62話裏
夜が明け、日が上ってから、静かに抜け出す。
外に出ると目を閉じたくなる位に眩しくて。
今日も良い天気なんだと感じる。
だけど、それが嬉しいとは思わない。嬉しいとは感じられない。嬉しいとは言えなくなっている。
本の少し日に当たるだけで肌がジリジリと焼ける様に感じてしまう。それを嫌に思う。
最近、もう直ぐ、本格的に遣ってくる夏の暑さの気配を感じる様になった。
良い方向に考えるのなら、夜が寒くなくなった。その分だけ、少し過ごし易くなったと思う。
飽く迄も、夜に限っては。
昼間は日差しの下に居ると暖かいを通り越して、身体が可笑しくなってしまいそうになる。
ちょっと、ぼんやりとしているだけで、目の前がボヤけて見えたり、クラクラとしてくる。
それが危険な事だと、何と無く感じる。
特に痛いとか、苦しい訳じゃないけど。
だから、あまり昼間は動かない様にしている。
昼間は動かず、じっと陰の中で大人しくする。
それはまるで、鼠みたいで。でも、ある意味では間違いだとは思わないから笑うしかない。
笑うしかないけど。時々、泣きたくもなる。
泣いたって何も変わらないし、どうにかなるって訳じゃないから意味が無いけど。
そう思う事が有る。
ただ、それだけの話。
それでも、偶に考えてしまう事が有る。
不意に、「どうして?」と訊きたい、と。
でも、それを誰に聞けば正しい答えが返るのか。それも判らない。だから訊けもしない。
本当に、ただ考えるだけ。
考えるだけだから。余計に嫌な気持ちになる。
そういう日は、何もかもが嫌になる。
目を閉じて、「実は全部悪い夢だったら……」と意味の無い希望を持ってしまう。
そんな弱い自分自身でさえも嫌になる。
それでも、何も変わらない。
世界は今日も、助けてはくれないのだから。
「………………お腹、空いたなぁ……」
お腹が鳴る力さえ、残ってはいない気がする。
お腹が減り過ぎてて、全然、力が出ない。
昨日よりも身体が重い。痩せてる筈なのに重い。痩せたいという女の人の気持ちが判らない。それは食べる必要すら無い位に満たされているからだって言って遣りたくなる。寧ろ、要らないのなら頂戴。食べられるのなら、好き嫌いはしないから。
そんな事を考えていたら、お腹が無駄に空いた。そう思わずには居られない。
でも、それは今はどうだっていい。兎に角、早く何か食べる物を手に入れないと。
そうしないと本当に死んじゃう。
そうしないと……また独りぼっちになっちゃう。それだけは絶対に嫌。あんな思いはしたくない。
だから、何処かで必ず食べる物を手に入れる。
だけど、お金は無い。
子供だから働く事も出来無い。
だから、盗むしかない。
それが悪い事なんだって判ってる。判ってるけど誰かが食べる物をくれる訳じゃない。
「可哀想に……」って言ってるのに。本の少しも食べる物をくれたりはしない。
近寄ったら追い払う癖に。
大人は皆、嘘吐きだ。
そう、どうしようもなく、嘘吐きなんだ。
「──っ、~~~っ……」
嫌な事を思い出しそうだったから、振り払う様に頭を振って忘れる。思い出したくはない。
考えたくもない。
そんな事よりも、今日は何を狙おうかな。
お店の人も簡単には盗まれない様にしてきてる。だから、食べ物を盗ったら直ぐに走って逃げられる場所にしないといけない。
捕まったら終わりだから。
そんな事を考えながら歩いていたら、いい匂いがしてきた。その匂いに誘われる様に辿り着いたのは通りの角に有るパン屋さん。
……思い出したくはない事なのに。
その匂いに引っ張られて、思い出してしまう。
お父さんと、お母さんと一緒に食べていたパン。楽しく、笑いながら食べた、美味しかったパン。
もう二度と戻らない、幸せだった日々を。
その全てを失っていった日々を。
「………………っ……」
気付いたら地面を見詰め──泣いていた。
止めようとすれば、鼻が鳴り、息苦しくなる。
拭いても拭いても頬っぺたを涙が流れ落ちてく。両手を強く握っていないと何かに負ける気がして。声を出してしまいそうになる。
大人は皆、嘘吐きだ。
そう自分に言い聞かせて、歯を食い縛る。
「大人を頼るな、信じるな、裏切られるぞ!」と自分に言い聞かせる様に心の中で叫ぶ。
そう遣って落ち着き──今日の狙う物を決めた。
お店の人から見えない様に気を付けながら、箱に入れてあるパンを見る。
並んでいる沢山のパン。どれも美味しそうで全部食べてみたくなる。そんな叶わない贅沢を想像して思わず涎が出てしまいそうになる。
それ位、美味しそうだ。
そんな並んだパンの中で一番安い物を探す。
食べる為には盗むしかない。だけど、人から物を盗む事が悪い事なのは知ってる。判ってる。
だから、せめて。
盗むにしても、一番安い物にする。
でも、何を言っても物を盗む事は同じ。だから、高いも安いも関係無いと判ってる。だけど。
好きでしてる訳じゃない。
遣りたくて遣ってる訳じゃない。
こうしないと生きてはいけないから。
それでも、悪い事をする自分を赦したくはない。だから、本の少しでも自分に厳しくする。
自分勝手な言い訳なんだって判ってるけど。
「………………うん、アレにしよう」
一番安いパン。その中の一つに狙いを定める。
お客さんがパンを買って、お金を払って帰った。そして、お店の人が後ろを向いた。その一瞬。
その隙を狙って猫が走る様に身体を低く、物音を立てない様にしながら、全力で駆け出す。
一直線に走り、狙ったパンに手を伸ばす。
しっかりと掴み取ったら止まらずに逃げる。
──逃げられる筈だった。
だけど、足が思う様に動かなかった。
上手く止まれずに身体が木箱に打付かってしまい音が出てしまった。
そして、お店の人に気付かれて──捕まった。
悪い事をしたら、どうなるのか。
それを知らない訳じゃない。
それでも、このパンだけは離さない。
何が有っても。何をされても。絶対に。
そんな風に思っていた時だった。
凄く綺麗で格好良い男の人が現れた。
昔、お母さんに話して貰った御話の中の王子様。そう思ってしまう位に。
そして、よく判らないけど。
その人に連れて行かれる事になった。
実際に捕まえているのは綺麗なエルフとズゥマの女の人だけど。パンを取り上げようとはしない。
それだけなんだけど……少しだけ、安心する。
上手く行けば、このパンは手に入る筈。
だって、こんなに汚い格好をした私が触った物を取り上げてまで食べようとはしないと思う。お店のパンを全部買っちゃう様な人達なんだし。
だから、こうして離さなかった。
後は……痛い位なら、我慢出来る。
そんな風に思っていた中で、連れて来られたのは人気の無い公園。其処に有る長椅子に座らされて、両隣には捕まえていた二人も座る。
そして正面には、あの男の人が立つ。
「逃がす気は無いから」と言われているみたいで少しだけ不安になる。
だって、この人達の事を何も知らないから。
「さてと……取り敢えず、自己紹介からかな
俺はアーヴェルト、君の名前は?」
「………………レベッカ」
「レベッカか、良い名前だね」
そう言いながらアーヴェルトと名乗った男の人は私の頭を優しく撫でる。
普段なら払い除けている筈の手が。どうしてか、温かくて、少し擽ったいけど……心地好い。
でも、優しくされたって油断はしない。
大人じゃないけど……誰だって嘘は吐くから。
アーヴェルトは私の前に屈んで、優しく微笑む。その目に私が映っている。
鏡を見ているみたいで。
だけど、見たくはない。嫌な自分の姿なんて。
だから、目を逸らそうとした。
その時だった。
ふと、お母さんの顔が重なった。
それと同時に思い出す。
悪い事をした時、お母さんに言われた事を。
「………………パン、盗んで……御免なさい……」
「うん、ちゃんと判ってるね、偉い偉い」
唇から。心から。自然と出た言葉。
どうしてなのかは判らないけど。この人にだけは嫌われたくないって思って。
こんな嫌な自分を見て欲しくはなくて。
そんな私を真っ直ぐに見て──抱き締める。
叱られて当然。叩かれても可笑しくない。
それなのに。
どうして貴男は誉めるの?。赦してくれるの?。優しくするの?。どうして?。
そんな気持ちも全部抱き締めるみたいに。
本当に、お母さんが其処に居るみたいで。
滲む目から涙が。震える唇から声が溢れ出す。
其処で「我慢しなくてもいいよ」と言われたら。もう我慢なんて出来無かった。
小さな自分の心と身体じゃあ、抱え切れない程に大きくなっていた色んな気持ちが零れ出す。
一番零れたら、もう止められなかった。
その腕の中で、忘れていた泣き方を思い出した。
暫く泣いて。落ち着いてから、全部話した。
冒険者のお父さんとお母さんは出掛けて行って、そのまま帰って来ないという事。
それから暫くして住んでいた家を追い出されて、空き家を見付けて住んでいる事。
冒険者という仕事が凄く危険だと知っている事。だから、多分……亡くなったという事。要らないと捨てられたとは思いたくはなかった事。
そして──私と同じ娘。シルファの事を。
そのシルファが数日前から元気が無くなってて、今朝には息苦しそうで起き上がる事も出来無くて、病気かもしれないと思った事。
だけど、どんな病気かも判らないし、どんな薬が必要なのかも判らない事。
誰にも助けを求められなかった事。
何よりも、シルファを助けて欲しいという事を。死なせたくはないという事を。
その為に私達が住んでいる空き家に案内をして、シルファの事を見て貰っている。
「……肺炎になってるけど、大丈夫、治るよ」
「本当にっ?!」
「ああ、でも、此処だと色々と駄目だから、場所を移さないと」
「で、でも、私達、お金が……っ?!」
「そんな事は心配はしなくてもいい、任せとけ」
そう笑顔で言って私の頭を撫でると綺麗なマントみたいな物を取り出して、シルファの身体を包んで軽々と抱き上げた。
私も同じ物で身体を包まれ、エルフの女性に抱き上げられた。
「今は私で我慢してね?」と言われた時、物凄く恥ずかしくなった。どうしてなのかは判らない。
そのまま私達は運ばれて、街で一番立派で大きな宿に連れて来られて。見た事も無い豪華な部屋の、凄く大きくて綺麗なベッドにシルファは寝かされて彼が安心させる様に笑顔でシルファに話し掛けた。
そして、シルファに向けた彼の両手が光る。
それが魔法だという事は判る。
どんな魔法なのかは判らない。私は魔法に関して詳しくは知らないから。
でも、お母さんが昔、私の怪我を治してくれた。その時に見た優しくて温かい輝きと同じだった。
だから、大丈夫だと思った。
輝きが消え、彼がシルファに話し掛ける。
「シルファ、気分はどう?」
「はい…………もう全然苦しく有りません」
「──っ!、シルファーーーっ!!」
「きゃあっ!?」
その言葉を疑う理由は無かった。
身体を起こしたシルファの顔色が全然違ったし、あんなにも苦しそうだったのが嘘みたい。
抱き付いて感じるシルファの温もりも、鼓動も。元気が無くなる前のシルファと同じ様に──違う。前よりも元気な気がする。
「アルト様?」
「うん、もう大丈夫、だから後は宜しくね」
「はい、御任せ下さい」
「「──え?、えぇええっ!?」」
彼が女性と話したと思ったら、シルファと一緒に両腕に抱えられて連れて行かれる。
「助けてっ!」と叫ぼうとしたら、彼等が揃って笑顔で見送る様に手を振っていた。
まるで、「行ってらっしゃい」と言う様に。




