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1話

この世の中には様々な悪役が存在する。必要悪だとか言って誰かを悪にまつり上げることもあるし、進んで自分から引き受ける人もいる。もしくは周囲に誤解された結果悪人であると勘違いされてしまったり、復讐なんていう大層な理由のせいでそうならざるを得なかったり、十悪人十色である。

しかし彼らと私には、決定的な違いがある。悪役である彼らは根は善人である場合が多く、徐々に信頼を取り戻し名誉回復を図ることが可能だということだ。だが、私はそうではない。


彼らは“善人”だったのかもしれないが、私は純粋に“悪人”である。親から愛情を注がれなかったとか、婚約破棄されたとか、そんなことはまるでなくただワガママに育っただけだ。


しかし、そんな傍若無人な悪役令嬢が…

この私が今、どういうわけか平民の10歳の少女になってしまったのだ。

話は前世まで遡る。

以前の私は全く人に褒められたものではなかったと自覚している。私は幸いにも国の中で有数の権力を持つ家柄の生まれで、王子の婚約者という恵まれすぎているほどの地位だった。

けれども残念なことに、その家柄に見合ったようには真っすぐ育たなかった。前世で10歳の時…つまり転生先での私と同い年の頃には、気に入らないことがあれば使用人には当たり散らし、婚約者である王子に近づく女が居れば家柄の権力を使って執拗にいじめた。特定の人だけお茶会に誘わないとか、話しかけられても鼻で笑い返すとか、大人の貴族間では全く日常茶飯事レベルの嫌がらせであったがそんなことを齢10という幼齢で習得していることが問題である。しかしそれを誰かに咎められることもなく、すくすくと歪んだ性格のまま育った。

18歳で社交デビューする頃には、それはそれは歴代稀に見る悪女へと成り果てていた。真っ赤な髪で周囲を威圧するように靡かせ、誰よりも美しい黒いドレスを身にまとった私には敵なんていなかった。

地位も権力も美貌も教養も全て兼ね備えていた。…人格以外は。


「パーティーに黒いドレスなんて前代未聞だわ」

「見てよあの赤い髪。年々血のように染まっていっている」

「しっ!あの方の悪口を言ってはダメよ。木も草も、太陽だって話を聞いているんだから」


私がヒールを一つ鳴らして舞踏館の中央に進むごとに、恐れの声や軽蔑の声がヒソヒソと上がる。けれども私は10歳の頃のように、悪口の犯人探しなんてするつもりはない。

どんなことを言われても、私の中に沸く自己肯定感の材料になるだけだった。周囲の恐怖の底に渦巻く羨望が気持ちよくてたまらない。

私は、心底私のことを嫌な女だと思った。


目の前の婚約者である王子が、シャンデリアに照り返された私の赤い髪を見て眩しそうに眉間に皺を寄せる。

いいえ、きっと彼は暗闇であっても顔を歪ませたかもしれない。


「お待ち申し上げておりました、公爵令嬢殿」


彼は一度だって私の名を呼んだことが無い。それはそうだ、私だって私みたいな女が婚約者なら嫌で仕方がない。

でもそろそろ彼が大人になるべきだ。私はこの地位の為に、自身の人格をカバーするに相応しい学力と教養を兼ね備えている。私以外が彼の婚約者になったとしても、将来王妃として雑務をこなせる者は居ない。むしろ新たに婚約者を迎えたとて今から妃教育なんて遅すぎるのだ。


「お出迎え感謝いたします、第一王子」


王子は歪んでいるであろう顔を下に向けたまま、私に跪く。少しくらい顔を上げて愛の言葉でも呟けばいいのに。まぁ、そんなものは一切求めていないが。

豪華絢爛なダンスホールの真ん中で卑しい貴族共に囲まれながら、大国の第一王子に手を取られる。眉目秀麗な彼のダンスシーンを見たくないのか、周囲の何人かの下位貴族令嬢が顔を反らす。馬鹿ね、これからきっと何十年とこの国を代表する夫婦になるというのに。こんなところで目を離しても何の意味も無いのに。

下位連中を横目に、慣れた手つきで何万回と繰り返したお辞儀をする。お辞儀だって、ここにいる誰にも負けてはいない。私の教養に抜かりはない。

ほどなくして上品な演奏がホール中を包む。美しい調べと彼の足取りに合わせ、少し退屈そうに踊って見せる。


あぁ、私の人生こうでなくちゃ。


どこからともなく感じる恨めしい視線に優越感を覚え、僅かに口角を上げた。

私はこれからも、この醜悪で煌びやかな世界で舞い続けるのだろう。




…そう、確信していた。


しかし、そんなおごり高ぶった考えはその日のうちに消されることとなる。

舞踏会帰り、私の馬車は何者かに襲われた。左胸の痛みも忘れてついに薄れゆく意識の中でさえ、雪の上で広がる私の血はさぞ美しいだろうと考えていた。頭の隅で犯人探しをしてみたけれど心当たりが多すぎて諦めたからだ。自分に非があることは火を見るよりも明らかなので、意外にも復讐心は湧かなかった。

それが、私の悪人としての最期。

最期まで悪として華々しく散った……はずだったのに。


「…どう考えても自業自得ね」


ミチッ、と布のように固いパンを引きちぎる。

いや、シルクのベッドシーツの方が100倍は柔らかい。昔の豪華な記憶を思い出しながら食べる石のようなパンは最悪だった。


「んもう、この子ったらまた独り言言って!」

「ははは、おしゃべりなのは良いことじゃないか」

「ほら、早く食べなさい!今日こそは全部土を耕すんだから、手伝ってもらわなきゃ」


そう言うと女はドアの横に立てかけてあった桑を持って意気揚々と家を出る。


「ゆっくりでいいから」


彼女とは対称的に、穏やかな男はゆったりと立ち上がる。まだパンを咀嚼する私をにっこりと見つめた後に外へ出ていった。


前世に住んでいた私の部屋の半分にも満たない家……というよりも小屋。

薄汚れた木製の壁に、擦れ合ったときにザリッと音を立てる質の悪い服。何もかもが劣悪な環境、つまり平民に私は転生したようだ。


噛み切らないパンを二つに力強く千切り、味がついているのかすら怪しいスープを飲み干す。

千切ったパンを男と女の皿の上に乗せ「こんなもの私は食べられないわ」と席を立つ。私が食べなくてもこの二人が消費するだろう。

小屋の中にあるさらに狭い自室に移動して、若干の異臭が放たれるベッドに腰掛ける。木の軋む音が聞こえないほど大きなため息を吐く。


つい先日まで少し大人しい平凡な庶民だった私は、ボロの家の抜けた床に足を取られ思いっきり頭を打った。そしてどういう訳か、前世の記憶を取り戻した。

ただの頭を打ったことによる妄想なのかもしれないと自身を疑ったが、どうにも前世で身に着けた所作や礼法はこの国の上流階級御用達のマナーらしい。社会貢献活動の為にこの街を訪れた貴族にお辞儀やダンスを披露してやると「どこで覚えたんだ?」と素直に感心された。

現在の両親が私に教えられるわけもないし、10歳にもなって読み書きも出来なかったので本で知見を得たということもない。しかし、今まで出来なかったその読み書きが前世の記憶のおかげかすんなり出来るようにもなったし、何より当時のような思考回路で物事を思案することが出来るようになった。

高度教育を受けた知能が10歳の体に乗り移ったならば本来は喜ばしいことではあるが、だいぶひねくれた脳みそであるので、この体の両親には申し訳ないが大変残念なことである。いっそ乗り移るなら愛嬌のある少女が良かったろうに。


この脳みそで考えてみてわかったことがいくつかある。

まず一つ目は、この世界は私の住んでいた世界とは違うことだ。私の住む街を訪れた旅人から見せてもらった世界地図は、まるで面妖で見たことのない地形だった。かつての私が住んでいた世界有数の大国家の名も、この世には存在しないと一蹴される。しかし、私の前世の知識はここでも応用できる部分が多いらしい。これは幸運だ。

そして二つ目、魔法が存在している。前世の記憶が無い時期から魔法は見ていたのだが、記憶が戻った後に改めて魔法に驚いた。本の中でしか存在しない作り物を目の当たりにしたのだから当然のことだ。しかし、魔法に面食らっている私は母から「何を突然驚いているの?変な子だね」と大笑いされたのだから不甲斐ない。

最後に三つ目。私が転生したこの家は貧しい農民の家で、今の私はメルテナ・ゼークレンというご立派なお名前がついている。そしてこれは両親しか気付いていないようだが、どうやら私は“光魔法”と呼ばれる歴史上でもごく一部の人間しか使えない魔法を使うことが出来るようだ。見た目も大きく変わり、輝くような銀髪と青い大きな目、平熱なのに何故かいつもほんわりと赤い頬と唇。まるで威厳や威圧を感じない。こんな顔、もし私以外の誰かがこの体に住み着いていたら周囲から舐められていた。

自室のドア脇の器に溜まった、毎朝顔を洗うために貼ってある水に映る顔を眺めながら、目をキッと吊り上げる。舐められないために。


「メル!食べ終わったのなら早く手伝っておくれ!…変顔なんかしてどうしたんだい?」


畑から母が帰ってきたのだろうか。突然ドアを開けた母の言葉に、目を吊り上げていた私は顔をしかめる。

この、昔の私ほどではないけれど年相応にかわいらしい朗らかな顔を変顔ですって?


「今手伝うわ」

「あはは、拗ねないでよ!メルはかわいい私の娘よ!」


豪快な母に続いてしぶしぶ家を出る。この私が庶民落ちとは情けないけれど、今はそんなことを言っても仕方がない。

いつか必ず貴族に返り咲くためにも、この家の支配者に従うのが賢明だ。


この世界での私の目的は、かつてのような華々しい地位を手に入れること。

ふざけた異世界での私の新生活は、どうにも前途多難である。

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