当に嫌だったなぁ。ここはそんなことないからよかった」
「強豪校っておとろしか(恐ろしい)ね」
「あはは」
高校に入る前もずっと全国にいた実音でさえ苦労する方南に、海は怯えるしかなかった。
「それで、どうして実音は大三東に?」
「親戚が南島原に多くて、お母さんもそっちの出身なの。方南での私が相当辛そうだったのか『田舎に行ってみない?』って提案してくれて。お父さんは仕事があるから、東京に残してふたりで長崎に。島原にも親戚がいてね、その中に大三東高校出身のお姉さんがいたから、制服が丁度あったの。だからここに転校してきたんだ。そのお姉さんたち家族は今福岡にいるんだけどね」
「そうだったんだ」
海は転校の理由を知って納得した。
都会の強豪校を去ってこんな離れた所に来ることに、彼女はずっと疑問を抱いていたのだ。
「あ、そうだ」
「ん?」
海は鞄にしまっていたある物を取り出した。
「あのね、今楽器修理中でしょ? うちのばあちゃんにそういう友達がおるって話をしたら『これ、あげな』って言われて。いる?」
渡されたのは、布に包まれた長い何かだった。
実音が恐る恐るそれを開くと、中には一本の笛が入っていた。
「これ、篠笛?」
「うん。ごめんね、いらんよね。昔もらったらしいの。ばってん、誰も吹けなくて。ばあちゃん、吹奏楽が何かよくわかってなくて、これで代用できると思ったみたい」
「七本調子だ。状態もすごくいいよ」
「わかるの?」
「低学年の頃にちょっとね。お祭りで吹いたりしたよ」
実際に構えて見せる実音。
フルートとは押さえ方が違い、指を寝かせるように穴に乗せている。
「へー。ばあちゃん、それで『島原の子守唄』を吹きたかったんだって。実音ならできる?」
「それ、どんな曲?」
海はスマホで曲を検索し、実音に聴かせた。
「これ、どういう意味?」
方言ばかりで内容がわからない実音は、海に質問する。
「えっと、たしか子供が売られる話」
「暗っ。それが子守唄なの?」
「うん」
「あ、あれは? 『でんでらりゅうば』。あれなら知ってるよ」
今度は実音が検索して曲をかける。
「これね。保育園で、よく手遊びしたなぁ」
「これはどういう意味?」
「遊女がお客さんが来るか来ないかって言っとる話、とか諸説あるみたい」
「それが童謡でいいの?」
「考えてみたらそうだね。実音はこれどこで知ったの?」
「ほら、この曲を元にしたのがあるでしょ。私、その歌手が好きで……。中学生の時に、吹奏楽用に編曲したこともあるよ」
「そんなことできるの?」
「うん」
「すごか! これね、県民なら踊れるよ」
「踊る?」
「そう。『がんばらんば体操』って知らん?」
「知らない」
「そういうのがあってね、授業でも踊ったなぁ」
「……」
篠笛を手に握りつつ、何か考え込む実音。
「それ、もらってくれる? わたしも吹けなかったけん、家にあっても困るんよ」
「いいの?」
「もちろん」
「ありがと。大事にする!」
実音は丁寧に篠笛を布で包み直すと、鞄に大切にしまった。
その頃、顧問の文はというとーー。
「ほら。文先生、もっと呑んで!」
「は、はい」
校長に連れられ、学校から離れた商店街にある居酒屋に来ていた。
(なんで、こんなことに……)
なぜふたりがここにいるのかというと、部活終了後帰ろうとした文を見つけた校長が「たまには付き合ってよ」と無理やり誘ったのだ。
地元の常連客だらけの店で、文は身を縮こませながらチビチビ酒を呑む。
文は横浜で生まれ育った。
東京の音大で出会った友人が長崎出身で、その人物に誘われてこっちで教師となった。ちなみに、誘った相手は結局東京にいる。
大三東に来る前は長崎市内で働いており、島原にはまだ慣れない。
「あたんなどこんしーな?」
「はい?」
突然知らない男性に尋ねられたが、文は戸惑う。
「どこから来たの、だって」
校長がすかさず通訳してくれる。
「あ、僕、横浜です。神奈川の」
「ほう」
珍しいものでも見るような視線に、逃げ出したくなる文。
ただでさえ長崎弁に慣れない彼にとって、島原弁はもはや宇宙人の言葉にしか聞こえなかった。
生徒たちとは多少イントネーションの違いはあれど、会話に困ることは全くない。だが、お年寄りは別だ。早口だし言葉が独特すぎて、全く聞き取れない。
「こい、だーがっな? とっとっとっ? (これ、誰のもの? 取ってるの?)」
「こいばや? (これ?)」
「うんにゃ、そいじゃなか(いいや、それじゃない)」
「めっちゃきゃーなえたな(とても疲れたなぁ)」
「そげん、がまだしとったか? (そんな、頑張ってたか?)」
「今日はなんのいをあると? (今日は何の魚ある?)」
「ガンバはなかね? (ガンバはないの?)」
「時期じゃなか。あるんはクツゾコ(時期じゃないよ。あるのはクツゾコ)」
「そいでよかよ(それでいいよ)」
「こいもいっとな? (これも要る?)」
小さな店内に、男性たちの楽しげな会話が聞こえてくる。
「文先生もこれ食べなよ。あっちのお客さんからお裾分けだよ」
「はぁ」
何か魚らしきものが乗った皿を出され、文は向こうにいる男性に軽く頭を下げてお礼を言う。そしてみんなに見守られながら一口食べる。
「うまっ!」
「やっちゃ、うまかやろ! (とても、美味いだろ!)」
校長はそれを見て得意げに言う。
「これ、なんです?」
「クツゾコの煮付けだよ」
「クツゾコ?」
「えっと、舌平目だね」
「へぇー、これが。僕、魚あんまり得意じゃなかったんですけど、これなら平気です」
「よかよか! じゅっじゅっ(たくさん)呑め!」
周りの常連が、文にどんどんおすすめの料理をテーブルに置く。
最初は気の進まない食事だったが、自然と酒が進んだ。
「お、いい呑みっぷりだね。ガネダキがあればもっと最高だったんだけどな」
「ガネダキ?」
「ガンバを醤油味で煮たものだよ」
「ガンバってなんですか?」
「フグだよ。ガンバは棺桶のことでね、ガンバを用意してでも食べたいってとこからきているんだ」
「そうなんですね。あ、もう一杯ください」
「君、呑むね」
「はい、もちろん校長の奢りですよね?」
「そうだけどさ、少しは遠慮しようとか思わないの?」
当然の年長者の声に、文は笑って誤魔化す。
そして暫く呑み続けたところで、口から勝手に言葉が漏れていく。
「部活でいろいろありまして……。たまには呑まないと……やってけないですよ」
「吹奏楽部はそんなに大変かい?」
「……まぁ、そーですね。べんきょーすることもおーいですし、何よりあの子ら、『全国』をもくひょーにするとか言ってて」
「それはすごいじゃないか。校長として応援してるよ」
「……あ、ひゃい。ありがとうーごじゃいます」
だんだん呂律の回らない文。
そこへ、ひとりの男性が近づく。
「吹奏楽って言っとったか? それはよかね」
「あ、どうも」
どうやら校長の知り合いのようだ。
立派なお腹と口髭の高齢の男性は、文の隣に座ると更に酒を注ぐ。
「そいながまだしとる先生に頼みばあるばってん(そんな頑張る先生に頼みがあるんだけど)、よかかね」
「へ? なんれすって?」
文の薄れゆく意識の中で、高齢の男性の豪快な笑い声が響いていた。
次の日の朝、文は二日酔いで痛む頭を抑えながら職員室に入った。
「おはようございます」
「おう、文先生! 昨日は付き合ってくれてありがとうね」
「いえ。こちらこそ、ご馳走様でした」
「それは別に大丈夫だよ。会長が全部払ってくれたからね」
「会長?」
「昨日会っただろ? あの立派な口髭のさ」
「えっと、たしか……」
文は僅かに残る記憶を遡り、それらしき人物を思い出す。
「君が引き受けてくれて、私も嬉しいよ。よろしくね」
「なんのことです?」
「え? 覚えてないのかい?」
「は、はい」
何か約束した記憶は、文には全くなかった。
「今度のゴールデンウィーク、商店街のイベントで吹奏楽部に出演してほしいって頼みだったろ。会長直々のお願いだからね。君、すんなりOKしてたじゃないか。『もちろん、やります!』って」
「……僕、そんなこと言ったんですか?」
「ああ」
「そ、そんな」
ただでさえ痛む頭が、さらに悪化する。
(どうしよう。絶対怒られそう)
文は主に転校生の姿を思い浮かべて、どんどん顔が青ざめていった。
「大丈夫かい? 顔色、悪いけど」
「……大丈夫じゃないです。あの、その出演ってキャンセルなんてーー」
「何言ってるんだ! せっかくのお願いを断るっていうのかい。一度参加すると言ったんだ。大人として、約束は守りなさい」
「で、ですよね」
どうやって部員たちに伝えようか、文はその後必死に考えるのだった。




