62話 窃盗
ニュエの月、24日。
一昨日、ユー姉さんと結婚するミロード子爵家の当主・レブノフさんとの顔合わせは無事に終了。
本当に何の問題も有りませんでした。
レブノフさんはユー姉さんの二つ上で、見た目は優しそうな長身細身の方ですが、実家の御手伝いで鍛えられた様で逞しい身体付きでした。何で判るかというと昨夜は親睦を深める為に一緒に御風呂に。フロイドさんやマステディオさんも一蓮托生です。女性陣は女性陣で楽しそうでした。
マステディオさんとは同い年という事も有ってか御互いに気安そうなのも好材料でしょう。
地味にフロイドさんが長兄ポジションで二人との関係も義兄弟の様に見えました。
尚、俺の方が義兄弟なのに扱いが格上な件。
仕方が無い事なのは判っています。判っていてもそれはそれ、これはこれ。微妙な心境でした。
ミロード子爵家の方々も良い印象でしたし、実際人柄に問題は無さそうです。商人としての嗅覚には警戒する必要は有るでしょうが。其処は此方等から上手く話を振り、主導権を握れば大丈夫でしょう。ユー姉さんも居ますからね。
……いや、寧ろ、ユー姉さんを敵に回すと色々と厄介かもしれませんから結局は俺が折れるのかも。平穏な日常って本当に難しい事ですよね。
まあ、それはそれとして。
ユー姉さんにとって義父になるドルバノフさんの妻・ジェーナさんはケーンブーゼの出身だそうで。家庭内に両国間に有る偏見や差別意識、敵意は無いというのは良い意味での予想外でした。
「商人にとって一番大事なのは信頼だ」と豪快に笑いながら言い切れるドルバノフさんは信頼出来る商人だと個人的には思います。
敵に回したら面倒な相手でしょうけどね。
そんな商人御夫妻が相手ですからね。折角の機会という事で醤油と味噌を振る舞いました。
試食した直後のドルバノフさんとジェーナさんの食い付き振りには座っていた椅子が飛び退いた程。ええ、物理的にです。
簡単に説明し、後の事はフロイドさんに丸投げ。アンも上手く押し付けていました。
この辺りは籍抜きしていない弊害ですね。いや、ガーガルガン子爵の先見の明でしょう。結果として丁度良い繋ぎ役に成っていますから。
主人夫妻であり妹夫妻の為、実家の為。
頑張って下さい。応援はしています。
ユー姉さんが「良いの?」と視線を向けて訊いてきましたけど、全く構いません。寧ろ、大歓迎。
調味料等の商品の普及は食文化を豊かにします。そういう意味では俺にとっても利になりますから。結果として食文化が発展し、色んな料理を楽しめる様に為りますからね。食は大事です。
因みに、ユー姉さんの結婚は三ヶ月後。その為、三ヶ月後には再び来る事になります。
ええ、その時は代理ではなく、家族としてです。その為、拒否権は有りません。断りはしませんが。面倒臭いのは口には出せません。だって、女性陣は不思議と結婚式とか好きですから。
……まあ、実は“自分も幸せな”と、前に付くのかもしれませんけどね。
余計な事は言いません。口は災いの元なので。俺は空気を読める男ですから。
そんなこんなが有って──現在。俺達はミロード子爵家を後にして予定通りにペルメーラ子爵家へと向かう途中です。
ペルメーラ子爵家は法衣貴族の為、王都ドマイに在住。だから必然的に王都に行く事になります。
出来る事なら余計な来客が居ない事を願います。
それから、レブノフさんもパーティーに新加入。顔繋ぎという意味でしょう。
然り気無く、ユー姉さんが提案しましたからね。姉上も「流石ね」と苦笑していました。
表向きには夫を立てつつ、裏では揺るがぬ主柱。早くも母上を想起させます。この先、百年程ならばミロード子爵家は安泰でしょう。
多分、“中興の祖”とか後世では呼ばれるのだと思います。夫婦でね。
まあ、そういう意味ではアイリーン様に続く形で姉上達もアイドリー子爵家の歴史に名を刻むだろう事は間違い有りません。
ええ、俺一人だけ、なんて嫌なので道連れです。可愛い弟からの御願いです。
それは兎も角として。今居るのはボボチチの街。王都の二つ手前になり、王都に次ぐ規模。その為、人口も各領都よりも多い。
それに加えて、実はボボチチの方が東西の流通網最大の交差地になる為、人も物も出入りが桁違い。田舎育ちの俺には少々厳しい場所です。
アンも似た感じで人酔いしています。
他の元気な皆を尊敬します。
「貴男の場合は単に億劫なだけでしょう?」
「そうとも言いますね」
「有難う御座います」と言いながら姉上の手から木杯を受け取り、膝枕中のアンを起こす。
気付け薬では有りませんけど、ハーブティーってリラックス効果が高いですからね。特に五感の強いズゥマの人達には効果も高く出ます。
「貴男のそういう所って御父様っぽいわよね」と揶揄う様に言う姉上。
「そういう姉上もですよ」とチラッと向こう側で話しているマステディオさんを見て視線を促せば、姉上が顔を赤くします。「煩いわね」と睨み付ける姉上ですが恐くは有りません。可愛いだけです。
実姉ではなく従姉だったら俺は貴女を他の男には渡さなかったかもしれませんね。
──とか考えていたらアンにキスされました。
「それは駄目です!」と抗議する眼差しに深めのキスを返して答えにする。
飽く迄も夫婦のコミュニケーションです。
だから姉上、呆れた様な目は止めて下さい。
「“様な”ではなく、呆れてるのよ」
そう言いながらアンの頭を撫でる。
「その調子なら大丈夫ね」と言われた気がして、俺もアンも少し照れてしまいます。ええ、流れでは人前でもキス出来ますが、改まっては無理です。
今のはアンが嫉妬した事も有りましたからね。
アンが回復した事も有り、改めて街に出ます。
勿論、夫婦毎に分かれて、なのは今更な話です。流石にね、この人数で固まってたら目立ちますし、物凄く動き難いですから。
他所は他所、宅は宅。今は観光を楽しみます。
アン自身、街ぶらを楽しみにしてはいましたから気分が良くなれば子供の様に笑顔に。
まあ、俺達も十歳・九歳の子供なんですけどね。彼是と仕事をしたりしていると忘れてしまいます。
…………ハッ!。まさか、そうなる様にと巧妙に仕向けられていた罠かっ!?。──って、そんな訳は有りませんよね。
「────ォラッ!、逃げんじゃねえっ!」
夫婦水入らずの和やかな観光ムードに、イベントフラグが立った様な怒声が響きました。
周囲の人達が注視している、という様子は無い。だとすれば、日常茶飯事と判断出来る。
ただ、此処の人達にはそうでも、俺達には違う。現に冷静に情報収集しながら考えている様に思える俺自身、足は動いている。
事件は直ぐ近くで起きているのだから。
声のした場所は街の中心から南北に分断する様に東西に真っ直ぐに伸びる大通りから横の路地に入る角を曲がって直ぐの所に有った露店の一つ。鼻腔を芳ばしい匂いで刺激するパン屋が事件現場の様だ。
店先で四十代半ばから上だろうヒュームの男性が五歳前後の子供を捕まえている姿が有った。
それを見て反射的に動こうとしたズゥマの兄妹を軽く威圧する事で制止。騒ぐと目立ちますから。
後ろ手に「待機してて」と伝え、進み出る。
「すみません、何やら大きな声が聞こえたのですがどうされたのですか?」
「どうもこうもねぇよ、盗みだよ」
「……失礼ですが、よく有る事なのですか?」
「は?……ああ、まあ、珍しくはねぇな
大きな被害って訳じゃねぇが、毎日何処かの露店で遣られてるみたいだからな
宅も何回か遣られたんで警戒してたら、これだ」
流石は商人と言うべきか。一言で俺が余所者だと理解して質問の意図を汲んでくれた。
そして、捕まえている子供の襟首を持ち、軽々と俺の目の前でぶら下げて見せる。
問題は、その子供の方だ。
ワンピースだと言えば、ワンピースなのだろう。しかし、実際には布の袋に穴を開けて被っている。そう言われれば納得出来る様な格好で。汚れ解れは当然ながら不衛生な事は漂う臭いで判る。
ボロボロの服に、ボサボサの髪、カサカサの肌。満足の行く量は勿論、碌な物を食べてはいないのが一目見て判る程に血色も悪い。
見るからに浮浪者。どう見ても孤児。頼る相手も助けてくれる相手も居ないのだろう。
髪の隙間から覗く耳からエルフである事は判る。その為、背後のティアの気配が少々剣呑だ。
ただ、本人も悪い事をしているという自覚は有るみたいで言い訳や暴言の類いは無い。
しかし、店から盗んだだろうパンを両手で抱える姿からは「これだけは絶対に手離さない」といった嫌な意味での覚悟を感じる。
ただ同時に誰かの気配も窺わせる。
(はぁ……やっぱり、何かしら起きるんだな……)
そう内心では溜め息を吐きながらも。俺の中では既に「面倒だから関わらない」という選択肢は無い状態だから苦笑するしかない。
これも縁と言えば縁だ。
だから、見捨てるという事は出来無い。
まあ、それは俺に限った事じゃないんだけどね。堪えているとは言え、未だ臨戦態勢だし。
最近は自分達の実力が判ってきたから、無意識に力強くで解決しようとする節が見えますから。
自重・自制を覚えて貰う、という意味での指導も怠る訳にはいきません。
…………何でですかね。背後から「その前に先ず御自身が御自重を覚えて下さい」と言っている様なメイド長の視線を感じるのは。
「御店主、其処のパンを全て貰えますか?」
「あ?、いきなり何を──」
「今日は完売、という事で如何です?」
そう笑顔で言いながら、店主の側に。
周囲には聞こえない様に距離を詰める。
密談では有りませんが、配慮は必要です。
そう見せる事も交渉には大事だったりします。
「見た所、盗まれたのは一番安い物です
それはつまり、少なくとも、この子にも盗みをする罪悪感は有る、という証拠です
しかし、見ての通り、食べる物に困窮しています
それが判っているから、貴男や他の御店の方々も強くは出られず、けれど、被害も見過ごせない
だから、困っているのでしょう?」
「──っ!!」
「抑、そう簡単には問題は解決しませんよね?
この子だけが犯人と決まった訳では有りませんから
ですが、一人は確実に減ります
それに──騒ぎを大きくしては評判に関わるのでは有りませんか?」
「…………判った、此奴はアンタの好きにしな
此方も売上が出れば有難いからな」
「有難う御座います」
物判りの良い店主と笑顔で握手。
商談成立。少々、色を付けて代金を渡し、パンは魔法の道具袋に収納。
そして、盗みを働いたエルフの子供は、ティアとアンに確保される形で大人しくしています。
例のパンは抱き締めたままですけどね。
抵抗する力も意思も無い事は助かります。下手に暴れられると怪我をさせてしまうので。
──とか考えていると、フロイドさんが側に。
「……あの子、どうする気だ、アルト様?」
「取り敢えずは場所を移そうか
あの子から事情を聞かないといけないしね」
「判った……けど、相変わらず、何か起こるな」
「俺が悪いみたいに言わないでくれない?」
「巻き込まれるって意味でだ」
「それは否定出来無いな~」
「付き合う身としては否定して欲しいがな」
「真っ先に手を出そうとしてた癖に」
「ぅぐっ……そ、それはその……つい、だな……」
「そんな兄の背中を見て育てば、妹も似る訳だ」
「くっ……何も言い返せねぇ……」
フロイドさんを揶揄い、ストレス発散。本人には言えませんけどね。




