2話
貴族に這い上がる為には必要なものが三つある。
一つ目は出身。貴族になるには貴族に生まれなければいけない。この時点で庶民生まれの私は望みが薄い。庶民と貴族は元々住む世界が違うので、いざ貴族に舞い戻っても馴染めない場合も考えられる。
二つ目は人望。私は貴族と密接な関係を結ぶ必要がある。残念なことに私は庶民なので人望、つまりコネクションを持っていない。庶民が貴族とコネを持つ方法として最も主流なのは、自分自身で貴族とお近づきになれるほど大金を稼ぐことだ。大商人と貴族の結婚は珍しくないが、その方法は容易ではない。商売をするにしても農業をするにしても、土地の貸し借りや関税などどんなときにも貴族は顔を出してくる。下賤な庶民如きが自分とお近づきになるなど、本来ならば貴族にとっては屈辱的なことなのだ。その為ありとあらゆる手で阻止してくることが予測できるので、大商人になって貴族と結婚するという手は非常に難しい。その点を考慮して対策を練る必要がある。
最期の三つ目は狡猾さ。普通なら庶民に生まれて貴族になろうだなんて、絵空事の域を出ない。ではこれを現実にするためには、なんでも利用する狡猾さや意地汚さが必要。そしてこの三つ目が、何よりも重要で何よりも私が得意な分野だ。
しかし私は既に解決策を思いついている。これら三つ…正確に言えば三つ目の狡猾さは持ち合わせているので、二つの問題を解決する最も適した手段がある。
それは“光魔法”。庶民は低い身分だが、私は幸いにも金にむしゃぶりつくただの貴族よりよっぽど貴重な光魔法を扱う者として生まれた。出身がなんであろうと問答無用に周りを黙らせることが出来るほど価値ある存在なのだ。これを利用しない手はないだろう。人望を築く際も光魔法を引き合いに出す。商売などしなくても世界にとって重要な存在の私を自分の息子と結婚させたいという家柄はきりがないほどいるだろう。唯一無二の私を手中に収めれば、とてつもない権力を手に入れられる。汗臭く地道に商売などやる必要は無い。
つまり、私の貴族返り咲き作戦は既に成功が約束されているのだ。
「かつて光魔法を私利私欲のために使おうとした人はいたかしら」
狭くて固いベッドに転がりながら、低い天井に問いかけてみる。天井はしゃべらないし、しゃべっても私の質問に対する答えは分かり切っている。『いいえ』だ。そんな人間にそもそも光魔法なんて渡らなかっただろう。
華々しい未来を確信した私は、不敵な笑みを浮かべつつ家を出る。たまに外の空気を吸わなければ鬱々としてしまいそうなほど私の家は狭く暗いのだ。
外に出ると私よりもずっと年下の子たちのはしゃぎ声が聞こえる。甲高く、未だ悪を知らないような純粋な声が耳をつんざく。
私の住む村は住人も少ない小さな村だが、大きな街との距離は近く来訪者もそこそこいる。村人全員というわけではないが、親交に活発でない私もおよそ8割くらいは顔を知っている。
私は暇な日は決まって図書館へ行くために街へ向かう。知識は力だ。この国の歴史や魔法と人の関わり方、光魔法がいかなるものか、貴族のマナー、世界情勢など様々なことを知れる。私がここに通い詰めるきっかけは、私が選ばれし者だと知った両親から渡された一冊の本だった。
記憶を取り戻す数か月前、農作業中にクワで怪我をした母の腕を私は魔法を使って治療した。しかしその治癒力は宮廷付きの医師ですら追いつけないほどの圧巻なものであった。後遺症一つ残さずほんの数刻で閉じたその傷跡を、両親は何も言わずに眺めていた。そしてその数日後、いつも豪快な母が神妙な顔をして一冊の本を手に取りながら「これを隅から隅まで読みなさい」と見つめてきた。それは、光魔法を扱っていた者たちの歴史をまとめた本だった。巷ではほぼ空想上の物語本とされているが、私には登場人物たちが空想のようには思えなかった。何故両親だけはそれを空想と思っていなかったのかは、まだ分からない。
そしてその本から私は「光魔法を扱えるということは隠すべき」という重大な事実を知ることが出来た。光魔法を私と同じ私利私欲のために…しかも私よりももっと大規模で悪質に利用しようとする輩がどんな時代にも表れているからだ。
『それを知らない少女達が、ある時は戦争の引き金に、ある時は実験台に、ある時は処刑の対象に』
その文章を読んだときの衝撃を今でも覚えている。
光属性というくらいだから、優しいものだと思い込んでいたのに実際のところこの魔法は何よりも戦闘向きなのだ。しかも戦闘だけでなく治癒も浄化も尋常じゃなく効果が強い。使い方を絶対に間違えてはいけないのだ。
貰った本のおかげで私は光魔法についてずいぶん詳しくなれた。それと同時に、異国で無知という今の状態は非常に恐ろしいことにも気付けた。そして私は、それから暇さえあれば図書館に寄るようにしていたのだ。
今日もそのつもりで街を訪れる。
村で聞こえた子供の声と違って、そこら中から大人たちの話し声や客を呼ぶ声、値切る声が聞こえる。いつもと変わらぬ喧騒の中、町はずれにある古びた図書館へ足を進めていたときだった。
「うっく……ひっく」
自分でも、何故聞こえたか分からない。それでも子供の押し殺すような泣き声が大人の喧騒から際立って耳に入った。足を止めて横を見ると、店と店の間の薄汚い路地裏でフードとマントをかぶってしゃがみこんでいる子供がいる。
『迷子かしら。まぁいつか誰か声をかけるでしょう』
すると視線に気づいたのか、その子供は顔をこちらに向けた。少年だった。
幼さとあどけなさを残しながらも、目を引くほどの美少年だった。涙が目元で潤んで、ガラス玉のような瞳をさらに光らせている。…だがしかし、私には関係ない。
『ごめんなさいね、私もここで手を差し伸べるほど出来た女じゃないの』
ふいっと顔を背けてまた踏み出す。しかし私は一歩踏み出した足を止め、再度彼の顔…いや、厳密には彼のマントを前で止めている大きなボタンを見る。まさか、と思うがボタンがよく見えないので彼に近づくと、美少年は「うっ」と声を上げて薄汚い裏路地へさらに一歩後ずさりする。
間近で彼のボタン、もとい紋章を見て私は口角を上げる。
「ねぇあなた、どうしたの?」
「ぼ、僕、街に出かけたんだけど迷っちゃって、それで…」
「そうなんだ!じゃあ一緒にパパとママを探してあげるねっ!」
10歳らしく、明るく、無邪気に話しかけて彼の手を取る。
「わたし、メルテナ!あなたの名前は?」
「あ、あぇ、えーと…」
焦る彼を見て確信する。この年では偽名もうまく思いつかないのだろう。
「えーっと…」
「エートって言うの?」
「えっ!?…あっ、そう!そうだよ!」
「そうなのね!じゃあついてきてエート!」
彼を路地裏から引きずり出して、街のど真ん中を歩いていく。私は愉快で笑いが止まらない。
彼のマントについている紋章は、この国の王家のみ着用が許される紋章。第一王子が私と同い年という情報は入ってきていたが、まさかこんなところで出会えるなんて。なんて運がいい。少しでも王家と関係を持つために、彼と仲良くしなければならない。
以前、王家の紋章を一度本で見たことがあったから気が付けた。知識が味方した。運が味方した。
「うふふ…」
「メルテナ、何を笑ってるの?」
「なんだか嬉しくて」
第一王子様、私を懇意にしてくださいませ。
私は呪文のように心の中でそう唱えた。