6.地味子、降臨
次の本番では、クリスマスにちなんだ曲を演奏することになっている。
その中の一曲には、アルトサックスの二年生の頴川紅が大活躍のソロがある。
「全然歌えてねーよ! 原曲聴いたんだろ? なんでそうなるんだよ!」
頴川の吹き方に、ネロは不合格を出し続けた。何度もトライするが、彼女はだんだんわけがわからなくなってきた。洋楽のため、日本語訳も調べた。意味はわかったが、大人の女性の色気を纏った演奏にはほど遠い。
彼女がサックスを希望したのは、単純に「イケてる!」と思ったからだ。
サックスという楽器は、真鍮で造られており、一枚のリードを使って音を出す。そのため、金管らしさと木管らしさの両方を兼ね揃えた、比較的新しい楽器である。
木管楽器にしてはほかよりも大きな音が出せ、同じシングルリードのクラリネットよりも抵抗が少なく音が鳴る。リコーダーが吹けるのならば、指遣いも苦労しない。
首からかけたストラップも含めて、美しいカーブが特徴的なアルトサックスに一目惚れした頴川。メロディーも多く担当するため、吹いていて楽しかった。
それが今、メロディーに苦戦中だ。
「歌ってみろよ」
「え……」
頴川はこの指示に嫌そうな顔をした。
実音の合奏でもあった練習方法ではあるが、これが一番苦手だ。
「……酷いな」
歌わせた本人が、ものすごく引いている。
「わかってますよ!」
頴川も不貞腐れた。
彼女は、とてつもなく歌が音痴である。
定期演奏会でもソロがあったが、あの時も大変だった。ただ大きな音を鳴らすだけなら得意だ。しかし、求められる感情の籠った演奏ができない。ビブラートも苦手である。
歌っての練習も別の奏者なら効果はあるが、頴川には効かない。そもそも歌うことが人並み以下なのだ。とても吹奏楽部の人間とは思えない。
あまりにも音痴な歌声に頭痛がして、ネロは頭を抑えている。
「……一旦、休憩で」
気分が悪くなり、彼は音楽室を出ていってしまった。
「そこまで!?」
音痴なことに自覚はあったが、目の前で失礼にもほどがある態度をされ、頴川も頭に来た。
席を立つと、彼女は窓を全開にして「クソーッ!!」と叫んでストレス発散した。ちょうど外で練習中の運動部がギョッとする。
「ベニ子、落ち着いた?」
「……うん」
席に戻った頴川に声をかける海。その手には未開封のお菓子の袋がある。彼女は、落ち込んだ時は何か食べると解決できると思っている。
「食べる?」
「……太るし遠慮しとく」
「そう? じゃあ、練習後食べよっと。欲しくなったら言って?」
「うん」
修学旅行の件で、海に対して暫く口を利かなかった頴川。それも今では自然と元どおりである。
「ねぇ、実音ちゃん。どうしたらよかかね?」
このままではいけないと思い、頴川は実音にアドバイスをもらおうと考えた。
しかし、実音が口を開けようとしたのと同時に、ネロが戻ってきてしまう。その顔には若干の疲れが見える。
指揮台に座った彼は、頴川を見るとまた溜め息をついた。
(むかつくー!!)
また叫びたくなるのを抑え、彼女は楽器を構えた。ソロを吹く意志を見せたのだ。
「それじゃなくて、こっち吹いて」
「え?」
だが、ネロは別の曲を吹かせようとした。頴川への課題曲だ。
ハーモニーディレクターでお手本を弾いて聴かせる。
「『展覧会の絵』。知ってるだろ? その中の『古城』。これ吹いてみて」
『展覧会の絵』は、ロシアのモデスト・ムソルグスキーが作曲したピアノのための組曲である。
いくつもの絵画を見て回るように、場面が変わっていくのが特徴だ。
様々な作曲家がこれを編曲したが、中でもフランスのモーリス・ラヴェルが管弦楽用に書いたものが有名である。初めの「第一プロムナード」のトランペットのソロや、「キエフ(キーウ)の大門」は、テレビ番組のBGMで何度も使用されている。
「古城」はひっそりと佇む城の様子を、抒情的に表現した曲だ。悲哀に満ちたメロディーで、オシャレ女子の頴川とは無縁の雰囲気を醸し出している。
「感情が爆発してんな。できるだけ抑えろ。……音量は抑えるなよ。息は入れて。……ビブラート意識しすぎ。今は無理にかけなくていいから。……はぁー。全然ダメ」
言われたことを守って頴川は吹くが、なかなか上手くいかない。
「お前の音、バリエーションがねぇんだよ。全部一緒じゃん。サックスってさ、本来なら人の声に一番近い楽器だろ? 曲に合わせて音を変えられるのが特徴なのに、エガワの音はずっと明るすぎる。……ふたりも吹いてみて」
頴川の代わりに、ネロはアルトサックスの一年生たちにも同じ曲を吹かせた。ひとりはネロの弾く鍵盤の音についていけずに最後まで吹かせてももらえなかったが、もうひとりは音を間違える場面はあったものの、頴川よりも表現の仕方は上手かった。
「こっちの方がマシだな。どうする?」
あえて頴川を試すような発言をするネロ。
どうしてもソロを吹きたい彼女は、心配で後ろを向いていた実音に、視線で助けを求める。
「うーん。あれかな? いつもと違う自分を想像してみたらどう? 『古城』だから、キラキラ感を抑えてみるの」
「それって、地味じゃない?」
「それでいいんだよ。そういう曲だもん。あっちのソロだって、最後はテンション高いけど、最初からあんな感じじゃ、恋人も逃げちゃうでしょ?」
「確かに」
「元気なのは隠すの。上から感情を抑えつけるイメージで」
頴川は想像してみた。
いつも自分を可愛くイケているように見せるため、日々研究してきた。
だが、今は「ベニ子」改め「地味子」をイメージする。
その「地味子」なら、どう吹くだろうか? きっと、周りに迷惑をかけないように、柔らかい音で演奏するはずだ。
「はい、質問!」
頴川は手を挙げてネロに質問をする。
「どうしたら柔らかい音が出せますか?」
「リードが硬すぎるんじゃね?」
専門外の楽器のはずだが、ネロは即答した。
「コントロールは難しくなるけど、もっと柔らかいやつでやってみたら? ある?」
「あ、たぶん」
「持ってきて」
「はい」
頴川は急いで楽器倉庫へと向かった。そこには、今は使わなくなったリードも眠っている。
「ありました!」
「吹いてみて」
戻ってきた頴川は、言われたとおりにリードを変えて軽く吹いてみる。今のに慣れていたため、とてもやりにくかった。
「だんだん息のスピード緩めて。あと、向きは下に」
コントロールが難しく、音程も不安定だ。しかし、音質がこれだけで変わったのが自分でもわかった。
「あ、お前噛みすぎ。だから、ビービーうるせーんだよ」
楽器の咥え方から矯正され、初めて楽器を前にした時のような気分になる。
(私は「地味子」。ここはイケてない古びたお城)
頭の中にしっかりとイメージを入れてから、課題曲を演奏した。
「……それなら、ギリギリ合格。でも、相変わらずビブラートは下手くそ。ま、いいや。こっちも吹いてみて」
クリスマスで披露するソロに切り替えて、こちらも「地味子」を想像する。
「暗っ! 『古城』引きずってるのまるわかりじゃん」
「あれ?」
こっちも上手くいったと思っていたが、そう簡単ではなかった。
すかさず、実音が助けに入る。
「いつもの感情爆発させたのを、ちょっと見せてみて。でも、出だしの音は柔らかくね」
アドバイスをもらい、今度こそ合格点を目指した。
楽譜に書いてある音だけでなく、徐々に自由に気持ちを乗せる。
「アドリブも下手くそだな。それならやらない方がマシ」
「うっ……」
自信満々に吹いたが、結果は酷評。
そんな彼女に、ネロは楽譜に新たな書き込みを入れた。
「こっちでやってみな。それから、フチ」
「へ?」
突然呼ばれた泓塁希は、変な声で返事をした。
「お前、原曲聴いた?」
「もちろん!」
「じゃ、エガワの代わりに歌ってやって」
「オッケー。ベニ子、いっくよー!」
暴君に対しても恐れを知らないのか、タメ口の泓。
彼は指示どおりに歌ってみせた。その歌い方は、さすがモノマネ好きなだけある。頴川の何倍も上手い。ただし、英語は歌えないため歌詞は適当である。
同じパートの彼との演奏で、彼女の吹き方も抑揚が出た。ずっと良くなっている。
アドリブもネロが書き加えたものに変えたことで、不自然ではなくなった。
「それで練習してみな」
「はい!」
歌の音痴な頴川は、こうして表現力を得ることができた。




