9.もふもふもふもふ
観光船を降りると、実音たちはこの後のことを相談した。
図書館に行くのも良いが、それだと各々で勉強するだけで教え合うのが難しい。かといってファミレスだと、お店の迷惑になりそうでお金もかかる。それにダラけてしまいそうだ。
「じゃ、うち来る?」
そう実音が提案すると、大護が目をカッと開いた。
「行ってよかか!?」
「え……うん。いいよ」
「ヨッシャー!!」
一応後ろを向いてガッツポーズをするが、嬉しさを隠しきれていない。
「やったー! 実音の家初めてやけん、楽しみ!」
海も、同級生のお宅訪問にテンションが上がる。
東柊は、財布の負担にならぬのなら行き場所はどこでもよかった。
こうして、テスト勉強をするために実音の家へと向かうことになった。
実音が今住んでいるのは、昔ながらの日本家屋だ。実音ママの実家であり、ここに祖父母と暮らしている。
広い和室に三人を案内すると、実音は飲み物を取りに一度部屋を出た。
現在、実音ママはボランティアに出かけており、祖父母は町内会の集まりに行って留守である。
「ここが実音の家かぁ」
大護は何度も大きく深呼吸をする。彼の中では、初めて女の子の家に上がったことになっている。海の家は数に入れていない。
「大護……気持ち悪かよ。やめな?」
幼馴染の変態行動を、海はゴミを見るような目で注意した。
「それより、広かねー。大の字で寝転がりたくなるなぁ」
「海こそ、目的忘れとるやろ? テスト勉強しに来たんだかんな!」
「大護には言われたくなか!」
ふたりが言い合いをしている間、東は黙って部屋の真ん中にある大きな机に、参考書を出し始めた。船の上での微笑みタイムは、もう終わってしまった。
「お菓子、これしかなかったんだけど足りる?」
そこに、実音がお盆に紅茶の入ったカップとお菓子を盛ったお皿を持って戻ってきた。
「わぁー! オシャレ!」
和室にミスマッチなおやつだが、海は遠慮することなくすぐに手を伸ばした。
「うまかー!」
「そう? よかった」
「このクッキー、どこの?」
「前住んでた家の近くのケーキ屋さんのやつだよ。お母さんが好きでね、お父さんがいっぱい送ってくれたの」
「へぇー。仲よかね」
「え?」
今の会話が耳に入った東は、顔を上げて声を漏らしてしまう。彼は、実音も自分と同じく両親が離婚していると思っていた。
その反応に、実音も気がついた。勝手に勘違いされていただけだが、やはり訂正するべきだと考える。
「あのね、東君。私ね、前の学校にいた時、部活でいろいろあって……。それで、気を利かせたお母さんがこっちの実家に連れてきてくれたの。お父さんは仕事で今も東京だけど、連絡はこまめに取り合ってるよ」
「……そう、なんだ」
東は持っていたシャーペンをポトリと机に落とすと、天井を見上げた。
三人はどう声をかけたら良いか、迷ってしまう。
数十秒ほどその態勢でいると、彼は顔を正面に戻した。
「……よかったじゃん。家族がちゃんと繋がっててさ。俺は……」
重い空気が流れ、部屋の中がしんと静まり返った。
そんな空気を最初に壊したのは、大護だった。
「東もいろいろあるんだろうな。だったら、話して楽になればよか。俺たちが聞いてやるよ」
「そ、そうだよ! 楽になっちゃいなよ!」
「私もここに来て、海たちに楽にしてもらったよ。だから、大丈夫!」
テスト勉強のことなど忘れて、必死に三人は東を気遣った。お節介かもしれないが、今の彼を見て放っておくわけにもいかない。
昨日までの彼なら、何を訊いても取りつく島もなかった。それが、イルカのおかげか今日は口数が増えている。東自身も話すなら今だと思い、やがて口をゆっくり開いた。
「俺……」
東の父親は、仕事ばかりで家庭をあまり顧みない性格だった。
彼がまだ幼い時に仕事で家族三人ブラジルに渡ったが、父親は異国の慣れない暮らしで苦労する母親に対し、少しも気遣うことをしなかった。それを近くで見ていて、彼は子供ながら酷い父親だと思った。
日本に戻ってから、東は地元のサッカーチームに入った。だが、練習も試合も、父親は一度も見に来なかった。それどころか、クラブのユースからの誘いがあった際、初めは猛反対した。監督の必死の勧誘で、東は中学生の時にジュニアユースに入れてもらったが、高校に上がると強制的に辞めさせられた。
彼はサッカーが好きだったわけではない。ただ、仲間の家族が休日に仲良く応援しに来てくれるのを見て、羨ましく思っただけだ。母親は来てくれるが、どこか精神的に無理しているようで、心配でしかなかった。
高一で東は目指す大学を決められ、敷かれたレールの上を歩くことだけを求められた。全て子供を思ってのことだと父親は言うが、彼は自分が空っぽになる感覚だった。
そして、母親の限界がきた。
彼女は将来を考えて、このままではダメだと感じた。離婚を決め、地元へ帰ることにした。
一応東は養育費はもらっているが、成人になるのは近い。自立するために働く母親は、息子に負担をかけたくないと思った。しかし彼は自主的にバイトを始めた。大学は返還しなくてもよい奨学金を目指している。だから、勉強も疎かにはできない。
何度もクラスメイトたちの誘いを断ってきたが、別に嫌だったわけではない。彼は断るしかなかったのだ。
「……うっ……ふぇっ……」
東が話し終えると、海はタラタラと涙を流していた。
「……えっ」
彼女が泣く意味が理解できず、東は戸惑っている。
「まー、あれだな。東は偉いな。尊敬するよ」
大護は腕を組んで、頭を上下に振る。これまでの「都会のクールな奴」という認識を改めている。
「じゃあ、進路はもう決めてるの?」
実音が質問すると、東の顔が僅かに明るくなる。
「ああ。将来、たくさんの動物を救いたいんだ。だから、獣医師になる」
ブラジルはペット王国で、東はそこでできた友達のペットとよく遊んだ。ペットに優しい店が多く、その環境が好きだった。しかし、市街地から離れた場所で野良犬に追いかけられてから、父親に一切動物と触れ合うことを禁止されてしまった。それは、日本に帰ってからも暫く続いた。動物園や水族館にも、彼は一度も連れていってはもらえなかった。
東が高校生になった頃、母親が知り合いに頼まれて保護猫を家に連れてきた。今まで禁止された反動か、彼はその猫に夢中になった。それをきっかけに、夏休みの夏期講習ついでに保護猫や保護犬の施設を見学したり、動物たちの実情を調べたりもした。
本当は長崎にも連れてきたかった。けれども、東が今住んでいる母親の実家には、猫アレルギーの従兄弟がいる。母親か猫かの究極の選択を迫られ、仕方なく愛猫を父親に託すことになってしまった。
「はぁー。会いたい」
そう言って、東は机に突っ伏してしまう。実音で猫吸いをしたほどの彼だ。ずっと会えていない猫に、禁断症状が出ている。
「写真ある? 見たかー」
海がお願いすると、彼は素早くスマホを取り出した。そして専用のフォルダを開く。そこには短足の白い猫の姿がたくさんあった。
「可愛い!」
「ちっちゃかね」
その画像に、女子たちもキャッキャする。
愛猫を褒められて東もドヤ顔だ。
「私に『似てる』って、足短いとこ?」
「ん? あ、いや、そうじゃないよ。短足はミヌエットの特徴だから、そこがいいんだけどさ。そうじゃなくて、雅楽川さんは顔が似てたんだよ」
「顔?」
「あー、わかる! この子、美人さんだもんね! 実音と一緒!」
「いや? それより、あの時の泣きそうな感じが」
この保護猫は、東の前に別の家に引き取られていた。だが、その家の先住猫と上手くいかなかった。彼と出会った時、保護猫はとても怯えており悲しそうな顔だった。それが、あの修学旅行の時の実音と重なった。
「だから……つい」
「つい」と言うには少々大胆な行動であったが、どれだけペットを愛しているかはよくわかった。
「だったら、親父さんに写真だけでも送ってもらえば?」
楽しそうに猫の動画を眺めている女子たちとは違い、大護は冷静に問いかける。
「実の父親と上手くいってないのはわかった。ばってん、猫は別だろ? だったら、今の様子だけでも訊けば? その写真より、もっと成長してるだろうし」
正直、東の禁断症状によってまた実音が猫吸いされないようにという想いもあったが、その提案は東の心を揺らした。
「……考えてみる」
「ああ」
それから暫くの間、東による溺愛の猫の自慢話が続いた。
全員テストのことは忘れてしまった。




