58話 投網
「クライスト卿、此の度は私共の要請に対しまして迅速に御応え頂き、誠に有難う御座います」
そう言って丁寧に頭を下げる姉上に出迎えられ、俺も自分と姉上の立場を考えて対応します。
ただ、何と言いますか……身体が痒くなります。鳥肌が立つのとは違いますが、身震いします。
まあ、姉上にしても同じだと思いますけどね。
だって、俺も自分で遣ってて寒いですもん。
そんな個人的な事情は別にして。
ややこしい話ですが、当主であるアイリーン様の次にアイドリー家内の地位が高いのが姉上。
マステディオさんは直系でも戸籍を持たない為、貴族としては扱われませんから。
結果、正妻であり戸籍持ちの姉上が二番手に。
その為、こういう場合には姉上が前に出る訳で。マステディオさんは一歩下がった位置に控える。
まあ、姉上の場合、その男前な中身が有るからか滅茶苦茶似合うんですけどね。
だって、マステディオさんの側室になった以前は義姉だった四人から本当に慕われていますから。
こう言うのも何ですが。多分、マステディオさん以上に姉上の方に彼女達は心酔していますね。
明らかに“御姉様”感が漂っていますから。
尤も、それはそれで安心出来る好材料ですけど。少なくとも姉上を害そうとは考えないでしょうし、仲が悪くなる気はしませんから。
それはそれとして。メィヴェの月、25日。
姉上からの要請により現地へ。俺にフォルテ達、メレアさん達のレギュラー八人です。
流石に新人さん達を同行させるのは不安なので。実力云々ではなく、俺達の精神的に。
「姉上に畏まられると違和感が凄いです」
「それは御互い様よ
まあ、貴男の場合は頑張ってる感が凄いわね」
「実際に頑張って作ってますからね」
そんな、他人には聞かせられない姉弟の会話を。フォルテ達は苦笑しながら聞き流している。
気を遣うなら止めれば良いのだけれど。御互いに愚痴れる相手は限られますからね。こういう機会を無視する事は出来ません。
尚、マステディオさんやアイドリー家の同行者は居ません。まあ、そうだから、なんですけど。
それから、伴侶ではなく、社会に対しての愚痴。だから余計に聞かせられません。
メレアさん達はクライスト伯爵家寄りですから、聞かれても大丈夫。他言したりはしません。
立場上、如何に実の姉弟でも、今は他家な訳で。その辺りへの配慮は欠かせませんから。
それはさて置き。現在、俺達が居るのは姉上達が生活するアイドリー家の別邸の有る町、リチャス。
人口は四百人程の田舎町──という話でしたが、件のコール芋の栽培事業で千人越えに。
シェルポ等に比べると少なく思えるでしょうが、それは仕方が無い事。
コール芋の栽培が出来る場所は限られている為、雇用も限られてしまう訳ですから。
それでも倍以上には増加していますから。十分に経済効果は有ると言えます。
因みに、聞いた話によるとクライスト家の別邸が特殊で、大体は町に有るんだそうです。
クライスト家の場合、その成り立ち等に伴う為、ああいった形にしているのだという事もね。
姉上は俺達程には野性的では有りません。だから小規模な田舎町みたいな位が丁度良いそうです。
「こういった生活も嫌いじゃないんだけどね」と俺達の普段の生活を見て苦笑していましたから。
兄上達程ではないにしても、姉上も貴族の娘だと思わされたのは懐かしい話です。
そんな姉上に案内されている場所は町ではなく、町を出て南東へ。
北に聳えるモイキャ山でも有りません。
街道からも外れた未開地です。
「確か、川の水が濁ってるんでしたよね?」
「ええ、一応は調査をして貰って水自体に悪影響が出ている様子は無いそうなのだけれど……
大雨も降っていないのに水が濁る事なんてないから町の人達も気味悪がってるし、不安そうなの
だからせめて、そうなる理由を突き止めたくてね」
「こういった事例って有るんですか?」
「十数年に一度、みたいな感じの話が有るみたいね
ただ、同じ場所で起きている訳でもないのよ」
「偶発的な現象、という事ですか……」
「その辺りも含めて、貴男に依頼したのよ
多分、既存の概念や知識だけだと真相に辿り着ける可能性は無いに等しいでしょうから
今の所、特には害は無いし、暫くすれば川の状態も元に戻るみたいだけど、後々の事を考えるのなら、解明が出来るのなら、という事よ」
「そうなる理由が明確なら、安心出来ますからね」
何だかんだ言っても、やっぱり姉上も貴族です。人々の生活と未来を背負っているという事に対する責任と覚悟は人一倍ですから。
──なんて考えていたら姉上に小突かれました。無意識に顔が若気ていたみたいです。揶揄っているつもりは有りませんからね?。
あと、「貴男に言われたくないわ」と照れ隠しで顔を赤くしながら言わないで下さい。
俺まで無駄に恥ずかしくなってムズ痒いので。
情報交換と他愛無い雑談をしながら歩き続ける事凡そ二時間程。目的地に到着しました。
「これはまた……見事な濁り具合ですね」
「でしょう?」
溜め息を吐く姉上の隣で見詰める川は濁流。
しかし、増水したりしている訳ではない為、川の流れ自体は緩やか。本当に濁っているだけ。
しかも、上流で土砂崩れや崩落が有ったといった形跡も無く。ある程度、下流まで行けば濁り自体も薄まり、普通に戻っているそうです。
確かに、それは不気味ですよね。
取り敢えず、水質を見る為にと予め用意してきたガラス製のコップを魔法の道具袋から取り出す。
木杯が基本の中、新年会で御披露目したガラス製コップやワイングラスは当然の様に注目をされて。現在、クライスト領の俺が技術指導をした工房には加工技術を学びに多くの職人が集まっているとか、いないとか。後の事は管轄外ですから知りません。
川の水を汲み、その状態を確かめる。
コップの中で汲んだ濁水を軽く回し、臭いと味を確認してから沈殿する様子を見詰める。
「ちょっと、飲んで大丈夫なの?」と心配そうな姉上には「飲み込みはしませんから」と説明。
実際に口に含むだけで、嗽もしますから。
農業を遣ってると土を口に含んで確認するなんて珍しくない事なんで。
──とか言ったら姉上が引いていました。
フォルテ達は苦笑し、メレアさんから「その域に達する方々というのは大ベテランです」と補足が。はい、言われてから気付きました。
ま、まあ、それは置いといて。
コップの濁水は分離し、沈殿物が出来ています。ゆっくりと水を別のコップに移し、分離。
残った沈殿物が何かを確認します。
……流石に舐めたりはしませんから。
「泥に……苔?…………いや、魚糞か」
「え?、魚の糞?、それが原因なの?」
「いえ、それ自体は普通ですよ
川の泥って、土は勿論、魚の糞や水生生物の死骸、落ち葉なんかが堆積した成れの果てですから」
「それじゃあ、別の理由が有るのね……」
「そうとも限りませんよ」
「どういう事?」
「この濁りの原因は魚糞で間違い有りません
ただ、その大元は川の魚の異常繁殖だと思います
恐らく、かなりの量が居るでしょうね」
「それって何れ位?」
「どんな魚かにも因ると思いますが……
軽く一万は超えているんじゃないでしょうか」
「一万って……」
「それなら捕ってしまえば良いのでは?」
「アン、捕っても食べられない魚だったら?」
「棄てます」
「それは人にとっては、だな
でも、自然界で考えれば、その魚を餌にして生きる生き物達も確実に存在している訳で
それを人の都合で極端に間引くと生態系が壊れる
その一つの亀裂が、巡り巡って人の生活にも及ぶ
だから、安易な実行は応急措置以下、逆に将来的な問題を自分達で作る事になるんだ」
そう言うとアンは勿論、エクレやティアも納得。フォルテやメレアさん達は俺の価値観を知っている事も有ってか、見守るかの様な眼差しを向ける。
一方、姉上は納得しながらも難しい表情に。
当然と言えば当然でしょうね。
放置しても問題は無いと判ったけど、今後の事を考えるなら、もう少し踏み込んで置きたい。
ただ、それが如何様な結果になるのか。現時点で判断するには情報が不足している訳ですから。
「姉上、取り敢えずは少し魚を捕ってみましょう
どんな魚が増えているのか
それを知らない事には後の判断も出来ませんしね」
「……そうね、そうしましょう
それで、どう遣って捕るの?、釣り?」
「そんな面倒な事はしませんよ」
そう言いながらコップを片付け、新たに取り出す物は──投網。
俺の要望で網の形や編み方、錘の形や配置を変え改良された新商品です。まだ世の中には出回ってはいませんが、それも時間の問題ですけどね。
それを手慣れた手付きで構え──投げる!。
自画自賛では有りませんが、網が綺麗に広がると見ていても気持ちいいんですよね。
紐を手繰り、すぼまった網を引き揚げれば一撃で大量の水飛沫が魚の群れの存在を物語る。
その様子には思わず口角が上がります。それから狩猟者としてのテンションもね。引き上げる最中も期待値が上昇中します。
「…………貴男、本当に逞し過ぎるわ」
「そうですか?」
「貴男なら何処でだろうと生きていけるわね
それにフォルテ達が居るし、この世の果てだろうと一国を築き上げられると思うわ」
「流石に国民が我が子だけなのは国とは呼べないと思いますけどね──っと、よしっ、大漁大漁」
メレアさん達が出してくれていた特注品の大盥に網を広げて魚達を入れる。
ざっと見ても五十匹は越えていますか。
しかし、悪い意味で予想は的中している様です。大きさこそ違いますが、同じ柄の魚が殆んどです。まさかの外来種じゃないでしょうね……。
「──ん?、どうしたの?」
振り向くとフォルテ達が顔を真っ赤にして俯き、姉上やメレアさん達まで顔を赤くしています。
フロイドさんまでって……どうしたんです?。
「……貴男って時々大胆な発言をするわよね」
「……?」
姉上の言葉の意味が解らず小首を傾げる。
フォルテ達を見──ても情報は得られないので、メレアさんを見ると軽く睨み返される。
こういう時、経験から冷静に振り返るべきであるという事を知っています。
………………ふむ。成る程、成る程。
何言っちゃってるのかな俺ええぇーーっ!?。
それはフォルテ達が俯きますってっ!。
熱いっ!、滅茶苦茶顔が熱いいぃいぃぃっ!!。
「ああ、良かった、アルト様にも人並みの羞恥心は有ったんだな」
「そうですね、一安心しました」
此処ぞとばかりに人の事を揶揄ってくる不忠者の二人の事は置いておくとして。
姉上との会話だから気を抜いていました。
会話──発言に他意は無かったんですけど……。どう受け取っても、フォルテ達と子供を成しまくり国と呼べる様な大規模超家族を作ろう、と。それが当然みたいな事を言った訳ですから。
うん……如何にイチャイチャしている関係でも、流石に精神的にダメージが通りますよね。
「まあ、貴男も一家の当主だし、貴男達の子供達は引く手数多になるでしょうから多くて困るだなんて事にはならないでしょうから頑張って頂戴」
「姉上、顔を赤くしながら言うと生々しいです」
「言ってる此方も恥ずかしいんだからっ!」
そう叫ぶ姉上が可愛い。だから、揶揄いたくなる気持ちは有りますが、これ以上は危険です。
踏み込み過ぎれば確実に姉上から反撃されます。それに売り言葉に買い言葉。御互いに余計な事まで口走ってしまう可能性が高いですから。
引き際を見定める事が揶揄い道の基本です。
そう、“君子危うきに近寄らず”という諺とは、人間関係の一つの極意だと言えるのですから。
──なんて事は有りません。
取り敢えず、今は話を流したい。




