3.もうひとつの顔
放課後、パートごとに教室にて個人練習をした。副部長の法村風弥は時計を確認すると、同じパートの部員に声をかけて次の移動を促した。これからグループに分かれての練習をするからだ。
「ほらほら、京ちゃん。雅楽川さんの所へ行かんと。初喜ちゃん、待たせとるよ」
「はーい」
法村と同じくホルンの二年生である京小霧は、のんびりとした返事をした。
細い目が特徴的な京は、楽器を吹いている最中はそれほどでもないが、普段の動きがとてつもなく遅い。今も準備を終えた後輩の馬渡初喜が、同じグループに所属する先輩の用意ができるのを横で待っている。それでも京のスピードは上がらない。
「ボク、先に出ますね。造酒先輩と練習の打ち合わせしたいんで」
「あ、うん。いってらっしゃい」
もうひとりの後輩のプリンスは、この前のネロの合奏で責められていた先輩を助けるために、急いで教室を出ていった。
(偉いなぁ)
プリンスのグループには部長と学生指揮者がいるが、実音が指導するグループに比べると上手くいっていない。だから、マーチングでも活躍する彼は頼まれたわけではないが、自分のグループのためにもこうして奮闘している。
「私ももう行くよ。京ちゃん、はなりんはおらんし雅楽川さんは忙しそうだから、何かあればあさちゃんに頼ってね」
「うん、わかったー。初喜ちゃん、待っててねー」
京と同じグループには、彼女と仲の良いユーフォニアムの鴛淵英莉がいない。グループ分けが発表された際、京はそれを一番気にしていた。中学からの親友で、鴛淵はのんびり屋の彼女の扱いも慣れている。
そこで、法村はトランペットの梼木朝江に託すことにした。梼木は部内の母親的存在だ。面倒見が良い彼女なら、安心して京も任せることができる。
それよりも、法村は自分のことで精一杯だった。ネロから出された課題も、まだクリアしていない。
前回の合奏で、彼女は『剣の舞』を吹くように言われた。自分に足りていない部分がわからぬまま、言われた曲を彼の前で演奏した。そしてネロから発せられた感想は「弱そう」だった。
一度空き教室で練習し、その後もう一度トライした。しかし、結果は不合格。自分のグループのことを見る前に、彼女自身の実力が全く足りていなかった。
練習場所に辿り着いた法村は、メモしたことをひとつひとつ確認した。今はそれしかできない。
頼りないかもしれないが、任されてしまった以上は教わったことを消化するしかない。新たな練習方法など思いつかず、彼女は与えられた課題に真正面から立ち向かった。
練習後、法村は京の元へ向かった。
同じパートとして、彼女が上手くやれたのか気になっていた。
「京ちゃん、お疲れ。どうだった?」
「あ、のりちゃん。お疲れー。うん、楽しかったよ。あさちゃんが近くにおったけんね、全然困らんかったー」
「そっか。よかったね」
「うん。……のりちゃん、疲れとる?」
京に顔を覗き込まれ、法村は咄嗟に持っていたスコアで顔を隠した。
実際、教える立場は慣れず、正直参っていた。
「のりちゃん、顔に出るもんね」
「そう……かな?」
「うん」
「京ちゃんは、今回順調そうだね。私も雅楽川さんのグループだったらなぁ」
「ねー。実音ちゃん、教えるの上手だもん」
「うっ」
無邪気に笑いながらそう言う京の言葉は、法村にとっては凶器と同じだった。彼女にそのつもりはなくとも、自分ではダメだと言われている気分になる。
「ネロさんから課題が出たんだけどねー、実音ちゃんにアドバイスもらったら、合格できたよ」
「え? 京ちゃんも出されたの?」
「うん? そうだよー。嫌になっちゃうよねー」
聞けば、出された曲は法村と一緒だった。彼女が合格できなかったそれを、京は二回目で通った。
楽器の実力はプリンスに劣るが、法村は京には優っていると思っていた。だから、この事実はかなりの衝撃であった。
「のりちゃん、大丈夫?」
「う、うん。平気」
動揺を隠せずにいたが、友人は心配いらないとわかりその場を離れた。
副部長の仕事は、裏方の仕事が多い。
部費の集金や、掃除当番の順番決めとそのリストの作成などを行う。
そして今、法村は今度の本番の動態をまとめているところだ。
当日の動きは、実音が中心となって決めている。法村は、それを部員たちがわかりやすいように学校のパソコンを使って昼休みに少しずつ打ち込む。
できたものは役員と顧問の文の分だけプリントアウトし、ほかの部員にはデータだけ送る。本当は全員に紙で渡したかったが、印刷するにもお金がかかる。真面目なパートリーダーたちは、そこから必要なことだけを楽譜の端に書き込むなどして対応している。
今度の本番は会場がそれぞれ異なるため、いつもの三倍忙しい。彼女は、それをひとりで黙々と仕上げていった。大変だが、ほかの役員の実音や造酒もやることが多い。海もドラムメジャーの練習をしており、いつもより働いている。
法村は、弱音を吐くことができなかった。
副部長の仕事と、グループのリーダーとしての指導、そして楽器の練習。係の仕事は今はなく、それだけが救いだった。
だが、彼女のやるべきことはこれだけではなかった。実は、実音も知らない裏の顔がある。
「宰相。今月の国民会議の日なんですけど……」
「あ、はい。何か問題ありました?」
法村のいる視聴覚室へやってきたのは、部活もクラスも違う女子生徒だった。
「宰相」と呼ばれた法村は、部活と関係のない資料を渡された。
「議題は『ここ最近、プリンスの見た目が益々かっこよくなっている件について』で、よろしいですね?」
「い、いいんじゃないかな? それで、お願いします」
「かしこまりました」
用件が済むと、女子生徒は一礼してから教室を出ていった。
ドアが閉まると、法村はどっと疲れが出たのを感じた。
(こんな仕事、やるなんて思わなかった!)
彼女は今、女子生徒から絶大な人気のあるプリンスのファンクラブのトップを任されている。
そもそも、このファンクラブはプリンス非公認だ。そして、設立したのは三年生の西田嬉奈である。そんなプリンスオタクから、法村は無理やり次期トップの座を譲られてしまった。その役職名が「宰相」なのだ。先ほどの生徒は「大臣」であり、「国民会議」とはオンライン上のファンミーティングのことだ。もちろん、プリンス本人は全く知らない。
法村はプリンスのことを推しているが、そこまで熱狂的ではない。ファンクラブも、自分が知らない間に加入させられていた。さらに、コンクールの後のパートリーダーの引き継ぎで、「宰相」も任命されてしまった。
プリンスにバレないように、厄介なファン(主に西田)から守るのが彼女の仕事だ。
そんな多忙な法村は、次のネロの合奏で再び課題の『剣の舞』を彼の前で吹いた。
「練習した?」
「……はい」
「変わってないじゃん」
「……すみません」
「このグループだけ、成長してないんだけど? さっき見たミキのグループだって、工夫が見られたのに?」
「……すみません」
「……はぁ。謝ってばっかだな、お前」
溜め息をつく彼に、法村はギリギリで耐えていた。できることなら、今すぐ走って逃げたかった。
「こっちはオレが見ておくから、その間、自分のことをどうにかして」
「……はい」
頭を下げて、彼女は楽器を持って早歩きで音楽室から去っていった。




