12.井上先輩は機嫌が悪い
次の日、実音は海が書いた座席表を見て教室で頭を抱えていた。
「ねぇ、海。もしかして大三東って、年功序列を大事にしてきた感じ?」
「え、どういうこと?」
朝練終わりの海は、家から持ってきたふたつのおにぎりを取り出しながら訊き返した。
「朝ごはんまだだったんだ」
「うん。今日、髪が上手く巻けなくて時間かかっちゃった。で?」
「うん。あのね、この学校って上級生がファーストで、下級生がセカンド以下なんだねって」
「そうだね。普通そういうもんだって思っとった」
「はぁー」
その言葉に、実音は深い溜め息が出てしまう。
「これは反発されても仕方ないな。でもこのままじゃダメだし……」
ぶつぶつ呟く彼女に海はどうすることもできず、とりあえず大きな口を開けておにぎりを頬張った。
その日の部活で、ある事件が発生した。
この日から、部活の始まりの集まりはなしになった。
事前に練習内容や共有事項を知らせておけば、わざわざ集まる必要はないと実音が提言したからだ。これに部長は何も言い返すことができず、習慣としてやってきたにすぎないため、この際なくすことを了承した。
これにより、帰りのホームルーム後音楽室に来た者から練習が可能になり、僅かだが練習時間を増やすことに成功した。
本日の予定は個人練習からの基礎合奏。昨日のアドバイスを受けてまずはそれぞれで復習できるようにとの、実音の考えたスケジュールだ。
基礎合奏の時間になり、実音はまずチューニングでひとりずつ丁寧に指導していく。顧問の文は、今音楽室にいない。
順番に見ていくその中で、クラリネットの二年生の紣谷秀奈はなかなか音程が合わなかった。そして、みんなの前で泣き出してしまった。
「ひーちゃん、泣かないで」
海がすぐにフォローに入るが、呼吸の乱れた紣谷はもう吹けそうにない。
彼女は眼鏡をかけたボブヘアの小柄な生徒で、いつもは海と一緒にケタケタ笑うような女子である。こうして簡単に泣き出すようなタイプではなかった。
「一旦、落ち着くまで教室に行ってきた方が良さそうだね」
実音は海に目配せし、ついていってあげるように促した。
「行こ、ひーちゃん」
「ゔっ……ゔん」
音楽室の入り口でその一部始終を見ていたパートリーダーでもある井上は、キッと実音を睨んだ。
「ふん!」
そして紣谷の傍に行き、海と一緒に教室へと向かった。
全員へのアドバイスが終わり、基礎合奏が始まる。
座席は、事前に実音が指示した通りに座らせた。その中には不満そうだったり戸惑う者もいた。
そこに紣谷の姿はなかった。
実音がその空席へと目をやると、井上が不機嫌そうな顔をする。
「『ひとりになりたい』って言うから、心配だけど教室に置いてきたわ」
「……そうですか」
「はぁ? それだけ?」
「……基礎合奏、始めます」
「ちょっ!」
そのまま不穏な空気の中、始める実音。
「昨日話したとおり、AからDグループまでそれぞれの役割を頭に入れてから音を重ねていきましょう」
そう言うと、メトロノームを鳴らした。
そしてカウントを始め、音を出させる。
「バスドラムは音が遅れて聴こえやすいので、もう少し前を意識してはっきりと。チューバの出だしもそうですね。トランペットとファーストクラリネットは、アタックが強すぎです。周りの音のスピードをよく聴いてください」
その後も的確に指示を出しながら進めていく実音に、一部を除いて他の部員たちは素直に従っていく。
そして終了時間になると、頭を下げてから指揮台を降りた。
「今日もありがとうね、雅楽川さん」
部長の本多がそう声をかけたところで、文がフラッと入ってくる。
「お、丁度終わったところかな? みんな、お疲れ様」
何故か疲れた様子の文は、部長の帰りの挨拶が終わると準備室に入っていく。それに実音も続いていき、ふたりで籠ってしまった。
ほかの部員たちは、各自片づけと着替えを済ませた者から帰宅していく。
「紣谷のこと、忘れてるんじゃないでしょうね」
同じように帰る準備をしながら怪訝そうな目で準備室を見る井上に、海が慌てて口を開いた。
「わたし、ひーちゃんのとこ行ってきますね。荷物も持っていってあげんと」
海は実音のことも気になっていたが、同じパートとして紣谷を優先した。
「ひーちゃん、大丈夫?」
静かな教室に、ひとり机に突っ伏している紣谷。海は心配でそっと近づいた。
「……海」
顔を上げた紣谷の顔は泣きすぎて酷い有様だった。
「荷物持ってきたよ。ほら、楽器も片そ?」
「ありがとう」
ここまで紣谷が落ち込む姿を見たことがなかったため、海はどうしたら良いのかわからなかった。
一緒に片しながらも、彼女は一生懸命言葉を探す。
「……ごめんね」
口を開いたのは紣谷だった。
「え、何が?」
「みんなに迷惑かけちゃって」
「全然迷惑じゃなか。実音も厳しいところあったもんね。わたしもあんなに近い距離で見られながら吹くなんて今までなかったけん、実は心臓バクバクの状態で吹いとったんよ」
「そんな風に見えんかったけどな。でもね、違うの」
「違う?」
「うん。あのねーー」
その時、教室のドアが開く音がした。
振り返ったふたりの前に現れたのはーー。




