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がんばらんば〜大三東高校吹奏楽部の活動日誌〜  作者: 尋木大樹
11月

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おまけ.黒田宙矢 ②

 年下の演奏に負けた俺は、今まで以上にピアノの練習をした。それでも、あんなに人の心を動かすような音楽を奏でることは叶わなかった。何度賞を得ようと満たされず、ピアノへの情熱も湧かなくなった。

 そして、あれからあいつはどこのピアノのコンクールにも現れることはなかった。音楽雑誌にも載らないような小さな大会もチェックしたが、一度もその名を見つけられない。まぁ、会いたくもないが。


 高校を卒業し、音大へは一浪して入った。

 落ちた時は正直悔しかったが、それが当たり前の場所だ。切り替えて、浪人中はバイトに明け暮れた。

 大学では念願の指揮科で学び、夢の指揮者へ近づいたつもりだった。だが、現実はそう甘くない。俺を使ってくれる楽団はどこにもなく、卒業後は浪人中に世話になったバイト先で再び働くこととなった。

 昼は給仕、夜はピアノの演奏。高級フレンチの店で、客の質も高い。みんな裕福な身なりをしている。

 演奏については、食事の邪魔にならないように控えめにしなければならなかった。ちゃんと聴いてくれているとは思えない。ただのBGM係だ。


 ある時いつものようにピアノの前に座ると、近くのテーブルにかなり目立つ一組の男女が目に入った。

 女性の方は二十代くらいで、胸元を大胆に開けた派手な服を着ており、とても色気があった。装飾品も多くつけていて、バッグも靴も全て高級そうだ。

 一緒に食事をしている相手の方は、小柄な青年だった。その髪は赤く、ピアスもつけていてどこかの不良みたいだ。中学生……いや、高校生くらいだろうか。とにかく、この店に合っていない。

 楽譜を置いて演奏の準備をしていた俺に、ふたりの会話はそのつもりはなくとも耳に入ってきた。


「この間の以外は?」

「あれだけよ。充分でしょ?」

「全員会ったけど、使えそうにない」

「そんなの知らないわ。うちの人の伝手であんなに紹介したんだから、感謝してよね」

「それはしてる。でも、使えないもんは使えないんだよ。オレと合わない」

「あなたと合う人なんて、そういないわ」


 聞こえてきた会話が、なんのことを話しているのかわからない。確定したのは、このふたりが元からの知り合いだということくらいだ。よくあるマッチングアプリで会ったばかりの男女、というわけではないらしい。どうしたら、こんな不良とグラマラスな女性が出会うのだろう?

 とりあえず、俺は演奏を始める。

 コンクールのために毎日練習をした難曲ではなく、映画のテーマなどの誰もが知っている曲だ。しかも、テンポは原曲よりもゆっくりと。なぜなら、これはBGMだから。大人の雰囲気のある店に、オシャレな音楽を奏でる。


 ガッシャーン!!


 突然、大きな音が聞こえた。皿が割れた音のようだ。


「だから、どういうことよ!」

「おまっ! ここ、店の中だぞ! 空気読め!」

「空気? そんなの知らないわよ! それより、あの女誰?」


 揉めているのは、俺から少し離れたテーブルにいる男女。

 外で食事中に浮気を問い詰めるのもどうかと思うが、そもそも浮気をする男が悪い。

 あの割れた皿も、結構な値段するのになぁ。手間のかかった料理にも、なんてもったいないことを。他所でやってくれ。

 演奏を止め、様子を見守る。ベテランのスタッフが対応するが、女性の方は周りが見えなくなってしまっている。さて、どうしたものか。


「ねぇ」

「はい?」


 すると、赤髪の青年が話しかけてきた。

 よく見ると、整った綺麗な顔をしている。


「もっと面白いの弾いてよ。できるでしょ?」

「えっと、お客様。今は、そんな雰囲気では……」

「『鬼火』とか『マゼッパ』とか『スペイン狂詩曲』とかさ」


 全部同じ作曲家じゃねーか!


「当店に合う曲ではないかと……。それに、あちらのお客様が落ち着かれるまではとても」


 俺たちが会話する間も、向こうでは激しいバトルが繰り広げられている。こんな修羅場に巻き込まれたのは、開店以来初めてのことだろう。


「あなたも弾かせてもらえば? オーボエ吹いてるのは聴いたけど、ピアノも弾けるんでしょ?」

「まぁな」

「その『スペイン』? とかなんとか知らないけど、やってみなさいよ」

「あれは指が届かない。でも小学生の時に弾いた別の曲なら。ねぇ、弾いてもOK?」


 いや、ダメに決まってるだろ! 空気を読め!


「いいでしょ、お兄さん。私からもお願い」


 椅子から退かない俺に対し、女性が近づいてきて頬に触れる。近くに来た時に吹いた風に乗って、いい匂いがした。


「は、はい。どうぞ」


 思わずそう言ってしまった俺。

 クソッ! こんなお色気にやられるなんて!


「ふふふ。ありがとう。さぁ、こっちで一緒に聴きましょ」


 手を引かれ、俺は椅子から立ち上がった。代わりに青年がピアノの前に座る。

 あー。後で叱られる。


「んじゃ、軽くやるか」


 そして、彼は指を優しいタッチで鍵盤の上を流れるように踊らせた。

 曲は『ラ・カンパネラ』だった。

 あの時の衝撃が蘇った。人の心を惹きつけるような、圧倒的カリスマ性のある演奏だ。


 弾き終わると、店中の客やスタッフが惜しみない拍手を送った。その中には、喧嘩していたカップルもいる。こんなのを生で聴いたら、そりゃこうなるな。

 このタイミングで弾く空気の読めなささも、難曲を選ぶセンスも、これを完璧に弾いてしまう実力も、全て持ち合わせた彼。俺にはできないことをやってのけた。


「こういう時、『ブラボー』って言うんだっけ?」

「久しぶりだったから力抜いたし、言われるほどじゃねーよ」

「ふーん。あ、カレから連絡きた。私、もう帰らないと。今日は楽しかったわ。じゃあね、音色(ねいろ)

 

 一緒に来ていた女性は、ブランドのバッグを持っていい匂いを残して店を出ていく。

 その香りにやられそうになったが、そこで俺は彼女が発した名前にハッとした。


 今「音色」って言った。

 こいつ、あの時のガキか!


 驚く俺の目の前を、青年は椅子から立ち上がって元のテーブルに戻るために通り過ぎようとする。


「あの!」

「何?」

洙田(なめた)君、だよね? 洙田音色君」

「……なんで名前知ってんの?」

「前に、君が出たピアノのコンクールを聴きに行ったことがある」

「あー、あの時か。こっちでは一回しか出てないのに、すごい偶然だな。あ、そうだ。オレ今大学で吹奏楽やってて、それで新しい指揮者探してるんだよね。さっきのは前にカテキョしてくれた人でさ、最近結婚した人脈の広い旦那の伝手で候補出してもらったんだけど、なかなか合うのがいなくって。お兄さん、ピアニストでしょ? 音大の知り合いとかでいい人いない?」


 吹奏楽……だと?

 ピアノは辞めたのか? そういえば、さっきあの女性が「オーボエ」とか言ってたな。あんな才能がありながら、どうして? っていうか、もう大学生になったのか! 随分と派手な見た目になったものだ。


「ねぇ。聞いてる? ピアノ科って、指揮科とは交流ないの?」

「っ! あー、えっと、自分、実は指揮科出身で」


 情報の整理がつかなくて黙ってしまった俺に、再度質問してくる彼。それに、素直に回答する。


「マジかよ! じゃあさ、今日の仕事終わりにでも、詳しく話せない? 何時上がり?」


 積極的な青年と俺は流されるまま連絡先を交換し、その日の夜遅くに会う約束をした。

 今の仕事に不満があるわけではないが、やはり指揮者の仕事ができるとなれば別だ。










「ほら、ネロ。家、着いたぞ」


 そして、現在ーー。

 落書きされた顔のまま眠る暴君をおぶって、彼の住むアパートのドアを開ける。

 彼は以前、部屋の中で倒れたことのある。それ以来、俺は合鍵を持つようになった。


「本当に、眠りが深いなぁ」


 ベッドに寝かせ、風邪を引かないように毛布をかけてやる。誰が見ても立派な保護者だ。


 寝に帰るだけのアパートは、大学から一番近い場所にある。ネロは近さだけで選んだため、かなりボロい。もう数メートル先にはオートロックつきの物件があるのに、その距離でさえ億劫だったらしい。

 机の上には大量のスコア。あと、たくさんの資料。それから、島原大学と大三東(おおみさき)高校の部員のそれぞれのことが書かれた手書きのノート。

 こいつは勘違いされやすいが、天才であり努力家だ。

 演奏する曲についての研究を、とことんしてから指導する。自身の練習も、朝練のない大学で自主的にひとりで行っている。それを知っているのは、ほんの僅かな部員と俺だけ。


 初めて会ったあのコンクールの時、俺はネロが落としたピアノバッグを拾った。そして届けに行った楽屋で、彼の祖父母たちとその中身を確認した。

 そこには、びっしりと手書きのメモで埋め尽くされた楽譜と、作曲者についてまとめたノートが入っていた。そのノートには、プロのピアニストの弾き方の違いの特徴を比べた表や、そこから自分が出したい表現についても書かれていた。

 下手くそな字で、英語やイタリア語なども登場するめちゃくちゃなノート。自分だけが解読できれば良いということだろうか。実際、彼の先生も初めて見たそうだ。しかも、その人は別の人物から頼まれてコンクールに出しただけで、ほぼ教えていないという。

 そのバッグの中身を知って、俺は自分の努力の足りなささを痛感し、才能もないことも突きつけられた。俺は、彼に一生追いつけない。


 結局ネロの誘いに乗り、島原大学に指揮者として着任した。そこで一緒にいる時間が多くなると、こいつの人として足りない点が山のように見つかった。

 苦労ばかりの日々で、スカウトを断ればよかったと後悔する毎日だ。

 それでもこうして世話を焼いてしまう俺。どうやらネロの目指す音楽を、共に見たい想いが強いらしい。

 きっと、これからまだまだ彼に振り回される人生なのだろう。

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