12.修学旅行 ④
大三東高校吹奏楽部の顧問である文凛太郎は、自分が修学旅行の引率中であるという意識が完全に飛んでいた。
初めて見る生の方南高校吹奏楽部のパフォーマンスを、純粋に楽しんだ。そして演目が終わると、時間ギリギリまでテーマパークを満喫しようと、部活の部員がいるグループに混ぜてもらうつもりだった。
しかし、その中のひとりが方南の部員と思われる学生と話している。彼は最初、再会を喜んでいるのかと思った。だが、だんだん様子がおかしくなる。
最終的にはその場から逃げるように、そのグループは去ってしまった。走っていなくなったため、彼には追いつける自信がない。そこで、代わりに別の生徒に入れてもらおうと考えた。
「失礼ですが、大三東高校の先生ですか?」
「え?」
近くにいた縫壱月を捕まえる前に、別の男性から話しかけられた。
その人物は五十代くらいで、スポーツでもやっていそうながっしりとした体格をしていた。文みたいな、だらしなさはない。スーツもビシッと着こなしている。ただ、その顔はかなり恐かった。
「えっと……そうですけど?」
「自分は、方南高校吹奏楽部の顧問をしております百鬼と申します」
「ほ、方南の顧問さんですか!?」
「ええ。……さっきの生徒は、雅楽川実音ですよね? うちに所属していた」
「……そ、そうですね」
他校の教師に言っても良いのか一瞬考えたものの、文は以前いた学校の関係者なら問題ないと考えた。相手がなりすましで方南の顧問を名乗っているかもしれないという発想は、彼には出てこなかった。
幸運なことにその百鬼という男は、広場に残っていた方南の生徒に撤退の指示を口パクや指差しで出しており、本物だとわかった。ほかの付き添いの副顧問に任せて、自分は離れた位置から見守っていた。
「僕も、吹奏楽部の顧問なんですよ。……あ、自分、文と言います」
「ところで、生徒たちの会話が聞こえてしまいましてね。雅楽川は吹奏楽部に入ったのですよね?」
「あ、はい」
「あの子は、上手くやっていますか?」
「ええ、もちろんですよ。みんな彼女に助けられてます」
「……そうですか」
ここで、文はあることが気になった。
「あのー、よく彼女が大三東高校にいるって、覚えていらっしゃいますね? 転校先の学校なんて、僕ならすぐ忘れちゃうな」
ポンコツの彼ならありそうな話だ。
そうでなくとも、部員数が桁違いの部活の辞めた部員のことだ。学校名まで記憶し、半年以上経っても気になるものだろうか? 文は、そこが引っかかった。
「そもそも、彼女はあんなに実力もあるのに、どうして辞めたんでしょうね?」
素直な疑問をぶつけると、百鬼の眉間の皺が増えた。
(マズいこと言っちゃったかなぁ。もしかして、気に障ったか? というか、この人恐い!)
ブルブルし出した文に、方南の顧問は懐から何かを取り出した。
「辞める生徒は確かに多い。ただ、転校までする子は珍しいですからね。今はそちらで上手くやっているようで、安心しました。コンクールの映像も、拝見しましたよ。なかなかよかった。今度、時間がある時にゆっくりお話しましょう。九州遠征の時にでもいかがですか?」
そう言って、彼は名刺を渡してきた。
文にとって、人生初めて受け取った名刺だ。教師という職業では普段見ることはないし、持ってもいない。
そこで、交換してみたくなった文は、パーク内のキャラクターにサインをもらおうと思って持ってきていたメモ帳に、自分の名前と連絡先を書いた。それを渡すと百鬼の皺が更に深くなったような気がした。引かれただけだが、文はわかっていない。
「では、そのうち連絡差し上げます」
施設の雰囲気にそぐわないスーツ姿の男は、綺麗なお辞儀をしてから文の元を去っていった。
「見て見て! 名刺もらっちゃった」
すぐ近くにいるはずの縫の方へ顔を向けると、そこには大三東の生徒は誰ひとりいなかった。既にみんな次の場所へ移動している。
(僕ひとり!? 置いてかれたー!)
やむをえず、文はひとり寂しくパーク内をまた楽しむのだった。
方南の部員は出演が終わると、少しだけパーク内での自由行動が認められる。これはご褒美だ。しかし、その時間はほんの僅か。この日も学校に帰ってから練習がある。それに、はしゃぐことは許されない。どんな時も、常に方南の生徒として行動しなければならない。
そのおかげか、実音たちはその後方南の部員とは会わなかった。彼らは従業員の話し方から接客を学んだり、来ているお客さんの様子からトレンドを調べたりした。中には、流れる音楽を聴くだけの者もいる。
アトラクションで出くわすことがなくて助かった。それでも、実音の顔色は悪いままだ。口では「大丈夫」と言うが、どう見ても大丈夫ではない。心配をかけたくないのか、決めていたコースを制覇しようと無理をしている。
「次はちょっと離れてるけど、人気のアトラクションだし急ご!」
実音は先頭に立って、誘導しようとしている。
それでみんなを連れて行けるわけがない。彼女は方向音痴だ。目的地と反対方向へ足が向いていた。
「そっち、違うけど?」
そんな彼女に指摘したのは東柊だった。実音を止めようとした大護は一歩遅かった。
「あっち」
「……ごめんね。あっちだね。うん、行こっか」
少し早口で喋ってから、示された方へと進む。
このまま先頭を任せても、辿り着けるとは思えない。
「時間はまだあるし、落ち着けば?」
東は実音の鞄のショルダーベルトを掴んだ。これでは進めない。
「暾、前行って」
「あ、ああ」
大護に先頭を歩かせ、実音と東は後ろからついていく。
「東君、ごめんね」
「……いや、いい」
そこからは、東はなぜか実音の隣をずっとキープし続けた。
その行動に誰も口出しできない。そんなオーラを放っていた。
宿に着いて、この日も吹奏楽部は集まってトレーニングをした。
実音も参加しているが、無理をしているのは変わらない。そして、みんな気を遣って方南のワードは出さなかった。
お風呂上がり、大護は七種結乃花に呼び止められた。
彼女から「話がしたい」と言われ、本当は実音を探したかったのだが一緒に静かな場所へと移動した。
「ごめんね、暾君。せっかくの自由時間もらっちゃって」
「……よかよか。で、話って?」
「うん。あのね……」
その時、ふたりの近くで別の声が聞こえた。
七種の話の途中ではあるが、大護は思わずそちらを覗いてみる。すると、少し離れた場所にいる実音と東の姿を見つけた。
「実音?」
向かい合っているふたりの会話は、遠くてよく聞こえない。大護は目と耳を研ぎ澄まし、その会話を盗み聞こうと試みた。
「俺の……に……て」
大護に聞こえたのはそれだけ。
それが彼には「俺のカノジョになって」と変換されてしまう。
そんな告白をする感じは、東にはなかった。だが次の彼の行動で、それが合っているのかもしれないと彼に思わせた。
なんと、東は実音の肩に自分の顔を埋めて抱きしめたのだ。
「っ!?」
その光景を共に見た七種は、大護の背中に手でそっと触れた。
「東君って、そうだったんだね。実音ちゃんのこと……。ショックだよね」
「え? お、俺は……」
自分の実音への想いを七種が気づいていると知らない彼は、つい慌ててしまう。
実音たちの方を振り返って否定しようとしたが、いつの間にかふたりはいなくなっている。
「ねぇ、暾君。私ね……あのね……暾君のこと、好き。一年の時から、ずっと好き」
「……え?」
突然の告白に、大護は目を大きく見開いた。
彼にとって、告白されたのは人生初だ。ただのクラスメイトのひとりという認識しかなかった相手から急に想いを告げられて、直前まで見ていた実音と東のこともありパンクしそうだ。
「入学して少し経った頃だったかな。私が吹奏楽部でフルートを担当してることを話したら、周りの男子は『フルートって何?』とか『金管だっけ?』とか『縦笛でしょ』とか言っとったのに、暾君だけは『横笛の木管楽器だろ』って言ってくれたよね?」
「あ、えーと、そうだっけ? まぁ、フルートは知っちょったしな」
「うん。それからかな。暾君のこと、意識したの。周りのことよく見えとるし、結構面倒見もいいんだなぁって。幼馴染なのは仕方ないけど、正直海が羨ましかった」
「……七種、ごめん。俺ーー」
「知ってる」
気持ちを聞いた上で、やはり大護の心は決まっている。
それを伝える前に、七種はその言葉を遮った。
「実音ちゃんのこと、好きなんでしょ? 見ればわかるよ。それでも、伝えたくなったの。ごめんね、困らせちゃって。暾君の初恋の相手がテレビで観た都会の子って知った時は、まだチャンスあるかと思ったんだけどなぁ。実音ちゃんいい子だし、可愛いし、暾君が好きになるのもわかるよ。ねぇ、暾君。ライバルは東君だけじゃなか。ネロさんも、うちの部の男子たちも、狙っとるのは多いよ。今はまだ素直に応援できないけど、油断しちゃダメだからね」
「……七種」
「あー言っちゃったー。でも、ほんのちょっとスッキリしたかも。じゃ、おやすみー」
七種は、大護の前から去ろうとする。
「七種!」
「っ!」
「ごめん! ……あと、ありがとう!」
「……」
その返事を背中で受け、彼女は一度止まる。そして首だけ縦に動かしてから、また駆け足で大護の元から離れていった。
七種は角を曲がると、立ち止まった。
彼女の頬に、水滴が次々と流れていく。大護の前では我慢できた自分を褒めてあげたくなった。
「……七種さん」
「っ!」
泣いている彼女に声をかけたのは、内山田花太だった。影が薄く、彼女は近くにいたことに気がつかなかった。
「内山田君。……あ、これは……」
「ごめんね。聞こえちゃった」
実は、彼も実音と東の怪しい現場を遠くから見てしまい、その後の七種の告白も耳に届いていた。
「えへへ。振られちゃった」
「……うん。……こんな時にごめんだけど、これ受け取って」
内山田が渡したのは、昨日彼女が気になっていた扇子。こっそり買っており、ずっと持っていた。
渡すタイミングを探っていた彼は、これが正しいのかわからないが今渡した。
「俺は七種さんが好きだ。ずっと前から」
「え?」
全く眼中になかった彼からの告白。自分のことを好きなのは知っていたが、七種は今じゃないと思った。
「俺じゃ大護には勝てないと思う。それでも伝えたくて……。俺は七種さんを幸せにしたい。好きになってくれなくてもよか。なんでも味方する人間がおることだけは、知ってほしかった。これはほんの気持ち。気に入らなかったら、誰かにあげて」
扇子を渡し言いたいことを言った内山田は、走って部屋へと戻る。
七種の涙は止まっていた。




