57話 御仕事
メィヴェの月、20日。
アイドリー領に生活の拠点を移してから早数日。特に問題らしい問題も起きず、順調な滑り出し。
新しい面々も今の所は大丈夫そうです。
尤も、基本的に即戦力を採用している訳ですから毎日の様に問題が起きる訳が有りませんし、それに必要な人材を一から育てる訳ではないので。
ただまあ、俺達の生活──遣り方等に慣れて貰う為には、ある程度の時間は必要ですからね。其処は焦ったり急かしたりはしません。
俺達──特に俺の事は新しい面々には可能な限り知られない様にしたいと思っています。
代官としての任期が終わった後も仕えて貰うかは現時点では判りませんからね。
勿論、メレアさん達は生涯雇用ですけど。其処は既に諦めて貰っています。
その辺りの事を除けば、新しい環境で生活をするという意味では一緒ですからね。新規雇用するには良いタイミングだったと思います。
代官としての初仕事は、アイドリー領内の視察。書面上の数字や情報だけではなく自分で確認する。当たり前の様ですが、忙しくなると疎かになる事。しかし、大事な基本ですから手抜きはしません。
尤も、視察自体は楽に片付きましたけどね。
──とは言え、仕事は仕事ですから。少なからず頭を悩ませる事柄というのは有る訳です。
「う~ん……」
「アルト様、御茶です」
「有難う、フォルテ」
書類群と睨めっこして唸っている所にフォルテが言外に「一休みされては?」と気遣ってくれる。
そんな妻の優しさが骨身に染みます。前世の俺は結婚もしていませんでしたからね。勝ち組ですよ。世界が違っても、現世では有り触れた事でもね。
それはそれとして。何を唸っているのかと言うとアイドリー領の──いや、王国全体の経済事情に。別に悪いという訳では有りません。
ただ、頭打ちな感じは否めません。
クライスト領で新しく産業や雇用が生まれた事で色々と有りましたが……アイドリー領に来て納得。それは御祭り騒ぎにも成りますよね。
新技術や新産業が確立されれば、それまで有った既存の所に少なからず皺寄せが及ぶ事は必然。
完全に失われたり廃業するという訳ではないが、それにより被る経済的な影響は否めないもの。
──とは言え、それは飽く迄も前世の社会水準で考えたなら、という話で。
現世では、其処までの水準には至っていない。
それが幸いな事なのかは難しい所だけどね。
話を戻して。
現世──現在の王国の経済状況は悪くはない。
就労率は高く、経済的に困窮しているという話は少なくとも聞いた事は無い。勿論、貧富の差という意味では格差は有るんだけど。それは立場や能力、つまりは個人差に因る事なので仕方が無い。
人は皆、大量生産品の様に、一律に同じという訳ではないのだから。
そういった格差は個を容認する社会では必然的に生じる事であり、平等という訳にはいかない。
寧ろ、個を尊ぶ社会には、真の平等は存在しないとさえ言えるのだから。
擬似的な平等・妥協された平等、と言ったなら、理解し易いのだろうか。
人が人で在る限り、上っ面だけの平等しか社会は実現する事は出来無いのだから。
──なんて話は置いといて。
人々の生活に問題は生じるまでは影響が及んではいないのだけれど、近い将来には憂いを含む。
疫病や戦争等の様な極端に人口が減少する自体は滅多に起きない為、人口は増加の一途。
食糧難や土地不足という事は心配は要らないが、雇用という面では厳しいのが実情。
生活の為に冒険者となり、命を落とす者が増加。それが家族に影響を及ぼせば貧困が拡大してゆく。そういう状況が、その先の未来が思い浮かぶ。
その懸念を陛下達や父上達はしていたのだろう。だから未来を切り開く可能性を持つ俺を見逃す事は出来無いんでしょうね。
それは理解が出来ます。
個人的な願望は別にしても、ですけどね。
「意外と言うか、何と言うか……
アルト様でも悩む事が有るんだな」
「フロイドさんは俺を何だと思ってるんですか?
只の十歳の子供ですよ?」
「いや、“只の”とは言えないだろ?
男爵位を持つ本物の貴族なんだから」
「親や嫡子に何かが遇って家督を継いだ子供だって探せばいるでしょうし、前例も有ると思います」
「それは居るだろうが、自力で男爵位を賜った者は前例としては聞いた事が無い」
「少なくとも、その様な話はメルーディア王国史に残ってはいませんね」
片付けをしながらも、然り気無くフロイドさんに賛同の声を差し込むメレアさん。
何?、「御似合いですね」って言われたいの?。それなら遠慮無く言いますよ?。
──と思ってはいても気取らせはしませんけど。御楽しみは取って置くタイブです。
そんな、人を特殊扱いしている人達は放置して。手元に置いてある資料に目を落とす。
アイドリー領の生活水準にも経済状況にも特には問題らしい問題は有りません。
代官としての仕事を通して必要な事を学ぶのなら十分だと言えます。一般的に考えればね。
しかし、自分に求められているのが、一般的な事ではない事は判っていますから。成果が必要です。ただ、そう簡単な話じゃないんですよ、これが。
農業を中心にして、完全な自給自足・地産地消を実現すれば生活面での最低限の保証は可能。
だが、それなら貴族という領主の存在は不必要。国が、王が指示すれば済む話ですから。
つまり、領主に求められるのは産業・経済の新規開拓や発展、雇用の拡充となる訳です。
……俺、代官なんですけどねぇ……。其処の所、蔑ろにされ過ぎじゃないですか?。
まあ、愚痴ってても良い案は思い付きませんが。少しは愚痴らないと遣ってられませんから。
嗚呼~……フォルテの淹れてくれた紅茶の香りが荒んだ心に沁みます。
軽く現実逃避している所に、カップを可愛らしく両手で持ったティアが訊ねてくる。
「アルト様、コール芋の栽培を拡大して、収穫量を上げれば良いのでは有りませんか?」
「コール芋は競争相手が居ないし、実際に使用して有用性も証明されたから需要は高まってる
でも、栽培可能な地域が限定されてるからね
コール芋の栽培一本だとアイドリー領全体の経済や雇用の向上は高が知れてる
──と言うか、頂点が見えてるから……
それだけだと直ぐに行き詰まる事になるだろうね」
「そういうものなのですね……難しい御話です」
「そういった考えはエルフにはないのですか?」
「エルフも農業等、生活に必要な事はしていますが其処まで経済状況を重視はしていませんね
勿論、貧困が常態化する様な事は有りませんが」
「ティアの話でもエルフは内向的みたいだからな
貿易で経済を活性化させたり、雇用を生み出そうと考え難いのは仕方が無い事なんだろうね
それで十分に経済が安定している訳だし」
「そう考えると、エルフから見たら、私達の社会の在り方というのは欲張り過ぎなのでしょうか?」
「そうですね……何方等かと言うと、「そんなにも何が心配なのですか?」という感じです」
「ああ、成る程、そう言われると判り易いな
彼是考え過ぎて、備え過ぎてるんだろうね」
そう言うとフォルテ達も納得した様に頷く。
ティアにしても、そう言われて、しっくりとくる所が有ったんだろうね。
自分達も自然の一部である。
そういう思想・価値観を持つエルフらしい考え。ヒュームやズゥマも極端に傲った考えはしていない訳ですが、“未来に対する備え”という意味では、エルフに比べると慎重なんでしょうね。
エルフが楽観的過ぎるという訳ではないけれど。其処は文化・風習、在り方の違いでしょうね。
そういった意味でも、他の思想や価値観に対して興味や理解を示すティアは浮くんだと思います。
俺達と生活する様になったティアからは出逢った当初に感じた壁や遠慮は消えましたから。
ティアは外に出て良かったんだと思います。
「そうなると……色々調べてみて、ですか?」
「それが一番手っ取り早いし、確実なんだけどな
それを遣ったら悪目立ちするから」
アンの意見を肯定しながらも事後にも追及。
実際問題、今までの事は大半が調べた事によって得られた成果ですから、其処は否めません。
──と言うか、他の手段は少ないですから。
急かされている訳では有りませんが、ある程度の成果は出して置かないと俺達の冒険者としての活動その物に影響が出ますからね。
そういう意味でも二つ三つは成果を出したい所。出来れば、短期・中期・長期と一つずつ。
そうすれば、自由に動ける時間も出来ますから。
ただまあ、今までとは違ってアイドリー子爵家に後の事わ丸投げ、とは行きません。
だって、代官という立場ですから。
「無辜な十歳児を過労死させる気ですか?」とか思ってはいても言えませんけどね。
「ただまあ、【アナライズ】は魔法だから洗礼式の済んだ今なら隠さなくても良いんだけど……」
「以前の事は怪しまれはしますか……」
「そういう事」
世の中の──社会の柵という面倒臭さを理解して俺の言葉の後を繋いだフォルテが溜め息を吐く。
そういった柵の面倒臭さを知っているからこそ。嫌気と呆れと億劫さを含んだ感情が出る。
ただ、何よりも今のフォルテは素直に自分自身の気持ちを吐露出来る様になっています。独りで抱え込むという事は有りませんし、させません。
「一応、資料を見て目星は付けてあるから、実際に現地で調査をしてって形になるかな」
「只の十歳児には出来無い事だな」
長々と悩むつもりは無いから、切りの良さそうなタイミングで話を纏めに入ったら、フロイドさんに蒸し返されました。
「何ですか?、遣り合うつもりなら本気で受けて立ちますよ?」と視線に込めれば白旗を上げる。
一回目は揶揄いで済ませてあげますが、二回目は見逃すつもりは有りませんから。
売られた喧嘩には高値を付けてあげますとも。
そんな俺達の様子を見ながら、フォルテ達の方はテーブルに置かれている書類を手に取る。
代官は俺の仕事だけど、フォルテ達は妻な訳で。全くの無関心、無知という訳にはいきません。必要最低限の知識は入れて置かないと、いざと言う時に自分達が困りますし、彼方此方にも影響します。
本当にね、王公貴族って面倒臭い立場です。
「アルト様、エイラ様からの御書状です」
「姉上から?」
部屋に入ってきたクーリエさんから差し出された手紙──封書を受け取ると目を引くのは“速達”の印が押されているという事。
この世界の郵便システムって地味に整っていて、初めてだと吃驚しますよ。
話を戻して。同じアイドリー領に居るとは言え、実際には住む場所は領地の端と端で、領地の真逆に位置していますから気軽に行き来は出来ません。
その為、大抵の場合は書状での遣り取りが中心。余程の事でもないと直接の早馬も使いません。
まあ、その場合はアイドリー家の本家からになる訳ですけどね。其処は仕方の無い手間です。
でも、こういうアナログな遣り取りって、意外と電子機器による速くて楽な遣り方に慣れていると、焦れったく感じる事も有るんでしょうね。
幸いにも、俺は不便な位が生き易い方です。
だって、技術の発展と発達によって便利な所為で自分の時間やペースって無くなりますから。
そういう社会の中に居ると、それが基準ですから嘆き憂いても仕方が有りませんが。
こうして実際に無くなってしまえば、不便な位が生き易いんだと実感出来ます。
まあ、どう感じるのかは人各々でしょうけど。
それはそれとして。
速達だから緊急事態ではないでしょう。しかし、姉上からすれば「出来れば、早くね」という事。
別に姉弟だから理解し合えるという事ではなく。それが一般常識だからです。
ただ、フラグ臭がして堪りません。
楽な話だと良いなぁ~。




