27話 野牛
母上と別れ、フォルテと二人で再び町に出ます。まあ、はっきり言って気分転換です。
急な展開で驚きはしましたが。
母上からの提案は、かなり現実的な解決策です。現状、貴族として在る未来から逃れられない俺には冒険者との兼業というのは理想的でしょう。
本音を言えば、貴族としての未来は捨てたい。
そうはさせて貰えないのも判っています。だって周りの大人達が本気なんですもん。
そんな訳で母上の冒険者を容認する提案は光明。非常に心強い援護を得た気分です。
尤も、それも貴族としての未来が前提条件として有る訳なんですが。其処は此方等も妥協すべき点。だから決して悪い話では有りません。
「……でもなぁ……側室かぁ……」
「……あの、アルト様は何故其処まで側室を迎える事に対して躊躇われるのですか?
私が言うのも可笑しな話ですが、アルト様が側室を迎えたからと言って私や側室の方に対する愛情等が著しく偏ったりするとは思えません
寧ろ、側室となる方とも向き合われ、幸せにする
そんなアルト様の姿しか私には思い浮かびません」
そう俺の眼を真っ直ぐに見詰めながら言い切った愛妻の言葉が、信頼が嬉しくも、悩ましい。
いやまあ、間違ってはいないと思いますよ。
側室を迎えたとしてもフォルテを蔑ろにする事は考えられません。寧ろ、その分、増します。
そして側室となる女性とも向き合い、愛します。そうじゃないと俺が納得出来ませんから。
側室とする決断をする以上は責任を負います。
──が、その決断に苦悩しているのが現状。
その苦悩が、フォルテには理解し難い訳です。
まあ、メレアさん達や母上や姉上達でも同じ様に俺の苦悩は理解し難いんでしょうけどね。
こればっかりは前世の記憶が有る弊害でしょう。どうしようもない訳でもないので弊害と言う事自体大袈裟かもしれませんが。悩み事は悩み事です。
「んー……まあ、それはそうなんだけどな
勿論、フォルテが居て、だから、側室に迎えた後で色々画策する様な相手は選ばないし、そういう事を遣らせる人物が周囲に居る者も選ばない
そういう意味では問題は無いんだけど……」
「…………アルト様、私はアルト様に選んで頂いた御陰で今、とても幸せです
アルト様に選んで頂けなければ、私は人形然とした人生を送る未来しかなかった事でしょう」
そう言ったフォルテに気軽に「大袈裟だな」とは言えないのが現実。否定出来無いのだから。
これは原作とは違う。
一つの選択が、知らない内に。小さくも大きくも影響を彼方等此方等に及ぼしている。
水面の波紋、ドミノ倒しの様に。
必ず、自分の存在は何かしらの影響を及ぼす。
まあ、俺自身が主人公みたいだって訳ではなく、そんな大した人物だって言う訳ではなくて。
誰しもが影響し合い、影響され合い存在しているという事が言いたいんです。
つまり、極論を言えば同じ世界に存在する以上は全くの無関係で存在出来はしないという事。
直接ではなくても、必ず影響を及ぼし合う。
ただそれが何れ程の影響力なのか。
その差が、幅が、あまりにも広く、大きい。
その為、普通には理解出来ず、実感もしない。
それだけの事なんですよね。
そして、俺とは違い、フォルテは判っている。
俺という存在が如何に自分の未来に影響したかを俺以上に実感し、理解し、享受している。
だからこそ、フォルテは俺が側室を迎える事には前向きであり、協力的であり、積極的な訳です。
「だから、私は楽しみです
アルト様と私の家族が増える事が」
「早く子供が欲しいです」と催促されている様に受け取れなくも有りませんが。まだですから。
──という話ではなくて。
フォルテの慈愛と器量の深さと広さには、思わず手を合わせて祈りたくなってしまいます。
ええ、フォルテ、マジ女神様。
こんな良い娘が俺の妻なんです。勝ち組です。
──と惚気るのは置いといて。
うん、まあ、何て言いますか……アレですね。
マリッジ・ブルーじゃあないんですけど。結局は俺の考え過ぎだし、拗らせ過ぎな訳ですね。
フォルテの言う通り、俺が側室とすれば。
少なくとも、その一人を幸せには出来る。
──いや、一緒に幸せになる事は出来る訳です。
「俺が必ず幸せにしてみせる」とは流石に未成年という身分では言い切れません。
フォルテに関してだけは別ですけど。
それでも、そういう気概は有ります。
そして、それで良いんでしょうね、結局は。
事が起きる前に考え過ぎて動けなくなっている。それが今の俺なんでしょうね。
だから、フォルテを妻に選んだ時の様に。
その中で、自分が後悔しない様にする。
それが自分らしい遣り方なんだと思います。
「……有難う、フォルテ
俺の方こそ、フォルテを妻に出来て幸せだ」
「御役に立てて何よりです
ですが、アルト様、私の方が幸せですからね?
これだけは、アルト様にでも譲れません」
そう言ってフォルテの方から俺の唇を奪う。
最初の頃のフォルテからは想像出来無い大胆さ。しかし、これがフォルテの嘘偽りの無い姿。
それが判るから、俺も嬉しいし、幸せだ。
惜しむらくは「いや、俺の方だ」という展開からイチャラブな愛の営みに持ち込めない事。
……野外だから、とかじゃないですよ?。
単純に、そういう事はまだだからです。
幾ら正式な夫婦だと言っても、御互いが洗礼式を迎えるまでは未成年ですからね。その辺りは意外と厳しく遵守されているんですよ。夫婦だから何でも許されるって訳じゃあないって事です。
決心した訳でも、覚悟した訳でもない。
ただ、気持ちの整理が出来て気楽になりました。
今後、実際に具体的な話が出ても、慌てず焦らず冷静に考えられる筈です。
どうせ色々と大変なのは違わないでしょうから。開き直っている位で丁度良いんだと思います。
だから、今は観光──視察を楽しめます。
開発中のイトッファには、何が有るという訳では有りませんけど。特に問題有りません。
まあ、普通の王公貴族の子女からしたら、現状は暇で退屈な何も無い場所でしょうけど。
日常的に自然の中を散策したり恵みを貰っている俺達からしたら豊かな自然環境さえ有れば十分。
現に、フォルテと開発中でも、生活の中心である漁を遣っている住民達の所に御邪魔させて貰って、実際に体験させて貰いました。
釣りや仕掛け網は遣っていますが、本格的な船を使って遣る漁というのは初体験でしたから。
ただ、前世の漁のイメージと比べると小規模で。正直、“海の漁師”って感じではなかった。
まあ、それなりには獲れましたから。その一部を届けて貰える事になったので、今夜が楽しみです。
どうしても海産物は干物が多くなりますからね。新鮮な海の幸。夜が待ち遠しいです。
そんな話をしながら町の西側を歩いていた時。
長閑で平穏な雰囲気を引き裂くかの様に町の中に大きな悲鳴と叫声が響いた。
フォルテと顔を見合わせると直ぐに決断。
その発生点に向かって走り出す。
走り出して1分と掛からず、自分達に向かう様に走って来ている人の波が目の前に現れる。
一目で判る程に恐怖し、錯乱している表情。
とても、声を掛けても停止するとは思えないし、情報収集が出来る気はしない。
だから、制止しよう等とは考えない。
少なくとも今この状況で優先すべき事は混乱した人達ではなく、混乱を引き起こしている原因。
それを先ずは把握しなければならない。
走りながらフォルテと一瞬で意図を伝える。
そして、前を向いた次の瞬間には俺達を飲み込む様にして人の波が視界を埋め尽くす。
普通の子供なら、あまりの異常さにパニックに。肝が据わっているとしても気圧される所だろう。
それ程に逃げ惑う人々の放つ気配や必死の形相は見る者に威圧感と恐怖を与え、焦燥感を煽る。
だが、俺達は御互いが見えずとも迷わない。
制御不能な濁流の如き人の流れに逆らい、隙間を潜り抜けながら躊躇無く前へと進む。
子供であり、日々の自然の中での生存競争により身に付いた身の熟しと判断力・予測力。
それが今、こうして活かされている。
そして、鬱蒼と生い茂る背の高い叢を掻き分ける様にして先で──突如、人々が居なくなった。
「──なっ!?、“ビッグホーン平原ブル”っ?!」
「そんなっ、どうして町の中にっ?!」
ビッグホーン平原ブルは、その名前が示す通り、太さ10サニタ以上、長さ30サニタ以上の左右に真っ直ぐに突き出る様に伸びた巨角を持ち、体長は大きな個体では2ミードを超える野牛。
幾つかの平原を季節毎に移動しながら、数十頭の群れで生活している。
珍しくなく、随分と昔に家畜化され、平原ブルは人々の主要な食用牛となっている。
決して、モンスターではない。
ただ、その突進力は一般人には致命傷となる。
それが数頭とは言え、町の中に入ってきたなら。当然、パニックを引き起こしても可笑しくはない。
しかし、何かが引っ掛かる。
ただ、悠長に考えている時間は無い。
此方に向かってくる一頭。
背後には逃げて行った人達の無防備な背中が。
逃げる・避けるという選択肢は無い。
左右を見回し──左手の民家の物置小屋の片隅に有った破れて廃棄するだろう網を見付ける。
「フォルテ、あの網を!」
「──っ!、はいっ!」
俺よりも近いフォルテに回収を任せ、迎撃。
曾ては逃げる事しか出来無かったブラックボアを今では真正面から真っ向勝負で討ち取れる。
加えて、しっかりとした足場に開けた視界。
山の中の狩りに比べれば、鼻で笑える。
──が、単純な個体能力の差は無視出来無い。
何より、巨角での突進を正面に受けようものなら子供の俺は軽々と弾き飛ばされるし、身体中の骨を一撃で粉砕されても可笑しくはない。
それでも、被害を出さない為に、立ち塞がる。
右足を退き、左手を前に出し、半身に構える。
一直線に向かって来る平原ブルから視線を切らず自分まで残り1ミードの距離に入った所で、屈む。
左手を鼻先へと添える様にしながら、平原ブルの左前足の方に身体を捻りながら入いる。
右手を巨角の後ろに当て、それを支点にする様に左手で鼻先を下に押し込む様にして──投げる。
まるで、入れ替わる様な格好で。
俺の横を通り過ぎ様として脚を滑らせた様に。
平原ブルは前方に一回転半して、背中から落下。
その衝撃も含め、瞬間的に動きを止める。
其処へ、フォルテが網を投げ広げる。
漁には使えなくとも、絡ませて動けなくするには十分である事を。前世のゴミ問題で知っている。
そういった形で知る事は皮肉なんだけどね。
抜け出そうと足掻く平原ブル。
当然だが、逃がす気は無い。
放置して再び暴れられても困るので携帯している護身用の短剣で首筋を一刺し。
御前に罪は無いが、人のエゴの下、命を奪う。
まだ痙攣してはいるが、既に助かりはしない事を日々の狩りで経験を積み、理解している。
その為、直ぐに次の行動──周囲の確認に移る。
現在地から考えて、北側から平原ブルは侵入。
自分達と擦れ違った人達は町の中央、或いは南に避難していったと考えられる。
はっきりとした数は判らないが、町の警備部隊に母上の護衛部隊も居る。
だから、中央方面は任せて置けば大丈夫。
この辺りにも居ない様だし。
しかし、問題は其処ではない。
「フォルテ、西側の残っている人達の避難誘導を」
「──っ、はい、判りました」
視線を交えた一瞬でフォルテは問答する時間さえ今は惜しむべきである事を理解し、了承。
俺の指示に従い、自分の担う役目を実行する為に俺に背を向け駆け出して行った。
その後ろ姿を心から頼もしく思う。
そして、俺は俺の遣るべき事を為しに向かう。




